日本一の山だから登りたい 富士山

1989年8月
(長女小2、次女6歳)

富士山(3,776m)

富士山の高さは「ミナナロウ(皆成ろう)」と覚えるのだと聞かされたのは
いつ、誰からだったかは覚えていない。
けれども自分にとって、日本一の富士山は憧れの山であった。
高校2年生の夏休みに原付バイクで中部地方を1周したが、
富士山に登るというのが大きな目的でもあった。

そんなふうに、
子供たちにも日本一の富士山はやはり特別な存在だった。
「今年は富士山に登ろう!」
と言ったら大喜びであった。

富士山のような気高く美しい存在に
ミナナロウという思いは忘れないでいたいものだ。


どうやって行くの?
この当時、中央自動車道は山梨まで全線開通していたかどうか記憶にないが、東名高速は全通していた。当然東名で行って富士宮口から登るものと思っていた。そのほうが走行距離は近いし、白糸のを見に行こうと思っていたからであったが、今は5合目までの通行が禁止になってシャトルバスになってしまったので、どちらが良いかは分からない。
【富士宮口登山道】
今も富士山頂で御来光を見るために富士山に登る人が多いが、頂上に到着する前に御来光を迎えた場合、富士宮口からの登山道は富士山の山腹が邪魔になってその瞬間は見えない。
初めての大遠征に道具を揃える
【車の買い替え】
富士山に登って次の日は山梨へ行ってぶどう狩りをする計画を立てたが、2日しかない妻の休みでこなそうとすると、夜の間に登山口まで移動する必要があり、普通の車では無理があった。そこで、当時ようやく一部の人たちに脚光を浴びていたワンボックスカーに買い換えようと考えた。トヨタ、日産とワンボックスカーを見に行って、フルフラットにして実際に寝てみたが、シート段差や膨らみで寝られたものではなかった。マツダのボンゴは全くといってよい程段差がなく、本当のベッドのような寝心地だったのでボンゴを買うことにした。
7月、運良く2年落ちのガソリン2000cc4WDがあり165万円で購入した。購入時、清水谷トンネルまで走ってみて力がないという事はないと思ったが、登山口までの道路はそんなものではなく、いつもローギヤでの走行を強いられた。また、タンク容量が40リットルしかなく、燃費も8km程度だったので長距離の場合はいつも給油が気になった。
しかし、このボンゴは大きな箱型のボディーに我々家族の楽しい思い出がぎっしりと詰め込まれた。
【ビデオ】
次女が生まれた頃、ポータブルデッキが発売され、ビデオカメラを借りて時々撮影していた。やがて一体型ビデオが開発され発売されていたが、大きな図体で旅行に持ち歩けるものではないと思い購入する気は無かった。しかし、この年、あのソニーの名機パスポートサイズの「TR-55」が発売された。これこそ待っていたものだと思って買い求めた。

幅107 高さ106奥行176 mm重さ790 g
177,000円
その後Hi-8が出てきたが大きさの点で満足しないうちにデジタルビデオが出てきたので、次女の中学2年生の終わり頃までこのTR-55は使い続け、撮影したビデオカセットは50本以上になった。我が家の宝物であるが、最近、ミルカセットのデッキが店頭から無くなったので早いうちにDVDにでもしなくてはと思っている。
駐車場
家を出たのは午後7時頃だったが、高速道路はお盆のUターンというよりは敦賀の海水浴帰りと思われる混雑で名古屋までノロノロ運転が続いた。そこからは順調に走れた。子供たちは後で寝ているように言ったが、初めての遠征に興奮したのか少しも眠らなかった。これが後に悲劇を生んだのであった。
富士宮口5合目まで上る途中の路側に延々と駐車されていたので、上の駐車場は満杯だろうと思ったが、途中でUターンする場所もなく、上りつめるとやはり駐車場は満杯で、下って路側に停めるように指示された。
延々と2km近く下ってやっと駐車し、早速出発した。時刻は午前2時だった。
小屋
駐車場まで車道を歩いて、いよいよ登山道に入る。少し歩くと小屋があった。5合5勺の小屋だった。駐車場の辺りではガスが出ていたがすぐにガスの上に出たのか満天の星空になった。流れ星が光った。
さすがに夜も寝ないで歩き出した子供たちは小屋に着くなりネムタイと言ってはベンチに横になったが、しばらく休憩しただけで歩き始めた。少し歩くとまた小屋が現れる・・・という感じで次々と小屋があり、その度に休憩しながら登った。
やがて東の空が紅く染まり、明るくなってだいぶん過ぎてから陽が射してきた。
8合目の小屋が数十メートル上に見えたとき、妻が言った。「私、もう駄目!」
「何言ってるんだよ!」と言って妻の手を引いて小屋まで登ったが、本当にもう駄目で動けなくなった。しばらく待ったが回復しないので、妻を置いて3人だけで登り始めた。

