神々の座の扉が開かれた日白山
(撮影平成15年4月27日)


白山公園線の開通

一昨年は別当出合までの開通は5月中旬だった。
昨年は例年にない小雪のせいか連休前に別当出合までが開通し
おかげで自分も初めて4月の白山に登ることが出来た。
今年は3月に結構降雪があり残雪が多いようで
白山公園線の開通は例年より遅いと考えていたが
白峰村HPで4月25日に市ノ瀬まで開通し
4月30日には別当出合まで開通するとわかった。
5月のゴールデンウィークまで待てば楽に登れるのだが
他人よりも先に登りたいという意識もあった。

25日は温泉泊まりだったが天気が回復するなら
早く起きてでもと思って装備は車に積んでいた。
が、雨だった。
天気の回復が遅れて26日夜も雨が降っていたが
インターネットの3時間予報では午前5時以降は晴れだったので、
登ることに決め、妻に3時半に起こしてと言って早めに寝た。

起こされてすぐ外に出たが星は見えない。
インターネットで天気予報を確認すると晴れマークは9時からになっていた。
登っているうちに回復するのだから安心と妻にも納得させ4時に自宅を出発した。

自分の記録を見るとこれで白山は20回目であるが
もっとも早い時期の登山となった。
ちなみに一番遅い時期は11月7日である。
白峰村・市ノ瀬
勝山から谷トンネルを抜けると白峰村になるのであるが、もうヘッドライトを点ける必要もない程明るくなった目の前に、道路沿いの雪が飛び込んでくる。谷トンネルまではなかったのに、北側斜面ということでこれだけ差が出るのかと思ってしまう。
白峰村のあたりはちょうど桜が満開で、テレビで弘前公園の桜祭りをやっていたことを思い出し、改めて白峰村はすごいところだと感心した。
市ノ瀬へ向かう白山公園線は昨年工事していた区間はまだそのままで、工事も一部区間なのでまだまだすれ違い出来ないところがたくさんあり、車の多い時間帯には通りたくないといつも思う。(従ってこんな早朝に通っているのであるが)
市ノ瀬に着くと駐車している車は約15台位だった。様子を見に出てみると、車の中で準備中のパーティもいる。関西・中京方面の車も多い。靴を履いていると道路を上に向かって走って行く車だあり、戻ってこない。行けるのならと思って自分も車を動かしたが、橋の手前で通行止めで、その脇の道路や上の駐車スペースの10台近い車が駐車していたので、自分も上の駐車スペースに車を停め出発した。(5時42分)

別当出合
通常使うのゴアの登山靴では防水に不安があったので、舗装された道路を重くて硬いスカルパの二重靴で歩きだす。1年振りの使用であったが、案の定足に合わないので数分で土踏まずが痛くなってきた。我慢しながらもピッチは変えないで先行するパーティを追い越して進む。そのうち、右足のかかとの後ろ側が熱を持ってくるのがわかる。靴ズレが始まったのだ。これも我慢するしかないのでそのまま進み、別当出合に着くまでに7人の人を追い越した。
登山センターの駐車場には折畳自転車が数台あった。乗って来ることは出来なくても帰りは快適で時間も早い。(自分も甲斐駒と千丈の日帰りを考えたとき、広河原から北沢峠まで自転車を使おうと思っていたが、自転車もなくチャンスもないために実施していないが)

登山センターの前は2m程の雪の壁
(下山時撮影)
奥の所から上がろうと思ったが絶壁状態で
戻って一番手前から上った。
休憩所に数人の人が準備していた。
吊り橋
登山センター横の雪原を横切り吊り橋へ降りて行く。降りる道は至る所に水が流れていて足を着くところを探しながら下った。
吊り橋はまだ板が外されたままではないかと危惧していたが、取り付けられていて一安心。

川岸を登ったところのはちゃんと足跡があり安心したが、数は少なかった。少し進んだところで斜面の上に3人パーティがいたが、足跡を着いていくと左側の斜面の方に進み、途中から引き返していた。そして結局先ほどのパティの所には向かわず上のほうに続いていたので従って進み、険しい沢登りのような所もどうにか這い上がると、3人の中年のパーティに追いついた。その先には足跡はなかった。
基本的には尾根を上がっていけば甚ノ助辺りに行けると思うが、ガスで展望もきかないので、去年6月の夜行登山で遭難しそうになった事を思い出し自重し、一緒に進むことにした。
    
普通のペースで歩き出すと橋が横揺れしたので、速度を落とす。まだ感覚が戻っていないので横揺れを大きく感じたのかもしれない。(帰る時はそのままのペースで渡れた。)
ガスが晴れる
ずっと霧雨の中でシャツの表面には水滴がついていたが、午前8時少し前にガスが晴れた。
そらは一面真っ青であり、ふもとの方は雲海がきれいだった。我々の一向はどちらかというと地獄谷に近い尾根筋を登っていた。
甚ノ助
甚ノ助ヒュッテはもうそろそろだと思う頃から風が強くなってきた。雪面もそれまでと違って凍っていた。
3人のパーティの内、2人は50代半ばの夫婦で登山はベテランらしいが、かなり弱い。もう一人は62歳とのことであるが、毎日8km程ジョギングをしているということで先頭をキックステップしながら疲れも見せず登り、我々は少し進むと追いつくのを待つ状態を繰り返していた。
ここからはエコーラインのほうに足跡が続いているのがよく見えたので、62歳のおじさんから先に行ったらと言われたので一人で進むことにした。

