無謀な挑戦シリーズ全日本山岳耐久レース
        本番編(10月13日〜14日)

全日本山岳耐久レースのページ
(東京都山岳連盟HPより)

山岳耐久レース
<参加は決してお勧め出来ません!>

自分は意志が弱いので不言実行は出来ないタイプである。
やろうと思ったら気持ちが変わらないうちに周りに宣言して
撤退出来ない状況に自分を追い込む事にしている。
出てしまえば、それなりのプライドはあるので
はやばやと無惨なやめ方は出来ない。
そのうちにみんなが同じように
痛み傷つき苦しみ疲れ果てながら頑張っている事になるから
案外、自分も一緒に頑張り続ける事が出来てしまうものである。
自分が参加出来るような大会は一流ランナーだけのレースではないから
区間タイムの設定も厳しくはない。
大切なのは決して諦めない事である
錆鉄人のウルトラレース走の法則 その

トレーニングは1,400名の参加者中最低であったと思う。
しかしながら、
装備に関してはトップレベルに匹敵する準備をした。
まず、過去の参加者のホームページをつぶさに調べ
ウルトラマラソンと登山の経験を活かして有用な情報を選択し
コージツ・アルペン・ホームセンターを捜し回って購入した。
もちろん、コストパフォーマンス優先で
高機能低価格のものを捜し
さらに手を加えて
1グラム単位の軽量化に努めた。

この無謀な挑戦は感染力が強いので
読後は頭のうがいを忘れないで下さい。



会場への交通機関
最初は新幹線で東京へ行き、電車であきる野市まで行くつもりであったが、東京の奥の奥なので当日出発して間に合うのか心配な上に、自分の場合は何故か自分で車を運転して言った場合よりも電車のほうがはるかに疲れるので、電車なら前日行って何処かへ泊まる必要があった。
参加者のホームページを見たら、どうやら駐車場もあるようなので車で行こうと決めた。(後日送られてきた要項にも駐車場が案内されていた)
娘2人が県外の大学に行っているので家計はピンチの日本政府よりも厳しいのに、すでに装備と参加料で3万円近く使っているので、出来るだけ高速は使わないように、安房トンネル経由で松本に抜けて行く事にした。
登らないで登れる百名山
深田久弥が百名山を編集した時とは違って、道路など交通機関の発達によって、ほとんど歩かなくても最高点に到達できる百名山がいくつかある。
そんなものは山登りいは言えないし、ガイドブックでもピークさえ踏めば良いという考えではなく、見所を紹介する意味から、わざわざ遠い所からアプローチしていたりする。
自分としては百名山を完登しようとは思っていないので無視していたが、松本から東京へ向かう途中に2つも転がっている。しかも、いままで有料だったビーナスラインは無料になっている。行きがけの駄賃としては手頃であり「美ヶ原」と「霧ヶ峰」に寄っていく事にした。この2ヶ所は昔慰安旅行で訪れているので、あるいは頂上を極めているのかもしれないが、明確ではないので行ってコレクションに加える事にした。(別項で紹介予定)
出発〜会場まで
例によって10日夜には布団を敷いて装備も積み込み準備万端で出勤つもりだったが、娘が11日夜帰ってくるというので、積み込みは夜に変更した。
出発は11日午後10時近くなったが、1日余裕があるので上述のようにセーブマネー作戦である。油坂も旧道を通り下道で高山へ、1,700円セーブ。平湯のバスターミナル駐車場に午前1時過ぎ到着し、後席の寝袋の中へ。
午前5時過ぎに、係員がここは駐車禁止ですから、アカンダナ駐車場へ行ってくださいとガラス窓をたたいて告げて回っているので、トイレに行って出発。安房トンネルはかなり迷ったが、あの180度の急カーブの連続ももう滅多に経験出来ないだろうと峠道に回る事にして、さらに750円セーブ。ただし、両方で有料道路を使った場合と比べて1時間近くは余分にかかっていると思われる。

