四国第二の高峰剣山
(撮影平成15年3月23日)


剣山(つるぎさん 1,955m)

数年前の正月休みにNHKの劇場中継で
宮尾登美子の「天涯の花」をやっていた。
テレビをつけていたので何気なく見始めたが
面白くて外出の予定を延ばして見入っていた。
その後、原作を読んでみたいと思って
本屋さんを覗いてみたがどこにもなかった。
それが1ヶ月程前、
娘が行きたいというのでブックオフに連れて行った所
偶然見つけて買って帰った。
400ページ以上の本を2日で読み終えた。
一緒に劇場中継を夢中で見た妻にも読むことを勧めたが
忙しいのかはじめの方に栞が挟んだままである。

という事で0泊2日で高知に旅行し、ついでに
剣山に登ろうと計画したわけであった。

どうやって行くの?
明石大橋が出来たので、淡路島経由で四国に上がり、(鳴門で一旦高速道路を下り、徳島で高知道に乗る)高知自動車道で一気に高知まで行けるようになった。距離的にも片道約500kmであり、フェリーで徳島に渡っていた頃から考えると四国までの時間は半分になったように思われる。
高知で土佐和紙(伊野町)と竜馬生家跡、竜馬記念館、桂浜の竜馬像などを見て、夜は名物の皿鉢料理を食べ、翌日は桂浜の竜馬像の前から昇る日の出を見て「
日本の夜明けじゃ!」と叫び、祖谷渓谷から剣山の見ノ越まで車で行った。
21日、仕事から帰った妻をと夕食を慌しく終え午後7時過ぎに出発。8号線→161号線から大原経由で京都に入って娘を乗せた。
ワンゲル部に入った娘は、土日はほとんど何処かの山に行ったり、サイクリングに行ったりしているのであるが、運良くスケジュールが空いていた。5月に長女の披露宴を控え旅行をしぶる妻ではあったが、坂本竜馬ファン次女を誘う頭脳プレイで妻も行く気になったわけであった。
淡路島で眠くなったので、サービスエリアに車を停めて寝る。いつもは2人であるが、娘がいて3人なのでフルフラットにしたシートに布団を敷き、互い違いになって寝た。娘はワンゲルのテント泊はもっと窮屈だと言ってすぐに寝息を立てた。自分も家から持ってきたビールを飲んですぐに寝た。

見ノ越まで
祖谷へ入るまでも山の中腹のような険しい斜面にへばりついて集落があるのに娘はびっくりしていたが、祖谷渓谷に入るとますます険しくなる。狭い道を延々と進んで奥かずら橋に近づく頃には道路に雪が残りだした。22日高知道で池田町辺りを通過する時にみぞれだったので、山は雪と諦めてはいたが、この付近で雪では前途が危ぶまれた。タイヤはスタッドレスに交換する前にパンクしていたので、その前のスタッドレスを履きつぶすために前輪に履いていたのだけが頼りだった。
しかし、標高が高くなるにつれ雪はいよいよ多くなり、わだちはあるものの見ノ越まで数百メートルの所で遂にスリップし立ち往生。妻と娘に押させるが動かない。一度も運転をした事がない妻にギヤチェンジの方法を教えて押した。すると前進出来たので、そのまま押しながら走り、どうにか見ノ越まで到着した。

見ノ越のロープウェー駐車場
約10台の車が駐車していたが
すべて4WDだった。
登山口
駐車場に到着したのは11時頃だった。晴天だったので、登頂して戻ってくる頃には雪も少しは消えて車で下りられるだろうと楽観的に考えて登山することにした。
登山口は駐車場から少し(100m程)戻った剣神社の階段である。階段の反対側には数件の土産物屋があるが当然閉まっている。

剣神社
階段はきれいに除雪されていて、登っていると右側の車道を女の人が除雪していた。ご苦労様ですと声を掛けて登り、拝殿でお賽銭をあげてお祈りをしてから右に進み登り始めた。
娘からお父さんは無茶苦茶急ぐからいやだと言われたので、最後をおとなしく付いて登った。
登山道
ロープウェーの降り口で数人の人が休憩していた。みんなアイゼンをつけている。僕らはアイゼンもつけていませんと足を上げて見せて少し話しをした。高知へ行ったついでに登っていて今日福井へ帰るのだと言ったら、雪に慣れているからアイゼンもいらないのだろうと言われた。みんなかなりの大きさのザックに防寒具で見をまとっているのに対し、自分も娘もサブザック程度でと妻は手ぶら、しかも自分は途中で熱くなったので長袖シャツを脱いで半そでTシャツだった。
山の上に黒く見えるのが見晴館
刀掛けの松
かなり頂上に近い稜線に1本だけ松の大木がある。辺りには高木はない。
刀掛けの松と地図に書いてあるが、謂われは知らない。雪がない時なら、休憩するに良い場所かも知れないが、頂上が近すぎる気もする。見晴館が近くに見える。

見晴館
登り始めた頃は、見晴館のある所が頂上のように見えたが、ここまで来ると本当の頂上が見えてくる。と言っても、200m位離れているだけで標高差もほとんどなく、木道が続いている。
この辺りで妻が疲れたと言って休憩したので、先に娘と一緒に頂上へ向かった。錆鉄人と違って本当の鉄女だと思っていたが、今年になって全然走ってもいないので体力が落ちてきたようだ。

頂上
頂上には数人の登山者がいて、展望を楽しんでいたが、若干もやが増えてきていて、遠く海までみえるという事はなかった。
頂上は風が強く、しばらくこの格好でいたら寒くなったので長袖シャツを着たが、この日の夜中に家に帰る頃までのどが痛かった。
宮尾登美子の碑
戻りは妻も快調で3〜40分で剣神社に到着した。階段折口の左側に宮尾登美子の天涯の花のガラス?の碑があった。
徳島へ、本州へ
駐車場のすぐ横には見ノ越トンネルがあり、来た道を戻るよりははるかに距離が短縮出来ると思われたが、北側斜面を下りる形になるので雪の量も多く溶けていない可能性も高く怖いので戻ることにした。奥かずら橋を過ぎて少し下ったところで標識があり、右手に何とか峠とあり、地図を見ると大歩危まで戻って高速に乗る場合と比べて、相当距離が短縮出来そうであった。剣山の峠とはかなり低いだろうから雪も大丈夫だろうと進んだが、道は狭くだんだん標高も高くなり見の越と同じ位の標高に峠があって、そこからは雪も斜面を滑り落ちるように下っていった。標高が1,000m位になって雪がなくなるまで生きた心地がしなかったが、対向車がなかったので無事下りられた。 その後さらに下って、ようやく家並があるようになってからも、延々とすれ違いの出来ない狭い道路が続き、こちらでは考えられないような山の中腹の急斜面(例えば日野山の中腹のような所)に集落があり、急斜面のだんだん畑がある。畑仕事をしていてちょっとバランスを崩すと谷底まで落ちてしまうのではないかと思われる。自分は四国には何度も来ていて見慣れていたが、娘は小学生低学年の時以来の四国で、このような山の中は初めてだったので相当なカルチャーショックを受けたようであった。
明石大橋の所で行楽帰りの渋滞となり名神に入るまでは嫌になるほど時間がかかったが、名神はスムーズに流れていて、娘を京都のアパートまで送り、161号線で家に帰ったのは真夜中に近かった。

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