ヘトヘト・ニッコリ・ヘトヘト悪沢岳
(撮影平成14年7月30日〜31日)

ワンゲル部で縦走中の娘とランデブー
悪沢岳・赤石岳

何故この山を選んだかと言うと、まだ登った事がない百名山である上に、
某大ワンゲル部に入った娘が南アルプス縦走をこの時期に行うので、
あわよくばランデブーしようという計画である。
休日勤務の妻の休みに合わせて夏休みを30,31日に取る事にして、
荒川小屋キャンプ場で幕営する計画を立てた所で、娘から行動予定が送られてきた。
なんと、同じ日に同じ場所で幕営予定であった。
しかしながら、28日娘から携帯のメールで、
「列車の人身事故で運休になって、予定が1日遅れになるから、逢えなくても心配しないで」
という連絡にがっかりする妻であった。
さて、この2つの山を登る場合、
通常は椹島から出発して戻ってくるルートを取るが、
家から椹島までの距離が長く時間もかかる為、
寝る時間が取れず(特に高速を下りてからの道路が曲がりくねっていて長い)
さらに東海フォレストが一帯を仕切っているので、
山小屋に泊まらないとリムジンバスに乗せてもらえないシステムになっていて、
費用がかかってしまう。
(バスに乗らなければ林道を5時間も歩くはめになるらしい)
標準コースタイムは34時間余りの超強行軍ではあるが、
前日夜出発の1泊2日で鳥倉林道から三伏峠経由で悪沢岳・赤石岳に行く計画とした。
ただし相当にハードな計画であり、
体調によっては赤石はカットしようと考えていた。

どうやって行くの?
中央高速道を松川インターで下りて、一般道を東へ約40km。道路は曲がりくねっていて、さらに半分は山道となるのでスピードは出せない。自宅から4時間半と計算し、遅くとも7時には出発出来るように、前日から準備を整えておいた。
鳥倉林道のゲートは標高1,600m。日本一の峠という三伏峠までの標高差が最も少なく時間がかからない。後はほぼ2,500m以上の稜線歩きとなる。

標準コースタイム
【車】片道約310km
自宅(12km)武生インター(260km)松川インター(約40km)鳥倉林道駐車場
【足】予定(実際)
1日目 予定のコースタイム 16:30
鳥倉林道駐車場(0:30)登山口(3:30)三伏峠(2:10)小河内岳(3:20)高山裏避難小屋(3:00)中岳分岐(1:50)悪沢岳(1:40)中岳分岐(1:00)荒川小屋(幕営)
実際のコースタイム 13:30(悪沢往復をカット)
中岳分岐(1:00)荒川小屋(幕営)

2日目 17:40
荒川小屋(3:00)赤石岳(2:20)荒川小屋/朝食・撤収(1:50)中岳分岐(2:00)高山裏避難小屋(3:40)小河内岳(2:10)登山口(0:30)駐車場
実際のコースタイム 15:50(赤石をやめ悪沢に登る)
荒川小屋/朝食・撤収(1:50)中岳分岐(1:50)悪沢岳(1:40)中岳分岐
【タイムテーブル】
29日
自宅18:55−(松川のコンビニで朝昼食購入)−鳥倉林道駐車場22:50
30日
起床2:40(朝食)−出発3:15−荒川小屋13:55
3時に出発して、三伏峠で御来光の計画であったが、出発が遅れた為、峠の直前での御来光となった。
31日
起床3:30−出発5:20
3時少し前、天場は動き始めるグループがいて目が覚めたが、まだ早いので寝ようと思っても寝られない。3時半にトイレ横の発電機が始動して轟音を立て始めたので、あきらめて起きた。
鳥倉林道駐車場18:38−自宅23:50
名神で「一宮−岐阜羽島間事故渋滞2km」の掲示が出ていたので、ノロノロ運転していたら寝てしまうのではないかと思って、尾張一宮PAに入って仮眠。20分程で目が覚めるが、名神の車の流れは順調なように見える。トイレへ行って、PA設置のコンビニでアイスクリームを買って食べながら出発。今立町の入り口で検問に会ったが、無事通過し自宅到着。濡れたままのテントを干したり最低限の片付けをして、ビールを2本飲んでやっと寝た。
装備
まっとうな登山で幕営するのは久しぶりであり、昨年買った2人用テントが初めて役に立つ事になった。
ザック;アルペンで購入(50L+10L)8,980円
テント;アライ・エアーライズ2(1,680g)
マット;サーマレスト・ウルトラライト3/4
寝袋;三期用
ガスコンロ;プリムスP-121Aマイクロバーナー(115g)
コッヘル;エバニュー(30年もの)
;途中水場があるので1人1.5L準備。ポカリ粉末も持参
その他;食料(下記参照)雨具など
重量約14kg(軽量化の為、装備を厳選)