平湯のバスターミナル駐車場から国道158号線に入った途端、車が数珠繋ぎになって停まっている。20分位そのまま待ったが、動かない。1台の軽が右側を走り抜けて行った。5分くらい待つがその軽は戻ってこない。きっと駐車場が閉まっているかなにかで止まっているだけに違いないと判断し、右側を走行して進む。やはり駐車場は閉まっていて、その付近の車は寝ている状況だった。
安房峠には三脚を立てたカメラマンが数人いた。紅葉も見頃という感じだった。
釜トンネル入り口から松本の方へ向かって、しばらくすると一斉に車が走ってくる。中ノ湯の駐車場も満杯に近い状態であるが、松本に向かうにつれ車の台数は多くなり、ついに渋滞状態となっているのを横目に快調に下り松本へ。
松本インターまで高速代7,350円と、距離短縮と下道走行による高燃費によるガソリン代節約分を合わせて8,000円以上は安く済んだと自己満足した。
松本からは美ヶ原と霧ヶ峰に登って、山梨から山越えであきる野市に入った。
駐車場
あきる野市には明るいうちに到着し、コンビニで弁当とビールを買い、駐車場を捜して駐車して食べ、6時過ぎには睡眠体制に入ったが、周りがうるさくて寝付けなかった。それでも翌朝6時頃まで布団の中にいて半分は寝られたと思う。
翌朝、朝食の購入に出かけ、ついでに会場へ行くと、もう大きなザッグを背負った人達が動き出していた、きっと山に登る人達に違いない。正式な駐車場を聞いたが分かる人はいないという事で、8時頃もう一度出かけてやっと分かった。会場から7〜800m離れた所だった。
自分は2台目だった。隣の人は茨城県の人で40代、フルマラソン3時間前後で今年の富士登山競走も完走という強者で、毎年参加しているが無理をせずに23時間位で歩いて、これからのマラソンシーズンに向けた体力作りをするのだという。いろいろと教えてもらった。
 
駐車場のおじさんはとても人が良くて大好きになった。10時頃受付に行って戻ると満杯になっていた。
1泊2日で2,000円だった。
途中で受付に行ったりして、お昼までの間に寝なかったのは少なからぬミスだった。
登りの走り方について
スタート地点のあきる野中学校は標高170mで、スタート直後秋川を渡る為若干下り、神社の手前までは舗装道であり、みんなと一緒に走る事に決めていた。
数年前、富士登山競走のトレーニングで八ツ杉の下の駐車場から天体観測所のある展望台までを走った経験から、ある程度以上の勾配はエネルギー消費と疲労の効率から速歩に限る錆鉄人のウルトラレースの法則 その2)と発見していたので(実際は走り続ける根性がなかっただけである)そういう所は後続の人の邪魔にならないように左端を歩こうと決めていた。速歩で歩いても走る人と余り差が出ないものである。
 
水2L以上・雨具・ランプ・予備電池・行動食・防寒具という必携装備のチェックを通過した人だけが受け付けしてもらえる。これらを持たなければ本当に疲労凍死しかねない過酷なレースであり、参加者の義務である。
レースの作戦
数年前、立山登山マラニック(成願寺川河口から立山の雄山頂上3,003mまで65kmを走る)に出場した経験から(暑さに弱いので朝3時スタート直後から夜明けまでは一生懸命に走り、その後はほとんど歩いたが順位は数人に抜かれただけであった)スタートからの20kmくらいが重要錆鉄人のウルトラレースの法則 その3)と考えていたので、それなりに頑張ろうと考えていた。
登りで苦しい所があっても余り長くは続かないので、平坦路や下りで回復出来ると考えていた。飛ばしすぎで動けなくなる人が結構出てくると書いてあったが、自分の場合、いつも最初に実力以上に飛ばしてしまうが、動けなくなった事はない。動けなくなるのではなく、動こうとしなくなるだけであると思っていた。
 
