武周ヶ池 竜神祭
(撮影 平成15年 8月24日)


武周ヶ池

23日の福井新聞に「あすの催し来てね」と題して
武周ヶ池の竜神祭の紹介があった。
武周ヶ池へは以前から行ってみたいと思っていたが
なかなかチャンスがなく行きそびれていたので
すぐに「明日これに行くよ。」と妻に告げた。

武周ヶ池は野見岳頂上直下にあり
周囲役360mの小さな池であるが
日照りの時も長雨の時もその水量は変わらず
神秘的な美しさと伝説によって
周囲の人から竜神様と親しまれてきたという。

武周ヶ池では古くから雨乞いの神事が行われていて
池から神事の時に使用したと思われる江戸時代以前の陶器などが発掘された・・・
等と書いてあるのを以前にWebページで読んだことがある。

ログハウスからはゆっくりでも1時間以内で武周ヶ池に到着します。
夏の初めにはモリアオガエルの白い卵塊が無数にぶらさがり
珍しいオオルリボシヤンマの羽化も観察されるとの事です。

池の周囲に蚊やブヨがいないのが不思議でしたが
ゆっくりと弁当を食べていられました。

どうやって行くの?
本来、登山で登るならふもとの牧谷から2時間程かけて登れば武周ヶ池に到着出来る。
しかし、新聞には南条町牧谷と池田町魚見の境にあるログハウスで入山式が行われ、竜神太鼓の演奏もあると書いてあったので、そこまで車で行く事にした。
武生からは国道365号線を南下して、南条町役場を過ぎて最初に信号を左折して日野川を渡り、道なりにどんどん進みます。左のほうに山頂近くまでの林道が見えるのであそこかなと思いましたが違っていて、道路は右のほうへ遠ざかっているように進みます。自分も不安になり下牧谷集落で道を尋ねましたが、それで正解でした。
今回は林道を走るので軽自動車のほうが良いと考え、妻のムーブで行くつもりでしたが、自分の運転は荒っぽいので妻が大事にしている車を壊しかねないので軽トラックで行くことにしました。
自分は暑がりなのでクーラーのついていない軽トラックは苦手なのです(妻はクーラーが嫌いなのでつけることはまずありません。)が、天気予報も曇りでそんなには暑くないだろうと思って出かけました。
本当は自宅からは魚見から行ったほうが近いはずですが、林道の入口を知らないので、わざわざ遠回りして牧谷経由で行きました。自宅からログハウスまで約1時間でした。武生インターからは40〜45分だと思います。
武周ヶ池の案内図
そのまま道路を上流のほうに進むと道路の左手に案内板があります。
    →拡大図
ここを通るなら是非、上牧谷地区の金毘羅宮の「役行者像」を見てみたいものです。(今回先を急いでいたので見ずに通過しました。)

ここからも道なりに進みます。役1km程で舗装は終わりますが、その後もそれほど荒れた道ではありません。林道ですからほぼ1車線しか道路幅はありませんので、対向車に注意して慎重に運転してください。
会場のログハウス
案内板から約25分程度走ると前方にログハウスが見えてきます。林道もログハウスと同じ位の標高に達していて間もなく到着です。
手前道路沿いに数台の車が駐車してありましたが、ログハウスの横を通り過ぎて進むと、道路の両側に広い駐車場があります。40〜50台駐車可能です。
駐車場の駐車すると、隣の車がエンジンをかけっぱなしで車の中で待っていたので、マドガラスをノックしてエンジンを切るように言ったらすぐに切ってくれました。
自分はここで靴下をはいて登山靴をはきましたが、その間にブヨに刺されました。ただし、その後、ログハウスの広場も武周ヶ池までの登山道も池で休憩しているときも虫はほとんどいなくて、刺されたのはこの時の1ヶ所だけでした。

9時頃到着した時すでに約30人いました
入山式
新聞の案内通り、ほぼ9時半に式が始まりました。地元の牧谷区長と魚見区長の挨拶、南条町長、県会議員のあいさつがありました。
町長の挨拶は興味深くかつ面白いものでした。昔はこの峠を通して南条町と池田町は交流が盛んだったとの事。この峠はログハウスの所の案内板によれば標高600mであり、それはなかなか大変だったことと思われる。
また、昨年までの山伏さんが年老いて辞退され、去年まではニセ山伏と紹介していた川崎さんが、山伏の本場「大嶺山」で修行されて晴れて本当の「山伏」として今回の神事を執り行うことになった事が紹介されると満場の爆笑を買った。
川崎さんはニコニコ笑っていた。