【妻の装備】
ザック;アルペンで購入38L(3,980円)
マット;モンベルエアーマット(妻は軽いので破れ難い)
寝袋;ダウンハガー#3(ちょっと暑いか?)
シュラフカバー
雨具;防寒具兼用
水;1.5L
日焼け止め;必需品
その他;食料の一部、コーヒー
重量約8kg
テント泊で38Lは小さく、この後もこのような山行が可能なら50L程度のものが必要。自分はショイナードのアルティマツーリー70Lにして妻に50+10Lを譲るか、買う事になるが、現在5つ(上記以外に40Lとデイバッグ)ザックがあるのに妻が認めるかが問題である。
食事計画
いつもは日帰りの強行軍なのでコンビニ調達のおにぎり・パンなどで済ませ時間がかからないようにしているが、妻が今後も同行してくれるように幕営の楽しみを味合わせる為にメニューに気を配った。
食料
30日朝・昼;コンビニ調達のおにぎり・パン
30日夕;フリーズドライ牛丼・すきやき丼
30日夜;α米+ビビンバ
31日朝;ラーメン
31日昼;餅(水で戻すタイプ)
予備;ラーメン(持って行くのを忘れた)
行動食;カシューナッツ、干しぶどう、コーヒー飴
【カシューナッツ】100g当たり600Kcal近いカロリーがあり、歯応えも柔らかく適当な塩分・ミネラルの補給にもなる。

左上から麻婆春雨、白米ビビンバ等、餅
ラーメン、みそ汁、五目ご飯、牛丼、スープ類
駐車場
登山口にも数十台駐車可能な駐車スペースがあるが、地図上では約2km手前にゲートがありそこの駐車場に駐車する事になっている。
駐車場に着いたのは29日(月)午後10時50分頃であったが、何と約40台駐車可能なスペースが満杯であったぐるりと回って2台分のみ隙間があったので、そのスペースに潜り込んだ。室内灯が点いたままの車があったので、トイレへ行って戻りに寄ってみたが消し忘れであった。ロックしてあるのでどうしようもないが、無事エンジンが掛かって帰れるか心配であった。


31日18:38 やっと駐車場に戻り着く
車はやや少なくなっていた
室内灯消し忘れの車もなくなっていた
登山口
地図上では登山口まで約2km30分とあるが、ゲートが後退した所に変わったようで、約3km45分と思われる。
我々は2時40分に起きて3時15分に出発し、かなり急ぎ足で歩いたが30分かかった。
登山口から三伏峠までの登山道は森林の中で急な登りもなく、案外あっさりと三伏峠に到着する予定であるが、妻が足が疲れていると訴える。どうやら、27日の花ハスマラソンの影響らしい。たった2kmではあったが練習とは頑張ったという事であろうか。実を言うと自分もこんなはずでは・・・と思いながら歩いていた。

3:44 登山口
御来光
前回、このコースを登ったのは6月9日だったが、5時頃に三伏峠で御来光だった。各地の日の出日の入りの計算(国立天文台)を調べ、この時期の御来光は23分遅い事を確認、テントなどでザックが重く気温が高い事を考慮して2割余計に時間がかかると計算し、登山口出発を3時40分と予定していたが、5分遅れた分、峠の直前から御来光を見る事になった。


