歴史を秘めた山三峯
(撮影10月20日)

よみがえった大イチョウ
三峰
山頂が金谷方面・西袋方面・上戸口方面から伸びた3つの尾根が合流しているので三峯と呼ばれる。
南北朝時代に、新田義貞の弟 脇屋義助が山頂に城を築いて戦った歴史があり、史跡となっている。
また、峠は一乗谷とを結ぶ要衝であって、昭和初期まで三峯集落があった。
どうやって行くの?
鯖江市上戸口町から福井市に通じる戸の口トンネルのすぐ手前を右折し、林道を約4km程進むと旧三峰集落跡に出ますので、ここに駐車して頂上へ向かいます。
林道は狭いのですれ違いは困難ですが、滅多に車に出会うことはないと思われます。
幻の三峯村落図
戸口方面と一乗谷を結ぶ要衝として栄えた三峯村も昭和12年に山崎家が下山して千数百年の歴史を閉じたと書かれています。

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遊歩道案内図
車はこの三峯集落跡の上にある駐車場に駐車し、林道を100mほど歩いた所が遊歩道の入口です。頂上の城山まではわずか800mで、登山道ではなく「遊歩道」となっています。歩いて15分から20分位です。

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三峯集落発掘跡
駐車場の下が三峯集落があった場所で発掘されています。また、駐車場の少し手前の山手にお墓があります。

よみがえった大イチョウ
昭和初期に三峯村はその歴史を終えたが、乳授けの大銀杏として有名な幹廻り10mの大木は健在であったという。
しかしながら、昭和56年の大雪により惜しくも折れてしまった。やむなく枝を払い隣に穴を掘り、願いを込めて埋めた所、折れた大樹は不思議にも芽を吹き、大銀杏の不滅の生命は見事に蘇えった。それがこの写真のイチョウの木である。
道標
さて、大銀杏は後に見ることにして、林道を100mほど進み、遊歩道の入口から階段を登った所が峠で、「右 三峯城、左一乗谷城」の道標があります。
土橋
尾根添いの道を進んでいると「土橋」があります。土橋とは写真のように細く切り立った道がS字状になっていて、攻めてくる敵兵を攻撃しやすいようになっています。

頂上
土橋を過ぎるともう三峯城の領域です。
大手・虎口・掘切などの案内板を見ながら進むと頂上はもう間もなくです。
城山の頂上には「脇屋義助卿守戦之地」の大きな石碑が建っている。
     

城山の頂上
頂上からの眺望
頂上の周囲にはかなり木が伸びていますので、全ての方向が見えるわけではありませんが、福井市方面や一乗谷方面、河和田方面が見渡せます。
一乗谷が間近に見え、この地が戦争の要衝であったことがうかがえる。

城山の頂上から一乗谷を見下ろす
山城史跡
頂上には三峯城跡に関しての案内板があります。
それによると、北朝方の平泉寺僧兵が南朝方にひるがえり三峯に立てこもった際に、南朝方の総大将である新田義貞は弟の脇屋義助を城の総大将として派遣した。しかし、築城から4年目の暦応3年北朝方の三山重行によって攻め落とされたという事である。
南北朝時代の山城の特長をよくとどめた貴重な史跡であるとの事であった。

城の説明図(→拡大図

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