金剛杖は何合目で買ったか忘れた。
焼印を押してもらうのも
子供たちの楽しみだった。
眠り姫
長女は比較的車の中で寝ていたのではないかと思うが、止まる度に寝る振りをした。実際に眠かったのだと思うが、我が家では「眠り姫」というあだ名がつくほど、その後も「いつでも、どこでも、いつまででも」寝ていられる特技の持ち主である。
鳥居
お母さんはおいてけぼりにして子供たちと登り始めたが、子供たちは明るくなって眠気も覚めたのか元気であった。
富士宮口登山道は、富士吉田口のように岩場もなくただひたすら登っていれば頂上に到着出来る登山道だった。
やがて、頂上が近くなった所に鳥居があったが、何故かその下は通行止めになっていた。
9合5勺
上の写真とどちらが先にあったのかは覚えていませんが、9合5勺胸突山荘です。今もあるかどうかは分かりません。
頂上
富士宮口登山道の良い所は、富士山の一番高い所である剣ヶ峰があるという事です。(富士吉田口からの場合はお釜をほぼ半周しなくてはなりません。お釜はほぼ平坦なのであまり負担にはならないと思いますが。時間があればお釜を1周するのも良いかと思われます。約2kmで30〜40分程度です。)

    奥宮にて
   ここでおみやげを買いました。

遂に日本最高点を踏破!
寝不足で疲れた様子の子供たち
優しい言葉に感激
頂上のすぐ横は、プロジェクトXでも紹介された気象観測所です。富士山で一番高い所は観測レーダーのドームの上でしたが、登ることは出来ませんでした。(確か気象観測所はもう撤去されたはずです。)
頂上に登った後は、すぐ下の雪渓で遊んだりお土産を買ったりしながらお母さんを待ちましたが、登ってきません。そこで下り始めたらお母さんと遭遇。あそこが頂上だからと言ってそこでお母さんを待って一緒に下りました。
9合目辺りまで下るとユミちゃんの目がくっついてきました。無理もありません、徹夜で富士山に登ったのですから。すぐにメグも眠くなる事は目に見えていました。
ザッグをお母さんに担がせ、ユミちゃんをおんぶして駆け下りました。車に戻って絶対に出たら駄目だよと言って再び上へ駆け出しました。6合目の辺りで2人に会いました。「メグ、おんぶしてやるよ。」と言ったら「お父さんのほうがもっと弱ってるんやで、私はだんね。」と言いました。優しい言葉に涙がこぼれました。頭がズキズキしていたし本当に限界だったかも知れません。
3人で歩いて車に戻りましたが、車を走らせたらすぐに眠くなったので道路脇の空き地に車を突っ込んで寝てしまいました。

雪遊びで元気回復
翌日の観光

早朝に白糸の滝・音止滝を見学し、甲府に入りぶどう狩りをして、ワイン工場・宝石工場を見学し、さらに甲府市美術館でミレーの落穂拾いの絵を鑑賞して帰路に着いた。

見学したけれど
ワインは飲んでいません!
子供には興味がありませんでした。

                      HOME

inserted by FC2 system