光岳(てかりだけ) 光岳は南アルプスの百名山の中では最南端で標高も2,591mと低い。 気候の上では表日本側に属し、福井が雪なら大抵は晴れている。 インターネットで「光岳+正月」で検索したホームページを見ると 積雪も通常数十cmから1m程度らしい。 つまり、冬山1年生にとって手頃な山ではないかと考えた。 |
どうやって行くの? 中央道を飯田インターで下りて、三遠南信道(の矢筈トンネル)を目指して市内を通過し東へと進みます。川を渡り一旦小さな山を越え、さらに東へ進むとやっと矢筈トンネルです。矢筈トンネルは最近完成した長いトンネルで、前回聖岳に行く時、道を間違って旧道を走った経験(すれ違いの出来ない4km程の1車線のトンネルがあり、道路も狭く曲がりくねっている)からしても、この地域の人の悲願だったものと思われます。(長い谷ですが人口は千人位ではないでしょうか) 矢筈トンネルからは、道なりに南に進み南信濃村へ進みます。 |
12月30日、お昼に家を出た時は雪で、木之本インターの所でチェーン規制の為、帰省の車が10km近く繋がっていた。恵那辺りから再び雪になり、矢筈トンネル付近では10〜15cmの積雪であったが、トンネル出口から南信濃村までの国道は、除雪されていて走行には支障がなかった。 しかし登山口への道路に入った途端、2本のタイヤの轍があるだけで不安を感じたが、轍がある限りは先行車があるという事なので(雪も小降りになり天気予報通りやんで31日は好天になるものと思われた事もあり)突き進んだ。 山腹の最後の家を過ぎてからは積雪も増え轍もさらに心細くなった。途中の急坂では帰りに上られるか不安になってバックをしてみた。(ここは上られた)発電所横の2ヶ所の180度の急カーブ・急坂は途中で不安に感じたが、今更遅いとそのまま進んだ。橋を渡って舗装されていない左岸を走るようになると積雪はさらに増え、轍を外さないように慎重に進んだ。 |
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駐車場 | ||
駐車場に着いたのは午後4時半頃だったと思うが、さらに先の便ヶ島への轍は完全に消えかかっていた。 川に沿って10台駐車していて、丁度1台分スペースが空いていたのでそこへ駐車した。すでに暗くなりかけていて、飯田市のコンビニで買った31日の行動食をザックに詰め、夕食を食べながらチューハイを2本流し込み、5時半頃には布団の中の寝袋で眠りについた。目をさましたのは7時半でそれから3時間程寝られない間にさらに3台車が来た。 いつのまにか寝たり起きたりの繰り返しで、6時半頃起きて朝食を食べ、ザックの中身の最終チェックをして、着替えをして出発した。 |
31日午後2時の駐車場 |
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吊り橋 | ||
駐車場の下手約100mの所に吊り橋があり、そこを渡ると登山道が始まる。 【この日の装備】 スカルパの二重靴(まだ足になじんでいないのですぐに足が痛くなるが、暖かい) ミズノのブレスサーモの長袖シャツにウール100%のチェックシャツ、下はブリーフに薄手のナイロンタイツをはき、その上に登山ズボンをはいた。手には薄いナイロンの手袋をはめその上に防水素材の薄い手袋をはめた。(これが今回の途中撤退の原因でもあった) (計画では6時出発のつもりだったが)6時45分、外に出るとやはり寒いが、少し歩けば暖かくなると思って歩き出す。 |
31日午後2時、駐車場より吊り橋を望む |
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登山道 | ||
吊り橋から続く登山道の足跡はほとんど雪で埋まっているが、テープがたくさんあり迷う心配は皆無であった。樹林帯の中なのでヘッドランプを点けていたが、しばらくして消した。 ザックは最終的には25kgほどになってしまい、登っていると汗をかいてきた。 例によって熊が出ないかとピッケルを身構えながら進む。(この時期なら冬眠しているのかもしれないが) 面平まで登ったらテントが1つあり、2人の足跡が登山道にあり、スリップした場所がわかり歩きやすくなった。 |
1時間程歩いて休憩し、ザックを下ろしてステンボトルのアクエリアスを飲もうとしたら、ボタンが動かず振ってみても音がしない。はやから凍ってしまったのかと青くなる。(蓋の部分は凍ったのかもしれないが、音がしなかったのは一杯まで入れすぎていた為ではなかったかと、帰ってから分かった)ザックの中心部にあったペットボトルの水は凍っていなかったので、飲んだ後セーターでくるんでまたザックの真ん中にしまった。 ザックは20年以上前に買ったショイナードのアルティマツーリィであり、ウエストベルトがワンタッチではないので手袋をしたままでは締めにくくてイライラした。勿論、胸のベルトもなく、ザックの重量はほとんど肩で背負うことになり、ほとんど10年ぶりの重みを我慢しながらの登りであった。 |
