日本最後の秘境と呼ばれる雲ノ平

(撮影 平成15年 8月 2日)


雲ノ平

何故「日本最後の秘境」と呼ばれるのかはわからない。
ただ、どの登山口からも遠くて、簡単には行けない所ではある。
雲ノ平には○○庭園と名前の付いた見所が何ヶ所もある。
初めて雲ノ平の木道の上を歩いてみると、
木道以外の部分は大岩が折り重なっていたり、
ハイマツが入り組んでいたりする所が多く
木道がなければ簡単に行きたい所へ行ける訳ではないことが良く分かった。

そういう意味で、まだ人跡未踏のところがあるのかもしれない、と
自分なりに日本最後の秘境の意味を理解した。
(本当のところはわからない)

ただ、この日は超長場の行程であり、
しかも上の娘が家で待っている事でもあり、
寄り道もせず、木道をひたすら前へ前へと急いだ。

折立〜三俣蓮華小屋まで
折立〜三俣蓮華小屋までは「娘に逢いにはるばると 黒部五郎岳」を参照してください。
三俣蓮華小屋〜水晶岳まで
鷲羽岳・水晶岳を参照してください。

なお、この8月1日〜2日の山行は、10月末の山岳耐久レース(無謀な挑戦シリーズ 全日本山岳耐久レース 参照)に向けての持久力向上のトレーニングの目的も兼ねて歩いています。前項でも書きましたが、ほぼ30時間のコースタイムでありますので、同じコースを行って見ようと思われる方は3泊4日で計画されることをお勧めします。
ワンゲル部の娘から、三俣蓮華の天場から鷲羽・水晶岳に登って雲ノ平経由で折立まで1日で下りてしまうのは(無謀なので)心配だからやめるようにと言われたが、ワリモ岳分岐からの往復のコースタイムはたったの2時間50分、自分の計算では1時間半であった。
出発の直前に、2日に上の娘が留学生を連れて家に遊びに来ると連絡があったが、予定は変えられないから夜9時頃にしか帰られないと言ったら、適当に遊んでいて紹介だけして帰るとの事だった。
本当は水晶をカットして早く帰ってやったほうが良いと思うのであるが、目と鼻の先に百名山が転がっていて、もう一度来ようと思うと往復20時間以上である。心を鬼にして水晶も登ってしまった。
後は一刻でも早く帰ることであった。
岩苔分岐
水晶小屋に戻る途中で、鷲羽の頂上で一緒だった単独行の女性とすれ違った。かなり疲れてきているようで、やはり雲ノ平山荘までが良いのではないかと思った。
小屋に戻ってトイレをする。妻にも後2〜3時間は小屋がないからと言って再度トイレをすすめた。ビールは流水ではなく水に浸けてあるだけなので、冷たくないので買わなかった。

8:41小屋を出発。すぐに若い女性3人組に逢い挨拶する。ワリモ岳分岐までは水平と下りだけの道であっという間に到着。9:01
そのまま、すぐ下の岩苔分岐へ。黒部源流のほうから登ってくる人が何人も見える。時間チェックのために写真だけ撮って通過する。
ここからは祖父岳への登りであるが、最初の登り始めはやや急でジグザグになっている。足を着く所しか見ずに歩いている妻は、しょっちゅう立ち止まるのでイライラしてきた。1回は10mほど先に×印がある所へトコトコ行ってしまうのであわてて止めた。さらに登ると、登山道と川床が交わったような場所で妻が立ち止まって「どっちへ行けばいいの?」と言うので「そんなものこっちに決まっているやろ!」と思わず怒鳴ってしまった。怒鳴ってしまってから「しまった。今日は文句を言わずに気持ちよく歩かせてやろうと思っていたのに・・・」と反省したが、時すでに遅く妻はご立腹。
しばらく無言で登り続けた。