控え室の体育館。まだ早いので人数が少ないが最後は立錐の余地もなくなる。マット・寝袋持参で少しでも寝ようとしている人がいるが、ざわめきの中で寝られるのだろうか。
スタート
スタートを待つ間、悲壮感はなかった。そんなに過酷なレースだとも思っていなかった。リタイヤの心配もしていなかった。24時間もあるのだから楽に完踏出来ると思っていたので、周りを見て装備の善し悪しを占う余裕があった。
目標タイム14時間以内のグループに並んだが、前のグループにどう見ても12時間以内は無理と思われる格好と体型の人が堂々と並んでいる。自分も少しでも前でスタートしたいと前のグループに紛れ込んだ。
5分ほど前に役員の人が壇上に上がって、全員で完走を誓ってエールを交換した。
そして、スタートした。一斉に走り出すが、全員ザッグを背負っているのでマラソンのスタートほどスピードは出せない。100m程走った所にチャンピオンチップの測定マットがあった。

スタートを待つ参加者
スタート通過者1,301名
スタート地点標高170m
神社の階段
校庭を抜けると秋川の橋まで500m程下り右折して参加者駐車場前を過ぎた所で、太鼓をたたきながらひょっとこの面をかぶった人達が応援していたので、一団から抜けて写真を撮った。ついでにランナーも撮った。ここで一気に200人位に抜かれたと思われる。
ここからは一旦山に登って向こう側に下る。大きな変電所の横を過ぎると、しばらくで神社の長い階段となった。その手前に水場があって飲んでいる人がいたので4人ほど後に並んで飲んだ。
階段は当初から無理をせずに歩く事に決めていた。激しい息づかいで追い越していく人がいるが、あんな高い「燃費」で最後まで持つのだろうかと他人事ながら心配した。

1kmくらいの所での応援
稜線
稜線に出ると、登りの途中で歩き出していた前後の人も一斉に走り出す。走りながら声をかけたら、この辺りのグループは12時間以内を目指してトレーニングを積んでいる人達のようであり、必死で食い下がって進んだ。
アシックスのゲルフジはクッションが良く、山道を駆け下りる時は飛び跳ねるように軽く感じた。白山北縦走路の経験から、足が遊んで指先(爪)を痛めないようにしっかりと靴紐を締めていた。(それでも途中で痛くなり締め直した。)
7kmの入山峠辺りから、ベンチや原っぱのある所に5人10人と腰を下ろして休憩している人がいて、合計数十人は追い越した。

最初の山 今熊神社にて(標高505m)
係りの人に写真を撮ってもらったら
余裕ねと言われた。
ちなみに最後までこの格好だった。
給水と行動食の摂取
給水はチューブを通じていつでも飲めるが、登りの息が苦しい時は肺に入りやすいので、平坦な所で飲もうと考えていたが、走りながらはやはり肺に入りやすい。登り始めた時に歩きながら飲むと良いように感じた。
また、行動食は軽量化にもなるので早めに食べる事にして、一部をウエストポーチに入れておいたが、走りながらは食べる余裕はなかった。
休憩は極力取らないで進む計画だったが、トイレ(小)だけは計画的に利用し腎臓がやられるのを防ぐ必要がある錆鉄人のウルトラレースの法則 その4)と思っていた。
【持っていった行動食(食べた量)】
1.あん餅5ヶ(1ヶ)
2.おにぎり1ヶ(0)
3.ソーセージ2本(1本)
4.ベビーチーズ4ヶ(3ヶ)
5.アーモンドチョコレート150g(80g)
6.イカの姿揚げ5枚(2枚程)

持っていったもの全てを食べてもカロリーが少ないと思っていたが、自分の場合3分の1位しか食べなかったのに17時間動けた。(相当な空腹だったが)
写真撮影
折角だから夕焼けの空に起立している富士山を撮りたいと考えていた。1グラムでも削減を考えているのに、いつも登山に持っていくカシオのQV-2800は大きくて重すぎるので、カシオのEXILIMの購入も検討したが、高い。
おもちゃデジカメに近いが、30万画素でフラッシュ付きのカシオLV-20(単3電池込みで120g)をウエストポーチに入れて持っていく事にした。
写真は休憩にもなると思って暗くなるまでは、道標がある度に撮り、係りの人がいる度に撮ってもらっていたが、フラッシュ未使用にしていたので山の中で感度不足だったのか、ブレばかりだった。
暗くなってからは、疲労で写真どころでなくなったのでほとんど撮影しなかった。

