トレーニング登山 1ヵ月後に迫った山岳耐久レースに備え 長時間長距離の山岳歩行に体を慣らす為に計画した。 過去の無謀な挑戦と昨年の完走経験とから 自分は練習なしでも時間内完走は出来ると思うが 問題は妻である。 妻はスクワットやカーフレイズ等の筋力トレーニングを行い 休みの日には10km程走っているようであるが そんなものは「何の役にも立たない程厳しい耐久レース」である。 さらに大量の脂肪の蓄積がある自分と比べて ウェイトコントロールをしていて脂肪がほとんどない妻は 自分のように食べないで動き続ける事は出来ないであろう。 それでいて根性は自分をはるかに凌駕しているので 極限までいってぶっ倒れないとも限らない。 従って、単なる長時間・長距離動き続ける訓練だけでなく 疲労度や食料・水分の必要量等の確認の為 12時間程度の山走り(実際は速歩)をする必要があった。 昨年は1人で白山北縦走路を歩いてみたが 北従走路は何かアクシデントがあった場合危険である。 新穂高からの槍ヶ岳往復も考えたが 新穂高からの4時間以上の帰りがしんどく感じた。 近くてある程度距離が長いコースという事で 白山の中宮道を選択したのであったが・・・ |
どうやって行くの? 通常、白山登山となると白峰から別当出合となるが、中宮路は国道157号線で白峰村を越え手取川ダムを過ぎ、数キロ進むと瀬戸野交差点があり、ここを右折します。ここは白山スーパー林道の石川県側の入口への分岐であり、スーパー林道の案内標識に従って進み、ゲートの少し前を右折すれば中宮温泉へ到着します。 瀬戸野交差点からは約15kmで、中宮温泉には50台程駐車可能な広い駐車場があり、車をここに駐車して出かけます。(武生インターから約110km) |
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白山中宮路について | ||
中宮温泉から白山室堂までは距離20km、登り16時間20分下り11時間の合計27時間20分となっている。通常なら最低でも往復2泊3日はかかる。従って滅多に登る人はなく、一般には下山路として紹介されている。 Webを見ても、砂防新道から登って室堂に1泊、さらにゴマ平避難小屋やシナノキ平避難小屋に1泊して下るとか、1日目に頑張ってゴマ平避難小屋まで行くとかが多いようである。人間よりも獣のほうが多いコースと書いてあるが、それは当たり前であろう。 【注意】 勝山を過ぎると中宮温泉までの間にコンビニはありません。勿論、中宮温泉にもありません。従って勝山で157号線に入るまでに買い物を済ます必要があります。 |
【中宮路の見所】 これは何と言ってもお花松原・北弥陀ヶ原のお花畑である。9月末に白山頂上から眺めた紅葉も素晴らしかった。これは他のどのルートにも勝るものだと思います。さらに地獄覗きからの勇壮な眺めも一見の価値があります。 今回はこのお花松原の紅葉を楽しみに出かけたのでした。 【計画】 コースタイムは宿泊装備を持った場合のもので2割増し程度になっていると考え、通常なら往復22時間のコースと想定。その半分と考え11時間+休憩等1時間の合計12時間で戻る計画を立てた。 北縦走路の場合は早朝に自宅を出発した為、通行止めなどのアクシデントなどもあって登山開始が遅れたので、今回は前夜のうちに中宮温泉に到着し、明るくなったら出発出来るようにと考えていたが、諸般の事情により当日朝の出発となってしまった。 |
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装備について | ||
今回は山岳耐久レースのトレーニングであり、基本的にその装備で行きましたが、コンビニでの食料品購入が出来ず散々でした。 登山靴:トレッキングシューズではなく、山岳レース用のランニングシューズであるアシックスの「ゲルフジ」を使用 ザック:軽量と体との一体性に重点をおいたザックを使用(20〜25L程度) 水:platypusの2リットルタイプとドリンキングチューブによる給水システムを利用。ポカリスエット1.5Lに水500mLを加え2Lとした。予備としてペットボトルに500mLの合計2.5L。 食料:チーズ・チョコレート等の高カロリー食品による補給のみを想定していたが、購入出来ず前夜の残りご飯によるおにぎり(妻3個、自分4個)のみとなった。 |
服装 錆鉄人:ランパンにTシャツ 妻 :登山用ズボン(本番はランニング用タイツの予定)+Tシャツ 【その他装備】 雨具:携行が義務付けられていて、夜間の防寒着としても利用する。 ヘッドライト:新規購入した5LEDタイプを持って行った。 その他:長袖シャツ、若干のお菓子等 |
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駐車場 | ||
寝たのは午前零時を回っていたが、2時45分頃に起きて3時には出発出来たので、駐車場には予想より早く午前4時半過ぎに到着した。車が十数台駐車している間に潜り込ませたが、まだ暗いので、5時半に時計のアラームをセットし後席の布団の上でしばらく仮眠することにした。 アラームで起きたらあたりは充分明るい。駐車場の上に橋があってその向こうにも駐車場があり、登山道入口はどこかと歩き回るが何も表示がない。 しばらくすると旅館関係者と思われる人が歩いてきたので尋ねると、橋を渡った所を登るのだと教えてくれた。 朝食を食べて出発したいところであるが、コンビニがなかったので買い物が出来ず食料が不足している。カステラ1本を妻と分け合って食べたが、いかにも少なかった。しかし、少量の食料で長時間行動する訓練になるからいいかと思った。 |
一番手前の車の右に橋があり、 川を渡った向こう側には さらに広い駐車場がある。 (マイクロバス等が見える) |
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登山口 | ||
