(1)宝物の誕生から天使の誕生まで(1981年から2005年) | ||
私達たち夫婦の宝物「娘達」の誕生。 【私達の子育ての基本方針】 (1)他人に迷惑をかけない (2)思いやりのあるやさしい子 (3)「女の子だから」とは考えない (4)子供の可能性を伸ばす (5)自分自身にプライドを持つ (6)子どもが自慢出来る親である事 私達夫婦は娘達を宝物と思って大事に育てましたが、子供達は親の期待以上に優しくて立派な人間に育ってくれました。 |
お姉さん気分でご機嫌な長女と 不安げな次女 |
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(2)天使誕生!(2005年11月21日) | ||
待ちに待った、待望の天使の誕生です。ついに天女もおばあちゃんになってしまったのです。(という事は錆鉄人もおじいちゃんという事です) メグが破水して入院したという知らせを聞いた我々は居ても立ってもいられず、事情を聞いた勤め先の人が午後から休んでもいいとの言葉に、一路横浜まで走りました。 着いたらすぐに産院に行きましたが、陣痛もなくあっけらかんとしていました。翌朝はクバは仕事に行きましたが、天女は張り切って掃除洗濯をしました。 駅から産院に行きましたが変わりがなく、夕方になると道路が混雑するので、4時頃に産院を出ました。途中浜名湖SAで夕食休憩の時にクバに電話すると、陣痛が5分置きになっていて生まれるのは朝方ではないかという事でした。10時頃家に帰ってすぐクバに電話しましたが繋がらず、すぐに電話が掛かってきて、元気な泣き声が聞こえました。 良かった!ヨカッタ!と天女と抱き合って神様に感謝しました。これでもう安心と12時頃に寝たのでしたが、翌朝の電話にビックリ。不安でオロオロするしかない我々でした。 メグが数時間後に大出血して救急車で別の大きな病院に入院したというのでした。居ても立ってもいられない天女でしたが、3日間は絶対に仕事を休めないのでした。でもクバが会社を休んでメグに着いていてくれて、毎日何回も連絡をくれたので不安が安らぎました。 医者も助かったのが不思議なくらいだと言われたそうですが、メグは子供の頃からフルマラソンをしたりハードな登山をしていたので、強い体力が備わっていたのだと思います。 |
21日深夜 生まれたばかりの天使と共に 24日天使と再会 辛くて不安な日々でしたが 今度こそ安心です! メグが命がけで生んだ貴い命 優しい人間に育って欲しいとの願いから 優貴クンと名付けました |
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(3)優美ちゃと卒業記念旅行(2006年3月17日〜18日) | ||
優美ちゃんが卒業して就職すると、もう家族で旅行という事も出来なくなると思って、一緒に温泉に行かないかと聞くと忙しくても付き合ってくれる優しい優美ちゃんです。 昨年玉造温泉に行った時に、天女のお母さんが城之崎温泉に行ってみたいと言われていたので、次は城之崎温泉と決めていました。 17日は5時半に自宅を出発して、舞鶴金剛院−引揚記念館−優美ちゃんを拾う−安寿姫塚−気比の松原−天女の里−コウノトリの里−城之崎温泉小林屋・・・外湯巡り 14日は朝食前に御所の湯に行って、玄武洞−姫路城−京都に戻って引越し荷物運び−帰宅 という欲張ったスケジュールで760km走行しました。 |
天女の里にて |
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(4)優美ちゃんの大学卒業(2006年3月23日) | ||
優美ちゃんの京都府立大卒業の日です。優美ちゃんを美容院に送っていって仕度が出来るまでの間に、引越しの荷物を運ぼうと朝4時半に起きて行きました。 これで2人の娘の幼稚園の卒園式(保育所はありませんでしたので)から小学校・中学校・高校・大学と合計10回の卒業式に全て夫婦揃って出席(これだけでも相当変わってると思われていますが、我々夫婦のポリシーです。)し、感激の涙を流すことが出来ました。2人の自慢の娘に感謝するばかりです。 優美ちゃんは、優しくて責任感が強くて間違ったことは絶対にしない性格なので、ワンゲル部ではみんなから「神(goddess=女神)」と呼ばれているのもうなずけます。 という事で、我が家には天女ばかりではなく、女神と天使までいる凄い家族なのでありました。錆鉄人は肩身が狭いので何か名乗りたいのですが・・・。超スピードの長時間登山をしているので「天狗様みたいだ」と言われていますが、すぐにテングになってしまいそうなので、やはり錆鉄人を名乗っている事にします。(天女もお気に入りなので) |
コンサートホール前広場にて 優美ちゃんには、 山登りのあらゆる困難や辛さに耐えた強い体力と精神力 それと持って生まれた優しさがあるので、 これからの人生に何の不安もありません。 |