まさしく穴面に潜り込む感じで
屋根直下の出入り口から
宿泊者が出入りしていた
恐怖の強風
甚ノ助から尾根に登るまで、かなりの急斜面をトラバースしながら登っていくのであるが、自分はアイゼンなしでストックは普通のゴム先端であり、凍った浅い足跡にますます強くなった強風が吹きつけるので、緊張して全身に力が入り、遂には太ももが攣ってしまった。攣った足をだましながら進み尾根に出ると、予想された事ではあるがさらに強風が吹きつけてきた。目を開けられない、涙が出て止まらない、耳で直接風の音がゴウゴウとしているばかりで、風の方向に体を倒し飛ばされないように進み、さらに強くなると耐風姿勢を取って堪えた。体温が下がっていくのを感じたので尾根左側のハイマツの後ろに回り、窪みに入って風を避けながらセーターを着てさらに雨具を着た。(ズボンは履かず)
その後も耐風姿勢を取る度に攣った足のこともあり引き帰そうかと迷った。
白山はまだ神々の領分だと自分を引き返させようと吹き付けているように感じた。

五葉坂を登る登山者たち
一直線に続く先に室堂の屋根が見える
(下山時に撮影)
登りの時は
顔を上げることも出来ないほどの強風だった。
室堂
攣った足で五葉坂を息も絶え絶えに登った。
室堂は2階の屋根近くまで雪があり、たどり着いた室堂の裏側では数人の人がヘリで荷揚げした資材の整理をしていた。
屋根が風を遮ってくれるのでまるで無風であり、ここで食料を食べながら風が治まるのを待つことにした。

宿泊棟は屋根だけが覗いている。
ヘリの荷揚げ
登山中にも何回かヘリが往復していたが、休憩中にまた来た。小型のブルドーザーを積んで来たが、下で指示した場所より建物側にヘリが寄ってきたのでみんな逃げ腰になったが、無事降ろしてあっという間に戻っていった。どうやって積荷を降ろすのかと思っていたが、ヘリから操作できるのか金具が自動的に外れてそのままヘリは飛び去っていった。
そうしている内に風も治まってきた気配を感じたので建物の陰から出てみたら、風はかなり弱くなっていた。
社務所と鳥居
社務所もどうにか屋根が頭を出しているばかりで、鳥居は雪の中である。進んでいくと建物の手前に一直線に白い部分があり、ここに鳥居があることが分かった。(写真でもわかる)鳥居を踏まないように回ってお祈りをして頂上へ向かった。
ちょうど、ハイマツが見える付近から中腹にかけて7〜8人の登山者が見えた。青石もくっきりと見えた。
青石
いつもこの時期に登ると不思議なことに青石を超えると雪がなくなる。逆なら天上界と地上界の境界という感じがするのにと思うが、何れにしてもこの雪の境界のところにこの石があったのでこういう謂れが生まれたのだろうと思う。
頂上
風のあまりない時でも高天原は強風であることが多く、恐れていたが風は強くなかった。
ただ、攣った足はへろへろでよたよたと登っていた。
それでも頂上につくのはハイマツの付近にいた人たちとほぼ同時だったが、彼らは登山道を通らず神社の石垣の左のほうを通って頂上へ向かった。
頂上も風はそんなに強くはなく、でもみんな風を避けて室堂側に少し下りた所で休憩していた。
展望

残念なことに北アルプスは雲の中にうっすらとしか見えなかった。

大汝方面はまだ池も見えなかった。下へ降りる斜面は凍結していると思われるのでこの時期は行かないのが賢明である。
登山者にあらず
風を避けて石の上に座り食事を取る。ホームセンターで買った安物のステンボトルに妻が作って入れてくれたお茶はまだ熱かった。パンと激辛のイカ姿揚げなどを食べる。
すると頂上にいた人たちの中から1人の人が来て「昨日登ってきたの」と聞くので「今日5時半過ぎに一之瀬を出発しました」というと、「速いね、別当出合までどれくらいかかった」と聞かれた、「50分位です」というとカモシカみたいだとビックリした様子だった。あなたたちはいつ登ってきたのですかと聞くと、「内緒だけどさっきヘリで来た。」と答えた。ずるいなと思いながらもそれはいいですねと答えた。みんなスキーかスノボーをする人のようだった。
室堂一帯
下山しようと思う頃、五葉坂に向かっている2〜30人の登山者が見えた。
室堂が雪に閉じ込められている様子が良く分かる。
下山
室堂に戻ると登るときに甚ノ助まで一緒に登らせてもらった3人のパーティが社務所の影で休憩していた。お先に失礼しますと声をかけて下った。五葉坂を続々と登山者が登っていた。
雪も柔らかくなっていて、大またでぐんぐん下っても適度に靴が潜り込んで不安はなかった。
途中で尾根から足跡が二手に分かれたので、右側は登るときの沢登コースかもしれないと思い、左側の斜面に続く足跡に従った。
しかし、少し進むとなんの事はない別の3人のパーティでその先には足跡はなかった。しかし、後ろを着いて歩いていると山岳会の関係者のような様子で、途中にある赤い布を外したりしながらおりている。登山センターが見える所からは夏道に出ようと言って右側に進むとそこに夏道が一部現れていた。それからも一緒にしばらく下りて、雪面の直下降となった所からはその先のルートも分かったので分かれて先に下りた。
別当出合からの舗装道の下りは単調で嫌になった。途中、自転車の人が気持ちよさそうに下って行った。

別当出合から15分位の所で何本ものブナ?の大木が切り倒されていて、ユンボが停まっていた。そんなに狭い所ではないのに道路を拡張するのだろうか。もっと他に狭い所がたくさんあるのにと思った。
1時50分ごろに車に戻ったが、市ノ瀬の駐車場の車はざっと40台位に増えていた。

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