稜線より
右の方にうっすらと富士山が見えたのだが、
残念ながら心眼でも見えない。
第一関門浅間峠(22.66km)
関門の通過タイムはチップで測定してくれるので、時計はマラソン用ではなく登山用の高度計付のもの(カシオのプロトレック)にしていた。とはいっても、各ポイントの高度を覚えていられる訳ではないので、あまり役には立たない。しかし、山を延々と歩いていると何メートル登ったという変化を確認出来るのが唯一の楽しみだと思ったからであるが、夜はメガネを外さないと見えなくて、結局見ている余裕は無かった。
第一関門には4時間02分、243位で到着。予想以上に良い順位であった。記録を見ると通過者は1,280人、それなりの覚悟で来ているはずなのに、早くもリタイヤしている人がいるとは信じられない。自分もあわよくば12時間台が可能かもしれないと思っていたが、そうは甘くなかった。
第一関門には大勢が腰を下ろして休憩していた。
こんな所で休憩しているつもりはなかったが、空腹を感じたので腰を下ろしてザッグからあん餅を取り出した。(ほんとうは安倍川餅を買いたかったが、なかった。嫌な予感がしていた。)1個をやっとの思いで水と一緒に飲み込んだが、甘いものはもう食べられないと思い、ザックの中にしまいこんだ。次にソーセージを出した。これも本当はチーカマを買う予定だったが、チーカマは予想以上にカロリーが低い事が分かったので急遽ソーセージにしたのだったが、うまくない、食べにくい。やはりチーカマにすれば良かったと思いながらまた水で流し込んだ。
次も駄目かと思いながらアーモンドチョコレートを取り出したが、これは食べられた。中のアーモンドが割れる音も良かった。5〜6個食べてウエストポーチに仕舞った。
ここから先はストックの使用が可能なので、ザックから取り出して長さを調節して出発した。
ヘッドライトの点灯
ヘッドライトの点灯は出来るだけ遅くして、足下が見える間は点けない事に決めていた。
登山道は稜線でもほとんどは杉林の中で4時頃でも薄暗い所もあった。ただ、そういう木立の中だったので、直射日光が当たらず暑がりの自分としては有り難かった。
第一関門でウルトラ用の帽子をザッグにしまい、ヘッドランプをウエストポーチに移した。第一関門を過ぎてしばらくでヘッドライトを点けた。空には月も出ていたが、月齢は7日でしかも杉木立に遮られて助けにはならなかった。自分のヘッドライトはLEDであり、白っぽい光なので登山道の凸凹を見分け難いと言われている。
自分ではペースもわからない事もあり、出来るだけ誰かの後を付いていくようにした。