塩見岳の肩からの御来光
三伏峠(2,615m)
三伏峠には5時25分に到着した。
写真の左端は蛇口があって(当然、宿泊者のみと書いてある)、水を出しっぱなしにして顔を洗っている人がいて、水がないはずではないかと他人事ではあるが気になった。
ここから次の烏帽子岳へは地図には小屋のすぐ横から行くルートがあるが、崩壊して」危険なために迂回するルートしかなかった。

烏帽子岳(2,726m)
烏帽子岳には6時25分に到着。

       塩見岳をバックに
まだまだ元気とは言え、妻に遠くに見える山の向こうまで行くとは、とても説明出来なかった。

     烏帽子岳よりはるか遠く悪沢岳を望む
小河内岳(2,802m)

小河内岳に7時27分到着。
富士山がきれいに見えていた。手前に黒く避難小屋が写っているのが見えますか?
小屋はルートから少しだけ外れた所にあったので寄らずに通過しました。

高山裏避難小屋
小河内岳から高山裏避難小屋までは結構遠く、荒川前岳が遠くにそびえているが、登山道は右へ大きく迂回して遠ざかるような感じで続いているので、途中で何回も地図を広げて間違っていないか確認した。ところが、カシオのプロトレックを電池交換に出して戻ってきたばかりの所をはめてきたのであったが、方位計がでたらめになっているようで、現在地さえ特定できず不安になり、戻ろうかと何度も思った。そんな訳で20〜30分ほとんど進んでいなかったので、かなり以前に追い越した人に追いつかれた。聞いたら「ここしばらくはこんな感じですよ」との事で安心した。しかし、目指す荒川岳は高くそびえるのに嫌になる程鞍部は下に見えていた。

もういい加減にいやになる頃、高山裏避難小屋に到着、10時ちょうどであった。高山「裏」という名で暗いイメージを持っていたが、明るいお花畑の中にあった。本当に小さな小屋であった。

水場は往復15分と書いてあったので、下りていこうとしたら、小屋番の人が2階から「何処へ行くんや」と大声で言った。怒られるのかと思ったが、「水を汲みに」と言ったら、「そこにも書いてあるが、荒川岳のほうへ20〜30分行った所に細いけど水場があるよ」との事だった。お礼を言って戻った。
水場
小屋から少し進むと木立の中に天場が散在していて、番号を書いた札が立っていた。直射日光が当たらなくて暑くなくていい天場だと思った。小屋から20分程で水場があった。
細いという事ではあったが、チョロチョロではなくちゃんと水流になっていて、500mLのペットボトル一杯になるのに20秒位だった。(夏の終わりには涸れるのかもしれない)冷たくておいしかった。ちょうど持ってきた水もなくなる頃で、1000mL1本と500mL4本のペットボトル全部に給水して出発した。
荒川前岳への登り
高山裏避難小屋から水場にかけては、まだ少し下っている感じで、腕時計の表示は標高2,400m位まで低下した。という事は標高差で700m程登る必要があるという事である。
樹木帯を抜けたらガレ場の登りとなるが、目指す荒川前岳は高く立ちはだかっていた。ガスってきて日光が当たらないので暑くなくて助かった。小屋からここまでで2人を追い越したが、さえぎるもののない登りなのでだんだん差が開いていくのが分かった。とは言っても妻も疲れている様子で、頻繁に休憩してかなり大量に水を飲んでいた。

         11:37 撮影
悪沢岳
12時半頃から尾根歩きとなるが、右側は怖いほど垂直に崩れ落ちている。妻はビビリまくって進んでいた。
荒川前岳には12時49分到着。
荒川小屋への下り
悪沢岳に登って荒川小屋へ行く当初の予定はとっくにやめようと思っていたので、分岐から荒川小屋へと下る。
小屋へはまたかなりの標高差があり、「明日またここを登らなあかんのやね」と妻がこぼす。「優美ちゃんに逢える気がするよ」と妻を励まして下る。何と自分の予感は正しかったのであった。
両側は高山植物の花盛りで、今回のコースで一番のお花畑があった。

