越後駒ケ岳(2,003m) 錆鉄人が百名山の登山口を選ぶ場合、 ほとんどは一番こーすたいむが短いか さもなければ、費用が一番かからないコースを選択している。 そうでない数少ない山はこの越後駒ケ岳である。 理由は 最短ルートの枝折峠までの国道の冬季通行止めが 解除されていなかったというだけであったが・・・ その時は越後駒に登った後、 さらに巻機山も日帰りして福井に帰ったのであった。 という事で、経験のない枝折峠からの最短ルート 情報を検索してみると 名うての泥濘路だということが分かったのであるが・・・ 以下、本文参照 |
どうやって行くの | ||
2週間前の平ヶ岳と同様に鯖江ICから高速に乗って小出ICで下り、高速352号線で枝折峠まで走ります。 出発が4日の土曜日だったので、高速を下りる時間は関係なく1,000円になるので、今回は途中のSAで車中泊する事もなく、枝折峠まで行って、ビールを飲んで車中泊出来るのがうれしいです。 錆鉄人はこの日出勤日だったのですが、お昼の天気で最終的に行くかどうか決める事にしていました。 |
ところが朝の新聞を見ると、天女が時々アルバイトでお世話になっている人のお母さんが亡くなった事が書かれていて、お通夜は鯖江市である事になっていました。という事で、ひょっとしたら日曜日もアルバイトに行かなくてはならないかも知れないし、行くなら帰って来てから礼服を着た天女を乗せて葬儀場へ行き、そのまま出発する事にしました。 という事ですが、代わりに出勤するのは月曜日と水曜日(火曜日は休み)という事になり、天気予報も午前中はほぼ晴れの予報だったので行く事に決定。 仕事から帰ると天女は喪服姿。錆鉄人が布団を敷いたりしている間に、甲斐甲斐しく装備を積み込みました。 という事で、葬儀場に行くと、葬儀の真っ最中だったようで、一人だけ焼香して帰るわけにもいかず、天女もイスに座ってお勤めの終わるのを待とうとしたら、すぐに終わったようで、エンジンを切った車が熱くてたまらなくなる前に出てきました。 という事で、高速に乗ってから天女は後で布団をかぶって着替えをし、隣りへ移動。いつも通り、甲斐甲斐しくコーヒーを作ってくれたり、おにぎりを手渡してくれたりしました。 米山SAでトイレ休憩し、小出ICを出て、道の駅の前にある最後の(唯一の)コンビニでパンなどを買いました。 |
|
登山開始 |
||
前回、平ヶ岳に登った後、枝折峠まで来たので、道路が狭い事は分かっていたが、深夜なので対抗車が来るはずがないので、不安なく走り、枝折峠には午後11時半頃に到着。 缶ビールは3本持って来ていましたが、ぬるくなっているかもしれないと思って、小出の道の駅の向かいのコンビニで500mLの発泡酒を買ったので、まずそれを飲みました。コンビニからは30分位だったのでまだ冷たくておいしかったのですが、何故か酔いが回ってきたような感じがしました。その後は、持ってきた金麦を飲みましたが、ますます酔いが回ってきた感じで、なかなか飲み終わらず、午前0時を回ってやっと飲み終え、すぐに寝ました。 という事で、午前4時15分にアラームをセットしてあったのですが、車が入ってくる音ですでに目覚めていて、すぐに起きました。と、急にアルコールが回ってきたのか、気持ちが悪くなってきましたが、我慢して着替えをしました。 |
向かいの山から御来光 |
|
登山開始 | ||
4時56分 登山開始 この最初の登りはやや険しく 天女はまるで調子が出ません |
||
工事中 | ||
朝日を浴びる観音様 |
壮観! 神秘的! 奥只見湖から溢れたガスが 峰を越えて流れ落ちていました |
|
工事中 | ||
右の分岐の数メートル先にお堂がありました |
(帰りに撮影) 手前から登って来たのですが 天女は真っすぐに下りだしました。 今は山登りの途中ですよ・・・ 確かに標識はありませんでしたが・・・ 左に登るほうが良く踏まれているでしょう? 天女の百名山はこれで95ですが 天女単独で登っていたら 300回は遭難していたに違いありません。 |
|
工事中 | ||
小倉山分岐 | ||
百草の池 | ||
標識が先にあって、100m程進むと、左前方に百草の池が見えます。 |
まだ雪に覆われていましたが 池の周囲は立入禁止です! |
|
岩場 | ||
何か微妙なバランスの天女 小倉山から先は それ程登りがなかったと思っていたのですが 案外標高差もありました。 記憶というのはいい加減なものです。 でも、小屋の近くに岩場があったのは覚えていました。 |
ペンキの通りに歩くと思っていた天女 手前の岩の何処に足を置けば良いのでしょうか? |
|
駒の小屋 | ||
小屋に到着 宿泊した人が外にいて、 早いですねと声を掛けられました。 |
冷たくておいしい水に感激の天女 ここで一服しなければ・・・ 3時間を切っていたと思います |
|
ニセ越後駒 | ||
最後の急な雪渓を登ると ニセ越後駒ケ岳とは書かれていませんが・・・ |
実際の頂上は向こうです 天女は3時間切りを狙ってここから走りだしましたが (小屋で示唆したからですが・・・) 時すでに遅く・・・ |
|
越後駒ケ岳頂上 8:58 | ||