要所で腕時計を撮して時間を記録したつもりだったが、撮影距離や反射やブレで判読出来るものはなかった。時計と一緒にはめているのは、妻が無事を祈ってくれた数珠である。「重くなるので嫌なら走る時はしなくてもいいよ」と言ってくれたが、ずっとはめていた。
突然の死、リタイヤの恐怖
200番台の前半を維持しながら前後の人と一緒に走り、必至で登っていたが、第一関門を過ぎて1時間位の所の、たった100m程の登りの途中で突然足が死んだ。
30cm程の段差なのに体が持ち上がらない。ゼーゼーハーハー全力でストックを使っているのにである。こんなに早く駄目になるとは信じられなかった。まだ、総標高差の半分せいぜい千数百メートルしか登っていないはずであった。それでも1歩1歩あえぎながら体を持ち上げた。
後ろの人の迷惑になると考えたのは言い訳ではなかったが、道を譲ってストックにもたれた。1分程あえぎ水を飲んで登り始めたが、こんな短時間では足は回復していない。それでも登り切ると今度は下りである。前の人が走るので自分も負けずに走った。
数百メートル走ったら登りになった。すぐに足が死んだ。こんな数分足らずでは回復しないと分かっていたが、苦しい、悔しい、情けない、あえぎ続けた。
何度、小さな登りを繰り返した事だろうか。足は永遠に回復しないのではないか、本当に死んでしまったのではないかと弱気になった。これからこのレース最高標高の三頭山(1,527m)の登りが控えている事だけは頭に入っていた。
リタイヤの予感が頭の中に広がった。このレースに参加するだけでも充分無謀ではあるが、この足で残る3〜4カ所の登り(他にも小さな登りはたくさんある)を登る事は想像出来なかった。
【原因の推定】
9月22日の白山北縦走路の過激な筋肉痛が完治しない状態で6日福井マラソンのハーフを走ったので、かなりの筋肉がダメージを受けていた所に、飛ばしすぎによる過負荷が加わった為と思われる。
ゴールへの意欲と計算
リタイヤの言い訳を必死で考えたが、自分を納得させる理由が浮かばなかった。もう頭まで死んでしまっていたのかも知れなかった。
休み休みでも動ける間は前進し、タイムアップまでは絶対に諦めないと決めた。
死んだ頭で、1秒でも長く動き続ける為にはどうしたら良いかを一生懸命考えた。タイムはもう問題ではなかった。まず、走るのはやめる事にした。薄暗いヘッドランプの明かりの中、ふらつく足で走ってこけたら大ケガをしないとも考えられない。24時間動くには安全第一だと思った。
次に体力・筋力を徹底的に使い果たすまで頑張るのはやめようと思った。バッテリーも完全に放電した場合、回復しなくなるように、僅かな体力・筋力の回復も望めなくなるのではないかと思ったからである。しかし、すでに完全放電状態のような気もした。
最大の三頭山への登りは、50mも登ると動けなくなった。それまで何十人も見てきたように、コース脇の草の上に倒れ込んだ。熱い足に冷たい草が気持ちよく、回復が早くなるような気がした。あえぎが少し治まると水を飲んで立ち上がった。
ゴールへの設計図と錯覚
際限なく続くような苦しみも、いつかは終わると分かっていたが、頂上は遠かった。
待望の頂上に着いた時、頭の中には辛い登りの間に描いたゴールまでの設計図が出来ていた。すぐ近くに第二関門があって、もう大した登りもないからきっとゴール出来るという設計図だった。
しかし、自分のゴールまでの設計図は測量がいいかげんで(ちゃんと地図や資料を記憶していなかった)デタラメだった。
下っても下っても着かない。フラフラという体の状態はとっくに通り過ぎていたと思うが、歩く事に全神経が集中していたので、しっかり歩いていたと思う。ステッキの効果もあってこけずに歩いていた。
明かりがあって係りの人がいた。道標に鞘口峠と書いてあった。関門まであとどれくらいですかと聞いたら、「もう4km位よ、頑張って!」と言われた。目の前に登りがあって、先行者の明かりが点々と見えていた。
もう誤算や錯覚を悲しむ力も残っていなかった。その言葉を無表情に受け止めて、それでも「有り難うございます。」とお礼を言って、登りの一歩を踏み出した。
そのうちに遠くに明かりがたくさん見えた。あれが第二関門の月夜見山第二駐車場だと思ったが、遠かった。遠いという事実を受け入れるしかなかった。
やっと舗装道に出たのですぐ先かと思ったが、そこからまた1km程歩いた。
第二関門 月夜見山第二駐車場(42.09km)
再び舗装道路に出た。係りの人があの先ですとカーブの先を示した。左側を歩いていたが、本能的にカーブを内回りして距離をセーブした。そんな行動をする自分に感動した。
関門には「俺達はやれる!」と横断幕があった。係りの人の前に左足を出してタイムを計測してもらう。
順番もタイムも気にかけていなかった。
2枚のブルーシートの上には、寝ている人や食事をしている人さまざまで合計20人近くいた。腰を下ろしてザックを降ろすと、隣に人が座った。狭くなって嫌だなと思っていると、「内緒でお願いしますが、テープがあったら分けて貰えませんか。」と言われた。水を含めて他人から援助を受けた場合は失格と書いてあった事を思い出した。「済みません、持っていません。」と答えたが(本当に持っていない)あの人はゴール出来たのだろうか。