          一面のお花畑
荒川小屋
1時55分、荒川小屋に到着。テント場の申込をする。宿泊者と同様に申込書に住所氏名等を記入し、明日は何処まで行くかを記入するが、鳥倉の駐車場と書いたら小屋番の人が驚いていた。「2日しか休みがないので・・・」と答えたら出発した時間を聞かれ「早いねえ」と言われた。
ついでに、京都府立大のワンゲル部が来ていないか尋ねたら、「ワンゲル部いたよ」と言って申込書を調べてくれたが春日部高校だった。しかし、それを聞いていたおばさん数人組が「京都府立のワンゲルなら途中で会ったけれど、ここへ来ると言ってたよ」「すごい大きなザックをかついでいて、スイカも入っていると言ってたよ」「電車の事故で予定が狂ったけれどトラックに乗せて貰ったと言っていたよ」・・・妻を見て「そっくりだね」「いい娘さんだったよ」とほめてくれた。
妻は来た甲斐があったと大喜びであった。

インターネットで調べた通りテントは1人600円
天場
小屋番の人が天場はこの辺りなら水場が近くていいよと図を出して言ってくれた。少ないからどの番号の所でもいいとの事だった。旧小屋のすぐ下のこの天場は、すでに4つのテントが張ってあった。
お隣さんにお願いしますと言ってテントを立てた。その間に妻に水を汲んできて貰った。このテントの使用は初めてであったが、スムーズに組み立てられた。娘が捜しに来たら分かるようにと、ここにいますと紙に書いて、妻がタオルにピンで止めた。タオルからも分かるように粟倉武蔵マラソンのタオルを使用した。
凍らせて持ってきた缶ビールが1本残っていたが、まだ少し冷たかった。ビールを飲みながら夕食を作って食べた後、中に入ってすぐに昼寝をした。
30分余り寝たら娘の声が上の方から聞こえたような気がして目が覚めた。(正確には目が覚めたら聞こえた)

天場はほとんど虫がまとわりつく事もなく、快適であった。
ワンゲル部
上へ行くルートがわからず小屋まで上がって迂回して行ったら、娘が手を振っていた。みんなに挨拶し、しばらく娘と話しをした。昨日はじゃんけんで勝ったのでテントの端だったので涼しくて良く寝られたと言っていた。元気そうで、楽しそうで安心した。テントを教えて後でおいでと言って自分のテントに戻った。
妻に「やっぱり優美ちゃんだったよ」と言うと、今度は妻が差し入れだと言ってミニトマトを持って会いに行った。
戻ってきてから2回目の夕食の準備をした。ビンは重いし割れる恐れがあるからと言って買ってきた容器が、臭かったからコーヒーは持ってこなかったと妻はちょっと残念そうであったが、牛丼やスープ、みそ汁と全部おいしく満足であった。
食事を終えて娘が「おいしかったよ」と言ってミニトマトのプラスチック容器を返しに来た。ザックは25kgくらいだと言う。肩を痛いだろうと言って揉んでやろうとしたら悲鳴を上げた。赤く腫れているのを自慢そうに見せた。

       ワンゲル部の一行と
娘によるとリーダーの陽子先輩(前列中央)は先輩の差し入れを一杯担いでいるので35kg位あるのではないかという事である。
御来光
暗くなる前にテントの中で就寝体制に入ったが、9時過ぎまでほとんど寝られなかった。しかしその後はしっかり寝られた。
3時前に周囲が動き始めたので目が覚めた。まだ早いので寝ようと思うが眠れない。3時半、トイレの横の発電機がうなりを上げ始めた。しかたがないのでトイレに行ったが、発電機に近いワンゲルのテントはまだ静まっていた。ここのトイレは水洗で気持ちが良かった。
朝食はラーメンにした。いつもは体に悪いと言って妻はラーメンのスープを飲まないが、汗を一杯かいているから塩分の補給も重要だと言って飲ませた。スープとみそ汁も作って、のんびりしているうちに、周りは出発していった。テントを撤収してトイレに上がったら、ワンゲル部は出発していた。ここで御来光を見て、小屋番の人に、娘にも会えましたとお礼を言って出発した。
5時25分、長い1日の始まりであった。