という事で、橋を渡って急な坂道を登り始める。相変わらず登山口に関する表示はないが、少し歩いたところで川向こうに急な階段が見えたので、それが登山口かと思って登ってみたが工事用の階段だった。道路に戻ってさらに進むと道路は180度の折り返しを2つ繰り返して登っていく。 川の横に工事用の車両や機材があり、その向こうに橋があり、渡った向こうに登山口の表示がやっと見つけられた。そのまま道路を進めばその橋にいけるのかと思って進んだが違っていた。 戻って工事用の機会の間をすり抜けて橋を渡って登山口へ。急な階段に工事用モノレールが取り付けられていて非常に歩きにくい。登山者は合図をして登るように書いてあるが、途中でモノレールが動いてきたら避けようがなく、死ぬかも知れません。 |
登山口から続く工事用モノレール 7〜8回も乗り越える必要がある。 しかも素手で触ると怪我をする恐れもある。 |
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巨木 | ||
モノレールがなくなると登山道に木の実の殻が散らばっている。猿が食い荒らしたものに違いない。猿に襲われたとか熊に出会ったという話も読んでいたので、一応ウエストベルトにナイフを取り付けて歩いていた。猿の警戒の声は何度か聞こえたが出会う事はなかった。 途中、木の種類は分からないが巨木が何本かあった。 妻と一緒に登っているが、自分は少しも苦しくならない。妻はハーハー言っているがスピードがあがらない。こんな歩き方では練習にならないと思い、「もっとスピードを上げて、もっともっと」、平坦なところでは「走って」とか言い続けた。 |
登山道はブナの木などの巨木の宝庫でした |
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シナノキ平避難小屋 | ||
シナノキ平小屋到着8:00 トイレもあり、ここで10分程休憩 |
中は結構広く2階とで十人以上は宿泊可能。 何とカセットコンロが設置してありました。 |
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ゴマ平避難小屋 | ||
ゴマ平小屋までの登りでも自分は苦しくないので妻を急がせた。妻は一杯だったのかもしれない。振り返って恨めしそうな顔をしたが、トレーニングならないと急がせた。泣いていたようにも思った。そんなことがあってか妻のやる気は失せていったのかもしれなかった。 ゴマ平小屋9:00到着、水場へ行って9:10分出発 |
ゴマ平小屋のトイレ シナノキ平よりはきれいでした。 |
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北弥陀ヶ原 | ||
自分も妻にあまりに負荷をかけた事を反省。去年、ゴマ平小屋からの登りは(それまでに十二分に無茶をして登ってきていたので)きつくて途中で休んだことを思い出し、妻が歩くままに後を付いて行った。休まずに登りきってしばらく歩いたが、地獄覗きの標識を見て、妻は体調不良もあって、残り距離の長さに嫌気がさしてもう帰ろうと言う。睡眠不足がきいてきたのかもしれなかった。 自分としてはたったの4時間位では練習にならないので、とりあえず腰を下ろしておにぎりを食べることにした。そうして又歩き始めたが妻の意欲は完全に喪失していた。北弥陀ヶ原でも帰ろうと言うのをもう少し行けばお花松原できれいな紅葉が見られるからといいながら進んだ。 |
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お花松原を前に無念の撤退 | ||
もうトレーニングとは呼べない速度で進んでいて、遂にはお父さんだけ行ってという。「あの丘まで行けばお花松原が見えるからあそこまで行こう」と言って、ハイマツの中を進んだ。 |
やっとお花松原が見えたが、残念ながら紅葉は始まったばかりであった。もう妻を進ませることは出来なかった。天気も急速に悪くなっている気配だった。妻がここまで来た証拠に白山をバックに記念撮影をしたが、それさえもせずに早く帰りたい様子だった。 |
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下山 |
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11時半、長い長い下山が始まった。歩いてみるとやはり嫌になるほど長い。登山道は登っていた時感じた以上に急であり、妻のあの速度もしかたがなかったのかなと思った。(お母さん、ゴメン)しかし自分は苦しくなかったという事は、よほど体調が良かったのであろうか。 途中、2回マムシに出くわした。猿の警戒の声も何度か聞いた。登山道には至る所に大小のフンがあった。いつ襲われても妻を守れるように、ストックを強く握り締めながら歩いた。結局、猿にも熊にも遭遇しなかった。 |
登る途中の休憩を考慮すると、下りのほうが時間がかかっていたかもしれない。妻は「こんな所まで一緒に来る奥さんは私しかいないわよ。」と言う。「感謝してるよ。」と言うしかなかった。「もう登山はお父さん1人でして。」と繰り返す。 それでも後3kmを切ったあたりから、ゆるやかな下りや平坦なところは走るようになった。ゴールが近づいたので元気が出てきたらしい。しかし、最後の1〜2kmは再びこんなに急だったのかと思う程の急な下りで慎重に下った。最後にモノレールを何回も跨いでやっと登山口に到着した。 そこからの舗装道は500m程だと思うけれど、傾斜が急で歩きにくい道だった。4時半、車に戻った。 帰りの車の中、妻はぐっすり眠っていた。 |
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総括 | ||
そんな訳で中途半端な距離・時間・負荷の練習しか出来なかった。翌日妻は筋肉痛に襲われこんなのひさしぶりと言っていた。(8月の黒部五郎岳〜鷲羽・水晶岳では起きなかったらしい。) 従ってそれなりの練習は出来たのかもしれない。筋肉痛を伴う筋肉の破壊は2週間程度で再生されるというから、時期的には良かったと思われる。 |
一緒に歩いた自分も何故か空しさを感じた。妻が嫌になった気分が伝染したのかもしれない。 とりあえず、妻も(お金を払ってしまっているのと、怖いものを経験してみたい気持ちもあって)山岳耐久レースへの出場はするともりのようである。しかし、天気予報が悪かったら行くのをやめようと妻と話を決めた。 |