関門内のブルーシートの上から写す
給水
ここはコース中唯一の給水所であった。
まず、自分の水の残りを確認した。プラティパスの中に僅か(200ml位)と、500mlペットボトルに半分程残っていたので、ペットボトルの水を思いっきり飲み干した。それまで残量を気にしてチビリチビリとしか飲めなかったので、とても幸せな気分になった。
ここでは水かエネルゲンが1.5リットル支給される。参加者のホームページで甘いエネルゲンは後半受け付けなかったと書いてあったし、自分もポカリスエットに飽いていたので水をもらう事にした。
上の写真の右の方が給水所のテントである。プラティパスからチューブを外して一番左の係りの人の所へ行った。エネルゲンと何かの天然水の1.5リットルボトルとじょうごが並んでいた。どちらにしますかと聞かれて迷うことなく「水をお願いします。」と行った。
係りの女性はプラティパスの口にじょうごを差し込み、ペットボトルの栓を抜いてペットボトルを勢いよく傾けた。じょうごを飛び越していくばくかの水が地面に消えた。「あら、ご免なさい。」と軽く言われたが「命の水なのに・・・」と恨めしく思った。後でこの地面に消えた水が本当に恨めしくなるとは思わなかった。
ゴールまでの設計図にミスがあることは分かったが、知った所で歩く距離は変わらないと思い、地図を取り出すのはやめた。
再びの苦しい登り 御前山(1,405m)
自分の設計図にはもう高い山はなく、いくつかの小さなピークを越しながらゴール地点を目指すことになっていた。従ってゴールは確実なものに思え、力が湧いてきた。第二関門を15分くらいで立ち上がったが、広い駐車場なので何処へ向かえば良いかわからずうろうろ、そこらの人に聞いてやっと出発出来た。
どんどん下っていった。しばらく休んだ効果もあってか快調に進み、先行者に追いつく。
そうしているうちに、ちょっとした登りとなった。終わらない。登りが続く。回復したかと思った足は再び放電状態になった。ベンチで休む、途中で休む、草原で寝転ばる、石に腰を掛ける、木にもたれかかる・・・全力で休んで、全力で登った。
やっと上り詰めた所は御前山(1,405m)だった。後で地図を見ると小河内峠(1,030m)から400m近い登りだった。
疲れ果てた人達が大勢休んでいた。何人もが寝ていた。仲間内でこのコースに3つあるきつい登りの一つだと言っているのが聞こえた。