     5:14 荒川小屋からの御来光
         (夕日モードでの撮影)
荒川小屋を振り返る
赤い大きな屋根が荒川小屋新館。左下の青い屋根が荒川小屋の旧館で、その下の広場が我々がテントを立てたもっとも広い天場であり、水場はその天場から20m程手前側(写真の)に来たところである。旧館の真上に見えるのが立派な水洗トイレであるが、発電機が止まるので、朝のうちと午後3時半以降しか使えない。(朝いつまで使用出来るかは知らない)
この水洗トイレが使えない時間帯は、旧館の左側に見える旧トイレを利用する。(汲み取り式ではあるが、利用が少ないので案外きれいだった)

尚、荒川岳稜線の荒川小屋分岐からは手前の尾根に隠れて荒川小屋は見えない。

後ろは赤石岳であるが、いつもガスに隠れていた
荒川小屋分岐
分岐までの途中で娘達の一行を追い越した。彼らもこの後悪沢岳に登るので、もう1回すれ違う事になる。
花の写真を撮りながら登っていると、昨日下る時は気付かなかったクロユリが咲いている事に気が付いた。いつものように超特急で歩いていると、やはり目に付かないものがあるのだろうか。
尾根に登り着いた所の小屋との分岐点で、自分のザックはデポして妻のザックだけにして悪沢を往復する事にして、若干の中身の入れ替えを行った。(右後ろに黒く見えるのがザック)
インターネットで中岳避難小屋でザックを300円で一時保管すると出ていたので、山でも盗難が増えているという事かと、若干心配しながらの出発であった。

ザック詰め替え後 6:40
悪沢岳へ
分岐から中岳はすぐ近くでほとんど平坦であるが、悪沢岳へは結構えぐれていてしかも遠い。若干は手を使わなければならないような所もあって、恐がりの妻は「怖いところはないと言っていたのに」とこぼす。「怖い所なんてどこもないよ」というが、「もし滑ったらあんな下まで落ちて死んでしまう」と言い恐々歩いていた。

鞍部は200m位の標高差があるようだ。鞍部から頂上は案外近いと見えるが、登ってみると頂上はまだかなり向こうにあった。(ガスに霞んでいるのが悪沢岳)

ガスに霞む悪沢岳を目指す
悪沢岳(3,141m)
悪沢岳頂上の手前で雷鳥の親子連れに出くわし、親子一緒の所を取ろうと待つが、親が移動しているうちに、ちょうど真ん中に自分達がいる形になってしまい、親鳥はピーピー呼びかけるが、ひな鳥は我々を警戒して動けない。
可哀想なので、あきらめて頂上へ向かい、頂上には7時44分到着。今年4座目の百名山征服であり、通算ではそろそろ30位と思われる。(ちなみに百名山制覇は目指さないと思う)
千枚岳から登ってきたという2組のパーティがいた。中年の夫婦連れは何だか取っつきにくい感じだったので、親子連れ(親は60才位だろうか)に写真を頼んだ。

自分は、靴と時計以外はウルトラマラソンを走る格好そのまま
塩見岳
悪沢岳頂上より塩見岳を見ると、いったい何処まで戻らなければならないのかと思う程、はるか遠くに見える。小河内岳避難小屋が良く見える位置にあるが、それさえもはるかに遠く、又しても妻には何も説明出来なかった。
中岳
頂上から中岳、前岳がよく見えたので、娘達が来ないか何度も振り返りながら登ってきたが、頂上に着くまで視界には現れなかった。
中岳は手前のピークであるが、前岳の位置は判然としない。避難小屋は中岳から悪沢岳方面に少しだけ下った所にあるがこの写真では判別不能である。