増澤南条町長の挨拶
竜神太鼓の演奏
式の後は鯖波の竜神太鼓の演奏があった。

2匹の竜が舞う。
お面は竜であるが、背中の鱗は書いただけのもので薄れかけているように感じた。キラキラ光る鱗をつければもっと映えるだろうと思った。

竜のかぶりものを外し、今度は鬼の面をつけて太鼓をたたく。このあとは、軽トラックの後で座っている女性も加わって何曲か演奏が行われた。
会場
会場の雰囲気を写そうと登山道の階段を上がって上から撮影しました。
会場に到着時に手前の机で受付をしていたので記帳しました。その時は気づかなかったのですが、お賽銭箱も置いてあったので後で100円入れましたが、自分の前に入れた人が1000円札だったのでちょっと気が引けました。
なお、池で神事が執り行われた後、お神酒を配ってくれたので、100円分位は飲んだのではないかと思います。来年参加しようと思われる人は200円はあげて欲しいと思います。

竜神太鼓に聞きほれる参加者
登山途中で聞いたが97人いたとの事
登山開始
竜神太鼓の演奏が終わって、9時55分頃、川崎「新山伏」の法螺貝を合図に登山開始となりましたが、緊張しすぎたのか一発目は見事に失敗しました。その後、少しずつ調子が出てきたようでした。
登山道は、広場にある竜神祭の横断幕のもう少し右のほうから階段が始まります。ただし、20mも登ると階段は終わって、少し下ったり登ったりしながら進みます。
4歳の子供から70代位までが参加しました。登っている間太鼓が鳴り響いていましたので最後の人が見えなくなるまで演奏をしていてくれたのだと思います。ご苦労さまでした。

最初のここだけ登りが急です
武周ヶ池
何度か小さなアップダウンを繰り返します。途中の岩谷山(701m)は南側の巻き道を進みます。頂上までの登山道は登る人が少ない為、かなり消えかかっているように見えました。
武周ヶ池まで1000m、500mの標識を過ぎ、何度目かの階段を登ると、木の間に武周ヶ池が見えてきます。集団は途中で少し速すぎるのではないのとかこんなもんでないのとか言いながら歩いていましたが、ログハウスを出発してほぼ40分でした。
池の周囲はブナなどの木に覆われていて日陰の中、池だけが明るく浮かび上がっているようでした。
池の周囲は遊歩道という程ではありませんが、踏み分けられた道があります。池は底なし沼に近いと思いますので、お子様がはまらないように注意してください。
石碑
この武周ヶ池での雨乞いは、牧谷村だけではなく、北側の文室村(現武生市文室町)や粟田部村(現今立町粟田部)の住民も熱心に訪れたということであり、「約200年前には牧谷村(金森領)と文室村(本保領)の間で武周ヶ池の所有権争いが起きたほど、この池が重要視されていた」と受付で配布されたパンフレットに書いてあった。
池の近くには「神宿」と掘られた石碑があるが、これは粟田部の熱心な信者によるものであると書いてあった。

竜神へのお供えを浮かべる
雨乞い神事
武周ヶ池に到着すると各々グループごとに集まってお弁当を食べ始めた。自分は1人だけの「人が座っていたのでその横に座らせてもらった。春江の人で山登りの会を主催している人で山の話が弾んだ。
池の向こう側へ川崎新山伏をはじめ関係者が集まったので神事が始まるのかと思ったら、腰を下ろしてビールを飲み始めた。
増澤町長のホームページを以前に見たことがあって歴史等に造詣が深い人だと知っていたので陶器が出てきた場所など武周ヶ池に関することを質問した。池の深さは昔は潜れるほどだったらしいが、今は2m足らずらしい。いろいろと丁寧に答えて頂いた。
池が寂しいので花ハスの町だからとハスを数年前に植えたが、花は咲かないのにかなり繁殖してきたので来年は取ってしまうとの事でした。

町長自ら神事の文句を唱え刀を振るった
竜神へのお供え
杯にお神酒などを入れ池に浮かべた。
3つ浮かべたので池の横の案内板にあるように、ふもとの寺谷川の祓い水とお神酒と塩だろうと思った。
このあと、参加者にお神酒とスルメが振舞われた。ただし、盃はないので各自のコップに注いでくれた。来年行こうと思う人はマグカップを持参してください。(飲み過ぎに注意)

12時を回った頃、山を下りる人が目立ったので自分も戻る事にした。下山は約20分だった。途中で20人ほどの人を追い越したが、駐車場に戻るとすでに数台の車が帰っていた。
靴だけ脱いですぐに家に戻った。今度は魚見のほうへ下った。林道の長さは同じ位だった。魚見集落の上へ出てから稲荷までが結構長いのにびっくりした。家には30分余りで到着した。やはり、かなり近かった。

竜神へのお供えを浮かべる

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