自分にとっては、登り切ったという事が希望だった。少し休んだだけですぐに出発した。眠気よりも少しでも進みたいという気持ちが強かった。まだ、下る筋力が残っているだけが取り柄だった。
最後の苦登 大岳山(1,266m)
きつい下りが続いていてもゴールへ近づいていると楽観していたが、設計図に消えていた最後のきつい登りが控えていた。
苦しくても寝ころばる草原のない岩石まじりの登りだった。上の方でこれが最後の登りだから頑張れと言っている声が聞こえた。こんなボロボロの自分よりも遅い人もいた。もちろん、早い人もいた。上を見るとあんなに高いのかと絶望感に襲われるので、目の前の登山道のみを見ようと思っていた。
ひっきりなしにストックにもたれかかってあえぎ、ひっきりなしに水を飲んだ。唇が腫れているような感じで、いくら飲んでも渇きは癒されなかった。みるみる水量が減っている感じがして、水が切れてリタイヤした人の話を思い出し心細くなった。
やった!遂に最後の山を登り切った。
ベンチに座って休憩している人達の顔も希望に輝いているように見えた。ベンチの傍らにエマージェンシーシートを広げて寝ようとしている人がいた。すぐにピクリとも動かなくなって眠った事が分かった。
隣の人が地図を出したので一緒に見せてもらった。自分が初心者だと知って、「ここの下りはクサリ場もあって危険ですが、その先はもうずっと楽な下りですよ。」と教えてくれた。気がかりな水場を聞いたら、御岳山にあったはずですと言う。「何とかの滝のところにあると書いてあったのですが」と聞くと、ああここですねと地図を指して教えてくれた。そんなに遠くない所にあったので安心した。
お礼を言って出発した。
水場
岩場のやや急な下りが続いたが、クサリはなかった。どこにあるのだろうかと思っているとやっとあったが、クサリ場と言っても少しも険しくはなかった。
急な下りの終わりごろに数人の集団に追いつかれて道を譲った。集団はいいペースで下って行くので一生懸命に着いて行った。
やがて「水場だよ」という声がした。登山道が濡れていて、そこから5m程登った所に1本のパイプが突き出ていて水が出ていた。助かったと思った。
水の出口に1人の人が給水していた。急な斜面でザッグが転げ落ちそうな所であったが、何とか置いてプラティパスを取り出した。水の出が悪かったので予想どおり底をつきかけていた。500mlのペットボトルで水を汲み、まず思いっきり飲んだ。ほとんど1本分飲んだ、冷たくてリフレッシュした気がした。それから2杯分プラティパスに汲んで、最後にもう1回飲んで、ペットボトルにも満タンにした。合計1.5リットルあり安心出来た。
奇跡の回復 第三関門
水場の少し手前から緩やかな下りが続き、スリップの危険性もない快適なルートであった。ちょうど前を行く夫婦連れと思われるペア(実際は違っていた)が時速6〜7km程度の快調なペースで歩くので、足の痛みを堪え後を着いていった。
「楽な下りですね」というと「後は日ノ出山の所で少し登りがあるだけです」と教えてくれた。
大岳山から1時間程のゆるやかな下りの連続に、死んだ足が復活した。御岳山への緩やかな登りでは、そのペアに遅れず休憩もせずに着いていく事が出来た。
遂に第三関門の長尾平に到着した。係りの人が誘導してくれ、タイムを計測。ベンチには数人が休憩していた。
導いてきてくれたペアは休まずに行くというが、自分は少し休憩する事にした。(後で記録を見ると、何処で追い越したのだろうか。途中で潰れたのかも知れないが、自分より30分程遅くゴールして340番台になっていた。)
アーモンドチョコレートを5〜6個食べ、水を飲んだ。そういえば、水場で水を飲んでから、余り飲まなかったような気がした。
ここもあまり時間をかけずに出発した。自動販売機が並んでいたので、あれを買って飲んでもいいですかと聞いたら失格ですと言われた。
階段を少し下りた所で行き先が分からずに次の人を待って聞いた。右へ曲がるとの事だった。分かったので、左側にあったトイレに行った。手が洗えるのがうれしい。すると、行き先を教えてくれた人もトイレに来たが、僅か10m足らずの差だと思うが、手前側の女性用のトイレに入って「大」をする音が聞こえた。
まだあった登り
御岳山からも下りが続き、やがてペアに聞いた日ノ出山への登りが始まった。足は結構回復していて50m、100mとぐんぐん高度を稼いで何人かを追い越した。階段を上がりきった所に係りの人がいて、もう一段10m程の小高い所があって階段が続いている。登ったら降りるだけに見えたので、あれを登るのですかと聞いたらそうだという。案の定登ったら降りるだけだった。係員はここを登らない人がいないように監視しているのだと分かった。