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易老岳分岐 | ||
2回目の休憩で行動食を食べようと薄い手袋だけになってチーズの包み紙をむいた。風が強く寒さを感じたのでそのままで雨具を出して上着だけを着た。ペットボトルの水は一部(口の部分から)凍り始めていた。 わずか5〜6分オーバー手袋(という程立派な物ではないが)を脱いでいただけで指先が凍えてしまったのでポケットに手を入れて暖めながら進んだ。(しばらくで回復した) |
途中1ヶ所だけ雪がなくてもスリップしそうな急な下りと登りが続く所があったが慎重に進んで、易老岳の分岐に11時丁度に到着。ここまでで3つテントがあった。 雪を踏み固めた広場のような所(テントの跡か)に3人が休憩していた。光岳へは2時間50分と書いてあり、しっかりしたトレースがついていたので、挨拶だけして通り過ぎる。すぐにトレースはつぼ足状態となり、稜線に出た為か風が強く、寒さとピッケルを持つ指先に凍えを感じた。 ザックの中にはもっと厚い手袋があるがどこに仕舞ったか思い出せない。風に背を向けて立ち止まり考えた。今戻れば車もあの坂を登られるだろうとか、このまま進んでテントを立てても寒さは続くし、天気予報では明日の初日の出は絶望的だし・・・しかしここまで来て戻るのも残念だし・・・ |
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稜線からの光岳 | ||
とりあえず、風の弱い所へ移動して休憩した。ちょうど光岳が見渡せた。200m程下ってさらに300m程登る感じだった。 水はかなり凍ってきていて、この次の休憩では完全に凝ってしまいそうだったので、水を全部飲んでしまう。アクエリアスは凍ってしまったと思っていたので、液体はペットボトルに詰めた梅酒だけとなり、その事が不安感を増大させ、戻る事にした。(1.3リットルのアルミ水筒に入れた水は一杯まで入れていたので凍ってしまっていた。) 易老岳分岐まで戻って、富士山が見えるところがないかとしばらくウロウロしていたが、樹林が続くみたいなのであきらめて分岐で再度休憩。梅酒を飲み、雪をほおばった。 |
稜線からの光岳 11時24分 |
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下山 | ||
下山をする事に決めて引き返したのに、残念な気持ちもあってしばらくためらっていた。12時になったので意を決して足早に下り始めた。 30分程下った所でダブルストックとアイゼンで登ってくる人に出会う。光岳までのトレースの様子などを聞かれる。稜線で風が強いので引き返してきたと言ったら、もう一度一緒に登りませんかと誘われたが、もう戻る気持ちはなかった。さらに30分位の間に2人の登山者に出会う、何れも単独行だった。こんなペースでは光小屋までは行けないのではないかと思った。 下山していたアベックを追い越したりして快調に下るが、スリップして踏み止まった時に右膝を捻挫した。さすがに25kgの重量はこたえると思った。 |
下山途中から見た聖岳 12時24分 |
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反省 | ||
駐車場に着いたのは1時45分だった。1台、エンジンをかけている車があった。 ドアをあけて残して置いたアクエリアスを飲んだ。それから登山靴をぬいで長靴にはきかえ、ビールがあった事を思い出し、一応無事に下山した事を祝って飲んだ。下着は汗で濡れていたが、車を動かせば暖房で暖かくなるので洗濯物をふやすこともないだろうと、2時丁度にそのままの格好で車を走らせた。この頃はまだ一面青空で明日は本当に曇りだろうかと思ったが、高速に乗る頃中央アルプスの上に雲が現れ恵那山トンネルを出たら一面に雲が拡がり始めていたので明日の初日の出はないだろうと安心した。(登っていた人達ごめんなさい)上村の役場の周辺のみ携帯がつながるので家に下山したことを連絡し、結局1回も休まずに午後6時45分頃帰宅した。 |
【反省】 ☆装備の問題点 1.手袋をしたままでは担ぎ難いザック(夏の家族登山の時しか使用していなかったので手袋などつけた事がなかった。25年程前3万円位したのに・・・) 2.凍ったペットボトルの水は利用出来ない。 3.カメラをいつでも取り出せるように身につける。(朝日に金色に輝く聖岳が樹林越しに見えたが、ザックを降ろすのが面倒で撮らなかったのが今思うと残念である) 4.段々と余分な物を詰め込んでしまった。 【準備の問題点】 1.末端部(指先)の保温に極力努める。 2.環境変化(稜線の強風による体感温度低下など)を事前に察知して準備しておく。 |