なだらかに続いて見えるが、悪沢岳側にはやや険しい岩登りが隠れている
雷鳥の親子
しばらくして頂上を後にすると、登りで雷鳥に出会った所で雷鳥の親子にまた遭遇した。こんどは雛が2羽いると言っているうちに4羽、5羽と増え、何と6羽もの雛がいる子だくさんの雷鳥であった。
岩の上に立って雛を見守っている親鳥は毅然とした様子で、6羽の雛を育てている威厳を感じた。
炎天下の車の中に子供を放置してパチンコをしていて死なせてしまう親、深夜のゲームセンターの駐車場の車の中に子供を置き去りにして、遊び呆けていて子供が殺された馬鹿な親に見習わせたい位である。
ワンゲル部との別れ
雷鳥の写真を撮ってから中岳方面を見ると、中腹を下って来ているワンゲル部の一行が見えた。みんなデイバッグを担いでいた。相変わらず妻は恐々下りているので、頂上で一緒になった夫婦連れにも追いつけず、逆に差が付いてしまったが、ゆっくりでいいよと声をかけながら下りた。鞍部ですぐ娘達が来るのが分かったので待ち、「長い日程だから気を付けて」「頑張って」と別れの挨拶をした。「今日は何処まで」と聞かれたので、「明日は仕事なので鳥倉林道の駐車場へ下りて福井へ帰る」と答えたらびっくりしていた。
娘に会うために普通なら3泊4日のコースを1泊2日で計画したのだから、雷鳥よりも親バカかも知れないと思った。

中岳から鞍部へ下ってくる一行
中岳避難小屋にて
中岳避難小屋に着いて、ビールを買って飲んでいると、昨日荒川小屋で娘達の事を教えてくれた中年おばさん軍団が悪沢岳に向かうのに会った。
「やはり小さい頃から山に連れて行っているの」と聞かれたので、5才の時に西穂の独標に登ったのが始まりで、富士山、白馬、槍と毎年お盆に登った事や、去年は受験生だったけれど御嶽山に一緒に登った事を話した。
「この親にしてこの子ありね」等と言われていい気分であった。
ビールは小河内岳避難小屋で買った時も350mLが600円だった。南アルプスは物価が高いのか、それとも今年から全国的に600円になるのだろうか?しかもどちらも冷えていなかった。
高山裏への下り
荒川小屋への分岐にデポしたザックは無事あった。登山道の反対側にはワンゲルのザックがデポしてあった。娘のザックがミレーの70+10Lだと聞いていたのですぐにわかった。テントマットが破れかけていた。
分岐からは尾根伝いにしばらく歩いてからガレ場の下りとなる。
高山裏避難小屋
ほとんど水を飲み尽くしそうになって水場に到着。10m程手前にある小さなテラスでラーメンを作ろうとしたが、ここで初めて予備のラーメンを持ってこなかった事に気が付いた。餅は予備として残す事にして、麻婆春雨やスープ・みそ汁で済ませた。かなりカロリー不足である。
足りない分はポカリスェットと行動食で補う事にして、ポカリの粉末をペットボトルに入れ水を入れた。妻はポカリの甘さが嫌だと言っていたが、アクエリアスはいくら飲んでもすぐに喉が渇くけれど、ポカリは喉の渇きが少ないような気がした。(今まで、山へは安いアクエリアスばかり持って行っていたが、今回あるホームページを読んでポカリ信者になった。)

小さな高山裏避難小屋 11:44
小河内岳遠望
高山裏避難小屋からは左の方に大きく迂回して小河内岳に向かいます。「あれが小河内岳で、あそこまで登れば、あとはもうすぐだよ」と妻を励ますが、小河内岳は遠く高く見えました。

板屋岳の標識を12:29通過。

あの頂きが小河内岳 12:47
ワンゲル第二パーティと遭遇
昨日、娘からもう一つのパーティと高山裏で一緒に幕営する予定だと聞いていたので、まだかまだかと思いながら歩いていた。
左側が崩壊している広場の所で休憩している六人パーティがいたので、京都府立のワンゲルの方ですかと聞いたら、やはりそうだった。「渡辺優美子の父親です」「母親です」と挨拶したら驚いて歓迎してくれた。
彼らも列車の事故で予定が一日遅れになると連絡を受けた後は連絡不能で、当初の予定通りに一緒には幕営出来ないと思っていたので、昨日荒川小屋で一緒に幕営して、9時頃悪沢の頂上だったと知らせたら喜んでいた。

