春を求めて西方ヶ岳
(撮影2月23日)

対岸の国道8号線からの西方ヶ岳
西方ヶ岳
先日、福井新聞のこだま欄に多田さんの西方ヶ岳・栄螺ヶ岳の。
どうやって行くの?
敦賀市白銀交差点を敦賀原発方面の標識に従って進みます。途中敦賀半島を横断して美浜方面に抜ける交差点がありますがそのまま直進します。さらに進んで常宮集落に到着すると左手に常宮神社があります。常宮神社には駐車場があり、トイレもありますので、山に登る前にトイレをしておくことをお勧めします。
参拝者以外駐車禁止とありますので、そのまま半島道路をすすむと、常宮のバス停があり、その先に横断歩道があります。横断歩道の前を左に進み右に折れて道なりに進むと掲示板があり、その脇に小さく西方ヶ岳登山口と出ています。駐車スペースはこの手前の道路脇にかろうじて2台分ある程度で、道幅も狭くそれ以上は困難です。半島道路添いで捜す必要があると思います。
常宮神社

       常宮神社入口
鳥居をくぐった中に10台程度駐車出来る駐車場があります。参拝者以外駐車禁止とありますが、登山者に解放すればお賽銭位入れていくのに・・・と思いました。
奥に見えるのがトイレです。登る前に用を足していく事をお勧めします。

芭蕉の句碑
月清し 遊行の持てる 砂の上
登山道
掲示板の前を登っていくと、右手の農作業小屋があり、狭いけれど舗装された道が山に向かって登って行きます。
登山道の両側の木は、嶺北の山と違って常緑広葉樹であり、温暖な気候をうかがわせます。
しばらくすすむと擬木による階段となります。階段の間隔が広いのでどうしても登りが同じ足になり疲れます。
さらに進むと、階段はプラスチックのものになります。(右図)高いところまでコンクリート製の擬木を持って登るのは大変だからでしょうか。階段は標高250m位まで続いていると思います。
三峯集落発掘跡
駐車場の下が三峯集落があった場所で発掘されています。また、駐車場の少し手前の山手にお墓があります。

よみがえった大イチョウ
昭和初期に三峯村はその歴史を終えたが、乳授けの大銀杏として有名な幹廻り10mの大木は健在であったという。
しかしながら、昭和56年の大雪により惜しくも折れてしまった。やむなく枝を払い隣に穴を掘り、願いを込めて埋めた所、折れた大樹は不思議にも芽を吹き、大銀杏の不滅の生命は見事に蘇えった。それがこの写真のイチョウの木である。
道標
さて、大銀杏は後に見ることにして、林道を100mほど進み、遊歩道の入口から階段を登った所が峠で、「右 三峯城、左一乗谷城」の道標があります。
土橋
尾根添いの道を進んでいると「土橋」があります。土橋とは写真のように細く切り立った道がS字状になっていて、攻めてくる敵兵を攻撃しやすいようになっています。

頂上
土橋を過ぎるともう三峯城の領域です。
大手・虎口・掘切などの案内板を見ながら進むと頂上はもう間もなくです。
城山の頂上には「脇屋義助卿守戦之地」の大きな石碑が建っている。
     

城山の頂上
頂上からの眺望
頂上の周囲にはかなり木が伸びていますので、全ての方向が見えるわけではありませんが、福井市方面や一乗谷方面、河和田方面が見渡せます。
一乗谷が間近に見え、この地が戦争の要衝であったことがうかがえる。

城山の頂上から一乗谷を見下ろす
山城史跡
頂上には三峯城跡に関しての案内板があります。
それによると、北朝方の平泉寺僧兵が南朝方にひるがえり三峯に立てこもった際に、南朝方の総大将である新田義貞は弟の脇屋義助を城の総大将として派遣した。しかし、築城から4年目の暦応3年北朝方の三山重行によって攻め落とされたという事である。
南北朝時代の山城の特長をよくとどめた貴重な史跡であるとの事であった。

城の説明図(→拡大図

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