後は立山だったか?
妻は日焼け防止の為軍手を着用
祖父岳 9:40
無言で登っていると右側にに雪渓があり、冷たい水が流れていたので妻が先に顔を洗った。リフレッシュした感じで、何となく仲直りした。
頂上の近くには2箇所ハシゴがあるが、それを登るとなだらかな頂上部に到着する。
何人もの人が、夢中で槍穂や黒部五郎や薬師や水晶や鷲羽を撮影していた。雲ノ平はこれらの山々の中央に位置しているが、祖父岳は雲ノ平の中でも一番高いので撮影には絶好の場所なのかもしれない。(祖父岳は雲ノ平の入り口みたいな所であり、まだ雲ノ平とは呼ばないのかもしれませんが)
ここからは雲ノ平山荘が間近に見える。雲ノ平キャンプ場はもっと近く、すぐふもとにあり、3〜4つのテントが見えた。妻はトイレを小屋かと勘違いしていた。
キャンプ場との中間当りには雪渓が広がり、その下に大きな石がちらばっていて、10人余りのパーティが休憩していた。あれがまず1つ目の○○庭園だろうと思った。短い休憩の後出発するのとほとんど同じタイミングでこのパーティも出発した。

祖父岳からの槍ヶ岳
雲ノ平キャンプ場
祖父岳の上から○○庭園だろうと思った所に到着するが、標識は見当たらない。というか、柱だけはあったが何と書いてあったのかは分からなかった。
ここには中年のおばさんがいて、「夫が上で槍の写真を撮っているはずですが、いましたか?」と聞く。何人も居たので・・・と答えると、「昨日充分見たので私はもう登らないでここで待っているのです。」との事だった。冷たい水があって気持ちの良い場所であり、顔を洗って水を飲み、ペットボトルに給水し、しばらくおばさんと話をした。この人の夫は妻をほっぽり出したまま、戻ってくる気配はなかった。「いつも妻のそばにいる夫は偉いだろう!」と思ったが、口に出すのをこらえた。
ここから先は河原の中を歩くようになるが、妻は一生懸命踏み跡を探して歩く。自分はどこを歩いてもいいのにと最短距離を下りていった。
やがてキャンプ場に到着。左側の建物はトイレである。
歩いてきた河原の水が飲用水ではないだろうと思っていたが、やはり右の斜面から流れ出ている所が水場になっていた。

テントを立てられる平坦な場所は
案外少ないように感じた
スイス庭園
反対側の河原を登ると、いよいよ木道の始まりであった。キャンプ場から10分程でスイス庭園の分岐に到着。
何故スイス庭園と呼ぶのかはわからないし、説明もない。解説の標識がほしいな、と思った。(結局、この後にあった○○庭園も全て○○庭園とは書いてあるが、その理由の解説はなかった。)

スイス庭園と水晶岳
後の水晶岳がスイス的イメージ?
雲ノ平山荘 10:40
木道の手前で7〜8人のパーティに追いついたが、一本道の木道なので追い越せない。数百m先に山荘が見えたので、道を譲ってというほどのことはないと、後をのんびりと着いて行った。
雲ノ平山荘へは一直線に続く木道が左に分岐して100m程登った所にある。前のパーティは山荘へと登っていく。どうしようかと思ったが、寄り道しても大したロスではないし、腹も空いてきていたので、水があったら何か作って食べようということにして登っていった。飲料水はまだ500mlペットボトルに3本あったが、これをラーメンなどに使ってしまうと、あとの行程が不安だったからである。

昼食
水タンクの水が無償で汲めるようになっていたが、「生水は飲まないで下さい」と書いてあった。じゃあ、沸かせば使えるわねと妻が言うので、ここで昼食とすることにした。コッヘルを出して水を汲みコンロで沸かしていると、「お待ちどう様」と言って横のパーティにカレーが運ばれてきた。「うわー、おいしそう」の声が聞こえる。
妻がカレーを注文しようかと言うので、「僕は別にいらないけど、食べたいなら注文したら。」と言ったら、注文をしに受付のほうへ行き、「カレーは高いので700円の焼きそばにした。」と言うので、「今ラーメンを作るのだし、同じ麺類じゃなくカレーにしたら」と言ったら、あわててもう一度受付へ戻った。
「もう作り始めたけど、変更してあげると言われた。」ということで無事妻はカレーにありつけた訳であった。しかしながら、カレーが来る前に作ったカップラーメンも少し食べたので、半分位でお腹が一杯と言って結局半分は自分が食べた。(と言うより自分にも食べさせようとする優しい妻であった。)
カレーを注文した一行が今度はビールを買いに行った。「ああうまい!」と言って飲んでいる。今度は自分がビールを飲みたくなって、飲んでいる人に「冷えていますか?」と聞いたら冷えているよと答えるので、妻が買いにいってくれた(この間自分はコンロの片付け等をしていた。)が、「冷やしてはいないけれど」との事だけどどうすると聞きにきた。冷たくないなら次の所でいいやと飲むのは諦めた。