部旗まで取り出して一緒に記念撮影
右前のお面をしている人が主将
小河内岳
小河内岳への最後の登りは、森林限界を越えてジグザグな登りが続きますが、この頃にはすっかりガスって暑くなくて助かりました。
とは言え、くたびれ果てている我々は、たった標高差200m位の登りでしたが、途中で休憩しなければ登れませんでした。
小河内岳は2,802m。なめたらあかんで、と言っているような気がしました。

14:24
小河内岳避難小屋
もうこんな時はビールを飲むくらいしか楽しみはありません。小屋へ向かいました。小屋番の人と写真を撮る為に泊まっている人が1人いるだけでした。
ビールを飲みながら話を聞きました。飲料水は天水と暇な時に(いつでも暇な気がしますが)標高差で200m位下まで汲みに行くとの事でした。晴れていたらすごく展望が良い小屋なのだと言っていました。
左端に少し写っているのがトイレで、1回100円ですが、汚物はヘリコプターで下に降ろすとの事で、それなら仕方がないと思いました。妻によるととてもきれいだったそうです。
何処までと聞かれたので、今日鳥倉の駐車場まで下りて福井へ帰ると言ったら、ここまで来ればもう大丈夫と言われた。妻がもう登りはないのですかと聞いたら、あと2回登りがあると言われた。前小河内岳と烏帽子岳である。

小屋の右手には小さなソーラーパネルがあった
烏帽子岳
ガスで遠くが見えない中、三伏峠を目指して最後のがんばりでした。前小河内岳の前後で2回登りがあったので烏帽子岳も済んだのかと思っていたら、ガスの切れ間からまた結構な登りが見えました。
烏帽子岳の登りでも途中休憩してやっと登りました。
妻は前を歩いているので表情は見えませんが、怒ったように無口なまま、黙々と歩いていました。帰ったらもう山には絶対行かないと言うのではないかと恐れながら、急がんでもいいよと言うのが精一杯でした。

15:45 へたり込んでいます
カモシカと遭遇
烏帽子岳を過ぎて間もなく、左の岩場にカモシカがいました。5〜6mの至近距離でこちらを見ています。襲ってくるかもしれないと妻を後ろにしました。
しばらく見合っていましたが、こちらが動くとカモシカも動いて、結局登山道を横切って右の藪の中に消えました。
三伏峠
尾根伝いではなく迂回ルートになっている事さえうらめしく思いながら、やっと三伏峠に到着(16:21)テントは5〜6張りでした。
途中にあった水場まで行って休憩しようと話していたので、ザックもおろさずそのまま下りていきました。もうこんな時間でしたが、30分くらいの間に4〜5パーティが登ってくるのに出会いました。特に最後のパーティは30人くらいの一団で、長い間道を譲って待っていました。
水場は峠から40分程下った所にあります。車に戻ってからも飲めるように、ペットボトル3本に汲みました。
登山口到着
18:05やっと登山口に戻り着きました。
こんな広い駐車場があるのだから、ここまで車で来させて欲しいと思いました。


駐車場は向こうの山の中央によく見ると白くなって見えます。(心眼)戦意を喪失しそうな位遠くに見えましたが、早く戻って登山靴を脱ぎたいと急ぎました。駐車場着18:38。
家へ戻る
妻は後ろで寝ましたが、急カーブの道を飛ばしたので、松川のコンビニに寄るまでの1時間近く、シートにしがみついていたとの事でした。
おにぎり・パンなどを買いましたが、妻は食欲がないと言ってそのまま寝ていました。
途中で休憩すると逆に疲れが出るのではないかと思い休まずに走っていましたが、一宮辺りで渋滞2kmの表示が出ていたので、ノロノロ走っていると寝てしまうに違いないと考え、尾張一宮PAに入って後ろで寝ました。20分程で目が覚めましたが、車はスムーズに走っているようなので車を出したら、渋滞はなく順調に走れました。
家に帰って、片付けをしている時、妻がポツリとつぶやきました。
「知らないから付いていったけれど・・・」
「・・・」
反論出来ない自分でした。

翌日以降、必死に気を遣う錆鉄人に対して「ちっとも筋肉痛にならないし、自転車通勤の効果があったのかな」等と機嫌が治ったようですが、今度はどこへ行こうとは当分言わないでおきます。

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