槍ヶ岳 天女の槍ヶ岳登山は1991年でした。 恒例となったお盆の登山は ホノルルマラソンの訓練もかねてロングコースを選択 槍ヶ岳に登って山荘に泊まり、 翌日は南岳まで歩いて新穂高に戻り 中尾温泉の露天風呂付キャンプ場で幕営 という豪華版でした。 素泊り小屋から小槍が見えていたのを思い出します。 例によって天女は 槍からの眺めをすっかり忘れているに違いなく 新鮮な感動に浸れるに違いありません。 |
どうやって行くの? | ||
例によって、新穂高からのピストンです。 |
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18年前 |
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長女が4年生、二女は2年生でした。 お盆休みが3日あって、仕事を終わってから夜に自宅を出発。この時は、新穂高の無料駐車場を知らずロープウェーの有料駐車場に駐車して車中泊していましたが、朝方に林道を登って行く車が何台かいたので、錆鉄人もそれに続き、ゲート前の道路脇に駐車して車の後に駐車しました。 明るくなってからの出発で、午後3時まえには槍ヶ岳山荘に到着し、素泊まり小屋に荷物を置いて、槍の登りました。子供達は案外簡単に登りましたが、下山は危険だと言って、頂上にいらっしゃった静岡県の人が天女と長女の下山の指導をして下さいました。錆鉄人は二女の先に降りながら、足を着く場所などを指示しましたが、案外簡単に下りたように思います。 素泊り小屋はお盆期間だというのに空いていて、とても快適でした。食事はラーメンばかりでしたが・・・ |
翌朝は、山荘前で御来光を眺め、朝食後、南岳に向けて出発しました。 大喰岳から槍ヶ岳を振り返り、途中に残っていた雪渓で遊んだ辺りまでは良かったのですが、中岳辺りで二女が頭が痛いと言って泣き出しました。ちょうど中間みたいな所で、戻るにしても、進むにしても時間がかかる場所でした。 錆鉄人は家族みんなの着替えなどを担いでいたので、ザックは20kgは軽く越えていて、天女に担いでもらって、二女をおんぶする事も出来ません。一緒に涙を流しながら、歩くしかありませんでした。 やっと南岳避難小屋に到着して、牛乳かジュースを買ってやりましたが泣くばかり。小休憩後、下るしかないので、促して下り始めました。そうして、数百メートル下ると、何と二女の頭痛が治ったのです。やはり、高山病だったのでした。 槍平小屋について、良く頑張ったねと言ってみんなで牛丼を食べました。それまで泣きながらの行進だったので、予定よりもかなり遅れていて、新穂高に着くころには暗くなるから、もうキャンプは無理かもしれない、と言うと、子供達はほとんどを走って戻り、無事にキャンプが出来たのも思い出です。 |
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計画 | ||
一応、金曜日夜に自宅出発として、新穂高到着は午後9時半から10時。 槍の日帰りはそれほど大した事はないので、槍ヶ岳山荘までは天女の足で登り5時間下り4時間程度、槍の往復1時間に休憩1時間として、合計11時間程度と想定。 従って、明るくなってから出発しても明るい時間に戻れると思われますが、余裕を持ってヘッドランプを付けて出発しようと思っています。 |
折角なので、飛騨乗越しか山荘前で御来光を見たいとも思います。 御来光は5時半頃と想定されるので、0時半出発。って事は睡眠2時間!錆鉄人は歳なので睡眠不足が堪えるようになってきたのですが・・・。 まあ、それほど大変な登山ではないので、登山に支障はないと思われます。 しかしながら、御来光を目指して山荘に到着すると、その後もしばらくは槍に登れないのではないかとも危惧されます。 という事で、ちょっと迷っている錆鉄人でありました。 |
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6日(日)に変更 | ||
3日昼の天気jpの天気予報を見ると、土曜日は曇り時々晴れ、日曜日は晴れ時々曇りの予報である。 しかし、ウェザーニュースの予報では。土曜日は曇りで、日曜日でも曇り時々晴れといういつもながらの悲観的な予報である。ウェザーニュースは直前になって大きく変える習性もあり、天気JPの予報の信頼性が「A」になっているので、天気jpを信頼して、登山は日曜日にしようと思います。 というか、土曜日は付きに1度の出勤日でもありますので、仕事熱心な錆鉄人はお仕事優先です。(土曜日が天気良ければ休んでいるに違いありませんが・・・) |
天女がどうせ登るなら御来光が見られると良いというので、新穂高から槍ヶ岳山荘まで5時間と見積もれば午前0時半頃の出発となります。 しかし、最後時間に追われて天女をヒーヒー登らせるはめになると可哀そうなので、午前0時に出発して、山荘前でラーメンでも作りながら待とうかとも思っています。 どうか素晴らしいご来光が見られますように! |
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工事中 | ||
工事中 | ||