1000円のカレー
結構肉も入っていておいしかった
自分はこの山行でビールを4本買ったが
妻が買ったのはこれだけでした。
奥日本庭園
ラーメンを作ったりカレーを食べたりで、結構雲ノ平山荘に長居をしてしまった。(1時間位か?)山荘入り口前の坂を下りて木道に戻る。
雲ノ平の木道の上は日光を遮るものが無く、ようやく夏の輝きを取り戻した太陽に焼かれ続けて、日焼け止めを塗っていたのに足が真っ赤になってきた。
進んで行くと左の丘の上に木道が続いていて「アルプス庭園」と標識が出ていたが、寄り道せずに木道を進む。
やがて、「奥日本庭園」の標識に出会う。やはり何故日本庭園なのかは良く分からなかったが、石が丸く連なっていて中を池のように思えば日本庭園と言えるのではないかと妻が言う。
「奥」とは高瀬ダムや新穂高のほうから雲ノ平に入ってくる人が多いので、雲ノ平の奥と呼ぶようになったものと思われる。

奥日本庭園
アラスカ庭園
さらに進むと「アラスカ庭園」の標識。やはり理由はわからない。
この当りから、続々と登ってくるパーティに出会う。
この先も木道は続くが、ゆるやかに下っている。標高では木道のままで100mくらいは下りたのではないだろうか。拾ったゴミを持った山岳パトロールの腕章をした2人と会ったので少し話しをした。薬師沢小屋に泊まって登ってきたと言っていた。きっとボランティアでやっているのだろうなと思った。
カンカン照りの中を歩きながら、妻が「こんな登山に一緒に来てくれる嫁さんは私しか居ないわよ。」と言う。きつい山行だけではなく、歩き方まで何度も文句をつけていたのを反省していたので、「感謝してるよ。」と答えた。

木道の末端
遂に木道の末端に到着。記念に写真を撮った。カシオのプロトレックで標高を見ていると、木道のままで100m以上標高が下がっていたので、残っている標高差は300mくらい(標高2,000m位まで下りる)ではないかと想像したが甘かった。
下山道は石のゴロゴロした沢の中を下るようになる。何百mか進んだ所でもう一度木道があるが、そんなに長くはない。
そしてガイドブックに書いてある通りの急坂の下りとなる。

木道の最後から雲ノ平方面を振り返る
急坂の下り
下りは坂が急なだけではなく、石がゴロゴロ続く中を下るのであるが、その石が滑りまくるのである。登ってくる人はヘトヘトに疲れている人が多く、自分達が避けようと思う前に、避けて休憩をしていて、あとどれ位ありますかと聞く。自分達が黒部五郎を回ってきたことを聞いて、もうこの道を下りたくないからそちらの道はどうかと聞かれたので、「どうって事ないですよ」と答えたら、「あんたたちにとってはねェ」とため息をついていた。
それからもう一組パトロールの人たちが上がってきた。
下っている自分達もいい加減に嫌になってくるが、どこまでも下り続ける。救いは木の陰になって日光が当たらないことであった。日焼け止めを付けていたのに足は真っ赤になっていた。
妻は慎重な性格が幸いしてか、滑り易いのに一度もこけないで下っていく。木の間から対岸の斜面が案外近くに見え、川の水音はするが、薬師沢の河原は見えない。
この下りの間に40〜50人位の人が登ってきただろうか。吹き上げてくる風を感じながらしばらく歩くと、ようやく木の上越しの真下に薬師沢小屋が見えた。プロトレックの高度は1,850mを示していた。

これは登りではありません
下りても下りても下の見えない下りが続く
薬師沢小屋へ
やれやれやっと着いたと思ったが、下っていくと河原に出て小屋は対岸にある。
妻は川を渡渉するのかと思ったのか川の方へ進むので、橋があるやろ、そっちだよと言って上流のほうへ行くが崖の陰になっていて上り口は見えなかった。崖の所を回るとハシゴがあって吊り橋に続いている。