天女はすぐに息が切れて、走らなかったほうが早く到着していたかも? 3時間と2分(休憩含む)で頂上に到着。 錆鉄人の計画では、4時間だったので天女はすっごく頑張りました!と言うよりも、「コースタイムが甘過ぎる」事が判明しました。頂上まで4時間半程度が順当な所ではないでしょうか。下りは30分短くなるとして、往復8時間半、昭文社の地図のコースタイムは3時間ほど甘いと思われます。 さて、頂上に到着して、役の行者さんがいる事に気が付いて(確か、前回もいらっしゃったと思いますが・・・)、錆鉄人は悟りました! 天女が登山するというので、「役の行者が一夜にしてぬかるむ道に木の枝や土や石を敷き詰めて、天女がぬかるみで苦しむことがないようにしてくれた」に違いありません。 って、天女がこの日の先頭で歩いてきた割には、木の枝が踏み込まれていたけれど? それは2週間前に平ヶ岳の翌日の登る計画だったので、役の行者はその時に道を整備したからに違いない!とまたしても妄想を膨らませる錆鉄人でありました。 |
頂上からニセ頂上方面 「役の行者様 有難うございました」 と手を合せる錆鉄人でしたが 天女は何が何だか分かっていません |
|
頂上からの眺め | ||
大雪渓 | ||
ニセ頂上の手前は大雪渓です。 雪の深さが分かるように写真を撮りました。 錆鉄人は雪を掘ってビニール袋に詰め、発泡酒を冷やしました。 |
雪渓の下りは結構急です。 が、天女は 早く小屋に戻って豪華な食事をしたいので アイゼン無しですが、さっさと下りました。 |
|
駒の小屋 | ||
花に目もくれず小屋に戻る天女 |
||
花 | ||
TZ-5はこの花が苦手で 青く写った事がありません。 一計を案じた錆鉄人は 日光が当たらないようにして撮影 それでも、これだけしか青が出ません! |
||
豪華な昼食 | ||
さて、愛妻家の錆鉄人は ビールをを飲むよりも先に 天女の為にお湯を沸かすのでありました。 豪華なカップラーメンの食事です。 |
お湯が沸く間に 雪で冷やした金麦を飲みました。 天女も一口に見ました。 錆鉄人は異常体質でしょうか ビール500mL位では下山に何の支障もありません。 (これは350mLですが・・・) |
|
下山 | ||
という事で、平ヶ岳に続いて2回連続の豪華な食事を楽しんでいると、次々と登山者が小屋に到着しました。 小屋への到着はほぼ錆鉄人と天女の1時間後でした。出発はそれほど違わないと思われるので、やはりコースタイムが実際より長いと思われます。 |
下山開始は 愛妻家の錆鉄人は先に下りて 天女がこけたら受け止める準備をしているので 天女も安心して下ります |
|
花 | ||
ニッコウキスゲ ここでしか見なかったような気がしますが・・・ |
キヌガサソウ |
|
下山路 | ||
ちょうど頃合いのシャクナゲ 天女は温泉はいいから早く帰りましょうと言います。 愛妻家の錆鉄人は天女の言うがまま。 そんなら早く家に着くから 田圃の水洩れしている所に並板を当てようか という事になりました。 |
コース中、最大の泥濘路 でも、横を歩けば靴は潜りません! 天女も苦労して突破! しかしながらど真ん中にたくさんの足跡が! 錆鉄人には理解不能です。 水溜りにわざわざ突っ込む子供のように 泥濘路が好きな登山者が多いようです。 それが名高い泥濘路の秘密ではないか と、解明した錆鉄人でありました。 |
|
小倉山分岐 | ||
小倉山分岐の所で、見納めかも知れないと写真を撮影。 写っているのは小屋に着いた時外にいて、頂上から戻って天女が話をしていた新潟県加茂市の人で、その後先に下山していました。 |
この辺りで出会った5人ほどのパーティが、錆鉄人を見て「あ!素肌だ!」 素肌ではありません、短パンですが・・・ 「愛妻家なのでズボンを汚さないように短パンにしたんです」って言い訳しましたが、「愛妻家じゃなくって恐妻家じゃないの?」って言われました。 錆鉄人は、愛妻家とは妻の事を思って良い事をする夫をいい、恐妻家とは妻を恐れながら悪い事をする夫をいうのではないかと思います。悪い事をしなければ恐れる必要はありませんから。 でも、恐妻家以下の人間(=人間以下)の何と多い事でしょうか。 |
|
枝折峠は何処? | ||
一番向こうが枝折峠じゃない?と言いながら進みますが、天女は文句を言いません。平ヶ岳よりはるかに楽だったからに違いありません。 |
カエルの卵? 水たまりの半分位にありました |
|
奥只見湖 | ||
朝方は溢れていた霧も消えていました。 |
||
登山口に戻る | ||
11時15分、登山口に戻ってきました。 |
下の駐車場にも約10台 全部で30台余りでした。 |
|
帰途 | ||
厭な国道352号線の長い下り(約10km狭い区間が続きます)ですが、この時間に登って来る車は少なく、すれ違いに苦労するという事はなくて済みました。対向車は2台のみ、+オートバイが10台近くでした。 12時過ぎに小出ICから高速に乗り、名立谷浜SAで食事をして、帰宅したのは、16時45分頃でした。 総走行距離は往復842km、燃料計の感じではリッター13km位の燃費でした。 (実際は12.5位でした) |
我が家は午後3時には日陰になりますが、田圃はまだ日光が照っていて暑いので、先に片付けを行い、それから田圃の水洩れ箇所の対策に行きました。 水洩れ箇所は田圃の畦のない農道側だと思っていたので、そちらを中心に並板を埋め込みましたが、天女は軍手をしていないので力一杯押し込めなくて、錆鉄人が再度押し込みました。 それでも一人では非常にやりにくい作業なので、天女のおかげで無事作業終了。 その後の経過を見ていると、すぐに水がなくなっていたのが、なくならなくなったようで、汗だくになって作業した甲斐がありました。(これは、北海道遠征時に水がなくなって枯れてしまわないようにという事前対策でありました) |