あとは尾根を降りるだけだと思っていたが、かなりの登りがある。その前あったコースの案内板からは500m以上歩いたと思われたので、道を間違えたと思い、立ち止まって誰か来ないか待ち、来なかったら戻ろうと考えた。
しばらくするとライトが見えランナーが追いついてきたので、「コースはこれでいいのですか」と聞いたら「いいよ」と言う。
その人は素晴らしいペースで歩くので食いついていった。いくつもいくつも小さな登りがあったが、足はかなり回復していたので、その人と同じペースで着いて行けた。何人もの人を一緒に追い越した。走ってくる人が追いついてきた時は一緒に道を譲った。
そして明るくなった。ヘッドランプを外してウエストポーチに仕舞った。車の音も聞こえて来て、もう少しで人里かという所で「小」をした。先導してくれた人は100m程先に進んでいて、必死で追いかけるが詰まらない。やがて神社に出て、急な車道が延々と続いていたが、それまで走らなかったその人は走って見えなくなった。
ゴールへ
車道は本当に急な下りで歩くのが困難なくらいであったが、走らないと決めていたので歩いて下った。
そして遂にアスファルト舗装の一般道に着いた。急に緩やかな下りになり、道路にテープで方向が示してあった。神社の車道から市役所の建物が見えたので近い事は間違いなかった。後ろを振り返ると30m位の所を女性が走ってきていた。ここまで来て追い越されたくないと思い、遂に走った。交差点をいくつか曲がったらゴールが見えた。両手で万歳してストックを頭の上に掲げてゴールした。写真を撮ってくれていたので送ってきてくれるのかもしれない。
「総合296位です」と言われ耳を疑った。完走Tシャツをもらい、「完走証が出ますから待っていてください」と言われ、横の椅子に座っていると、すぐに完走証が出来た。
「17時間13分29秒 男子40代63位」
宝物だなと思った。折れ曲がらないように慎重にザックに入れ、そっと担いだ。
駐車場まで約1km、満足感一杯でヨタヨタ歩いて戻った。途中自動販売機を捜したがビールはなかった。車に潜り込んで17時間働いてくれたシューズを脱ぎ、靴下を脱いだ。ドリンクとジュースと水とコーラを飲んでから、妻に「さっきゴールして今車に戻った、総合296位だった、もう寝る。」と電話した。着替えをして、足がホコリだらけだったので違う靴下をはいて布団に潜り込み、直ぐに寝たが日光が当たって暑くなったので1時間足らずで目が覚めた。
遅くなって名古屋の手前で渋滞に巻き込まれたくなかったので、もう寝ずに出発した。途中で注意力が衰えると危険だと思ったので帰りは高速で帰った。山梨県と長野県のサービスエリアでで1回ずつ1時間ほど寝た。渋滞は始まらない間に名神に合流し、夕方家に戻った。
無謀な挑戦 総括
【得た物】
1.滅多に出来ない貴重な体験
2.完走Tシャツ(安物ではない高級素材)
3.完走証(額に入れて飾りたい)
4.自己満足
5.筋肉痛
【誤算】
一杯あったが、食糧計画が一番狂った。レース中に食べたものは、持っていったものの3分の1位で大半は持ち帰った。摂取カロリーは1,000kcal未満ではないかと思われる。空腹感はあったが動けなくなる事は無かった。
14日夜、スタミナ回復にと焼き肉を食べた後体重を計ったら、出発前と比べ4kgも増えていた。やはり腎臓の処理能力を越え、全身かなりむくんでいたように思われる。

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無謀な挑戦の感染
夜、仕事から帰ってきた妻が、娘2人から「もうお父さんにフルマラソン以上の無茶はさせないで。」と言われたと告げた。
レースの様子を話し、「全国で1,400人の馬鹿な人の中でも300番以内に入ったのだから、かなり立派な馬鹿だ!」と自慢した。
「お母さんならもっと早くゴール出来るのは間違いないから、40代女性の部で入賞出来るよ。」と言ったら、「私、山なら結構自信があるのよ。」とたちまちその気になって、来年一緒に出場する話しになった。
どうやら、この「馬鹿」は感染力が強いようであり、これを読んだ人は「頭のうがい」を忘れないで下さい。

(ゴールの写真を送ってきてくれたら載せます)

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