吊り橋へとハシゴを登る

増水しているときは渡れない?
雨が止めばすぐに水が引くから
無理に進まないで待つように書いてあった。

薬師沢小屋は気持ちの良い場所にある。
しかしそこへ行く吊り橋は気持ちが悪い。
薬師沢小屋
吊り橋を妻が恐る恐る進んでいく。足場は狭く、両サイドのロープを手で持ってと思うが、逆「ハ」の字形に拡がっていて離れている上にストックを持っているので持ちにくく、結構怖い吊り橋であった。妻が渡り終えるのを待っていたが、妻も自分が乗って揺れるのが心配になったのか途中で振り返って「「渡るまで来ないで」と叫んだ。
橋を渡った先が小屋の入り口であるが、玄関先が日陰になっていて休憩するのにちょうど良かった。流水でビールが冷やされていたので、やっとビールが買えた。500mL700円。水晶小屋と雲ノ平山荘で我慢してきた甲斐あって、良く冷えていて最高にうまかった。いつも一口しか飲まない妻も、おいしいと言って二口、三口と飲んだ。
トイレを借りる時と出る時に声を掛けただけであったが、入り口の横の売店で店番している人は感じの良い人だったねと、小屋を出てから妻と話をした。

釣り人が余りに多くの岩魚を釣ったので
絶滅寸前になったらしい。
必要なだけ(2〜3匹)にしましょうと
呼びかけている。
薬師沢出合
小屋の左の階段を登って出発する。登った所から木道が始まり、また延々と続くが、ほとんど高度は上がっていかない。行けども行けども、ほとんど高度はあがらず、木道で多くのパーティとすれ違った。一応こちらが登りであるが、向こうは大勢なのでどうしてもこちらが避けるしかない。木道は歩いたまますれ違える場所がないので結構ロスになる。
木道が終わってしばらくして河原へと下りていく。ガイドブックには薬師沢小屋から3ヶ所の渡渉があるから小屋で確認することと書いてあったので、雲ノ平から下りる時に登ってくる人に渡渉は問題なかったですかと聞いていたのであったが、なんとことはない。ちゃんと橋が架かっていた。他の2箇所も同じく橋が掛かっていた。余程の大水で橋が流されない限り大丈夫と思われる。

最後の登り
3つ橋を渡った後はやっと本格的な登りになる。といっても手を使わなければ登れないような険しい所はない。登山道に木陰はあまりなかったが、ようやく雲が出て太陽を遮ってくれた。
険しくは無いといっても、標高で3〜400m程登ったであろうか。ここまで長い長い道のりであり、かなりくたびれていたのでスピードも出ない。ただ、歩けばそれだけ小屋に近づいていると思いながら足を進めた。
やがて昨日歩いた北ノ俣岳への稜線ともう少しで同じくらいだな、もうすぐだろうと思っていると、太郎平小屋が見えてきた。木道の始まりの辺りにいた2人の人から聞かれたので、今日の行程を話してこのまま折立まで下りて福井へ帰りますと言ったら驚いていた。

ここからは太郎平小屋が牧歌的に見えた
太郎平小屋
太郎平小屋に到着。ここまで来たらもう下るのみである。もう終わったという気分で妻もニッコリ、ピースサイン。雲ノ平とその向こうの水晶などを見て、あれはなになに山とか言っている人と一緒に妻に昨日から歩いた山々を教えると、珍しく一生懸命に覚えようとしていた。それを聞いた人が、そんなに早く歩いていると、山も花も見ている暇がないのではないかと聞いてきた。歩きながらでも見えますからと答えた。
ここでもビールを買った。あと2時間位で折立に着いてすぐに出発の予定なので飲酒運転になるといけないので350mLにした。もうそんなにはいらないと思ったが、水をペットボトルに詰めに行った。その時、妻が生水はなるべく飲まないようにしましょうと書いてあると言う。今さら気がついても遅い。昨日飲んでなんともないのだからなんともないよと言って、最近、何でも責任問題になるから、そのように書いて飲んだ人の責任ですよという意味で書いてあるのではないかと言った。

足跡を残した山々を背に
自分の足・手はかなり真っ赤です
登山口に感動の到着
下りる途中、妻は足が痛いと言う。下りは足が前にズレるからつま先が痛くなるので、足をカカトのほうへトントンとしてから足の甲の部分を強く締めると良いと教えた。しばらくそのままで歩いていたが、靴紐を締めなおした。
少し良くなったと言ったが、実際は足の裏が痛かったらしい。これだけ歩けばしかたがないとも思ったが、この山行用に厚くてクッションの良い「高価な」靴下を買ってやったのであるが、妻はもったいないと言って違う靴下をはいていたのであった。それで、10月の山岳耐久レースではあの靴下をはかないと駄目だよと言ったら、かなり応えていたらしく素直に「そうね」と言った。
従っておばさん歩きでゆっくりと下りていった。それを言ったらしばらくはビュンビュンあるいたがやはり痛いらしく、またおばさん歩きになったが、「もう少しやで急がんでもいいよ。」と滅多に言わないやさしい言葉をかけてゆっくり下りた。
そして、遂に登山口の到着。「おかあさんのおかげでいい山行が出来て良かったよ。」と言ったら何故か涙が出そうになった。良く頑張ってくれた妻に感謝するばかりである。とはいえ、ここから家に帰るまで妻は寝ているだけの極楽身分ではあった。
帰ってから妻に聞いたが、去年の2日目(ヘトヘトニッコリヘトヘト悪沢岳 参照)よりは楽だったと言った。
折角大急ぎで家に帰ったのに、娘達は食事に出ていて、30分もして帰ってきた。中国と韓国の女性とアメリカの男性の留学生が一緒だった。みんな日本語がうまくとても良い人たちであることがすぐに分かった。本当は泊まってもらいたかったが、翌朝用事があるといって帰っていった。

とてもうれしそうな笑顔だった。

自分自身よりも
頑張った妻を誉めてあげたいと思った・・・

(本歌取り 有森さんごめんなさい)
我ながら名文句?
登山について
こうして、今年最大・最長の山行は無事終わった。
何回か書いてはいるが、自分達の山登りは一般常識とはかけ離れた異質なものであり、正統な登山をされているほとんどの山好きな方々は眉をひそめているに違いないと思います。(よって真似をしないでください。)
登山の醍醐味は、登山の最初から最後までに嵌め込まれているものだと思います。
登山口にそよぐ風からもう下界とは違います、木の根・石につかまっての登山道そのもの、足元に咲く名も無い花、小鳥のさえずり、尾根に出たときの開放感と吹き渡る涼風、たまたま同行になった人とのおしゃべり、水場で飲む冷たくてうまい水、休憩で食べるお菓子の味、一帯にひろがるお花畑、ガスの切れ間からの一瞬の眺望、思いがけない雷鳥の出現、小屋での語らい、感動的な御来光、圧倒的な夕焼け、満点の星空、流れ星、雪渓での童心に帰ってのシリセード、休憩時のコーヒー、贅沢な昼食・・・
自分の場合はこれらのほとんどを諦めるか、一瞬立ち止まって瞳の片隅に納めるだけでただひたすら歩き続ける。全身から湯気を立て、荒い息を吐き続けながら・・・
あんたは絶対「M」だと言われるが、それは違うと思っています。全力を挙げて山と格闘しながら、自分は普通の人が味わえない「山」を味わっているのだと思っています。それはあと何年も続けられないものだと思っています。
大自然の中をたったひとりで歩いていると自分の弱さ・自分の小ささが良くわかります。大自然の中を夫婦で歩いていると夫婦であることのありがたさを強く感じます。(歩きながら文句ばかり言っているので妻が感じているかは不明です?)
これからもひとりで、夫婦で(あまり文句を言わないようにして)、知らない山に登ってみたいと思っています。
何故、山に登るのでしょうか?

自分の場合、丹南ウォークを書かなければ・・・という強迫観念もかなり大きな理由になっています。
けれども、どんな登り方をしていても、やっぱり山ってすばらしいなァと思うわけです。(言葉でうまく表現できませんが)

同じ町内に住むかの有名な多田義一さん(ほとんど毎月のように福井新聞のこだま欄に投書が載っているので、県内で登山している人で知らない人はいないのではないかと思いますが)と社会奉仕の草刈の休憩の時に話をしたのですが、「こんないいもの(登山)をもっとみんなに知ってもらいたい。」と言っていました。そして、知り合いから「多田義一」で検索したら出ていたと言われ丹南ウォークの話になりました。
彼の話を聞いていると、たくさんの山友達がいてあちこちからお声がかかって、さらに山交(誤字ではありません、山を通しての交友という造語です)の輪が拡がっているようです。

丹南ウォークを見てくださる方がどれほどいるかはわかりませんが、この夏家族で山登りをした人も多いのではないでしょうか。自分の気違いじみた山行記を和らげる楽しい山登りを丹南ウォーク掲示板でご紹介下さい。

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