初めての山小屋泊まり 槍ヶ岳登山

1991年8月16日〜17日


槍ヶ岳(3,180m)

西穂独標、富士山、白馬岳と毎年こなし、
長女小4、二女小2のこの年は
始めての山小屋泊まりで槍ヶ岳に登る計画を立てた。

新穂高から槍平を経由して往復するだけでは勿体ないので
大喰岳、中岳、南岳と3つの3,000m級の山を経由して
南岳避難道から槍平に下りる豪華絢爛な計画を立てた。
子供達と妻には「天国の散歩道」だと説明した。

しかし、天国の散歩道のはずが
「地獄の散歩道」となって我々を苦しめた。


どうやって行くの?
槍に登る登山ルートはたくさんありますが、福井から1泊2日で登ろうと思うと、新穂高から槍平・飛騨乗越経由で槍ヶ岳山荘に1泊して、同じルートを戻るというのが最も一般的だと思います。
自分が上高地から槍沢のルートを選ばなかったのは、当時は安房トンネルがなく、お盆の時期に平湯から上高地までバスで行こうとすると、車のすれ違い困難による渋滞で何時間かかるか分からなかったこともありますが、往復の4人分のバス代も馬鹿にならず、コースタイムも新穂高よりは40分余計にかかるからでした。
安房トンネルが出来た今でも、バスでは出発が遅くなるので、早朝から歩き出せる新穂高からのコースをお勧めします。
【標準コースタイム】往復16:50
新穂高→2:00→白出沢出合→1:30→滝谷避難小屋→1:00→槍平小屋→5:00→槍ヶ岳山荘(山荘まで9:30)→0:30→槍ヶ岳頂上→0:30→槍ヶ岳山荘→2:50→槍平小屋→1:00→滝谷避難小屋→1:00→白出沢出合→1:30→新穂高

【南岳避難道経由下山】合計19:35
槍ヶ岳山荘→2:40→南岳小屋→2:45→槍平小屋(以下は同じ)
単に往復する場合と比べて2:45長くなりますが、3つも3,000m級の山の頂上を経由するおいしいコースです。(結構アップダウンがある上に、南岳から槍平山荘への下りは相当に険しいので覚悟が必要です。)
駐車場

新穂高ロープウェー駐車場 5:41
さて、出発して歩いていると、道路を上って行く車がいた。明らかに登山者の車に思えた。なんだ、まだ上に駐車場があるのかと思って駐車場に戻った。(この時間、駐車場は係員がいなくて開放されていた。)しかし、少し走ったらゲートがあって通行止めで、先ほどの車は路側に駐車していた。自分もまだスペースがあったので山に乗り上げるように駐車した。

        ゲートを入ってすぐ 6:07

出発は6:00頃だったと思う。
林道をそのまま穂高平避難小屋へ歩けば数百m余分に歩く必要があるので、ショートカットを通ったら夜露で濡れた。
穂高平小屋
そんなわけで穂高平避難小屋へはすぐに到着します。これが避難小屋?というほど立派な小屋です。まあ、この場所に避難小屋が必要だった時代からの呼び名だと思いますが、新穂高のバス停から歩いて30分程のこの小屋に、どういう人が泊まるのか不思議です。
6:35 撮影;メグ
白出沢分岐
白出沢出合には7時50分に到着。荷物がないこともあってか、子供でもほぼコースタイム通りです。自分は小屋泊まりとはいえ自炊なので食料やコンロ、着替え・雨具を子供達の分まで担いでいあたので、楽に20kgを越えていました。さらにビデオを持っての登山でした。

7:50 撮影
槍平小屋
到着は10時20分ごろだった。やはりほぼコースタイム通りだった。ここで小屋の水を利用して昼食タイムとした。ラーメン等を作ってほぼ1時間の大休憩となった。
気分転換
槍平小屋を過ぎるとようやく本格的な登りになる。子供達もきつそうなので、しょっちゅうショートタイムの休憩を入れ気分転換を図った。
しかし、登るにつれて傾斜はさらに急になってくる。子供が「あーァ、エライ」と言ったので、すかさず「校長先生とどっちがエライ?」と言ったら、反応してきた。それからは登りのきつさを、幼稚園の先生、小学校の先生、・・・大学の先生、大学の校長先生などと言いながら楽しく登ることが出来た。

そうしていると雷鳥の鳴声が聞こえた。辺りを見回すと果たして雷鳥がいた。子供達も妻も雷鳥を見たのは初めてだった。

11:59 最後の水場
飛騨乗越
延々と続くきつい登りも楽しく言葉遊びをしながら登って、遂に飛騨乗越に到着。ここは日本で一番高い所にある峠と言われている。標高は3,020mである。(三伏峠もそう言われるがどう違うのか?)

    疲れ果てたお母さん 14:55

飛騨乗越から小屋は近い。
すぐに素泊まりの申込をした。
お盆なのに素泊まり棟は空いていた。
15:45 お母さんは寝るのであった。
槍ヶ岳登頂
翌朝槍ヶ岳に登るのは、みんなが一斉に頂上を目指すので、登りも下りも渋滞して時間がかかる事は間違いない。しかも、子供達が険しい岩場を大人たちと一緒に登るのは迷惑をかけることにもなるだろうと思い、今日のうちに登ってしまうことにした。
   
子供達は案外ヘッチャラに登る。
下から気をつけよという位で良かったが、妻はへっぴり腰で遅れるので、子供を待たせながら登った。

頂上到着は16:50分頃だった。
数分は立ち上がれずに
岩にしがみついていた。
槍平小屋
下山のほうが危険である。子供達を見て頂上にいた清水市のグループの方が一人ずつに付いて下りてくれることになった。自分は二女に付いて先に下りながら指示をしたが、ほとんど指示するまえに自力で下りた。妻もいちいち足を着く場所を指示されて面倒だったと言っていたが、おかげで無事下りることが出来たと思っている。

     下山途中からの槍ヶ岳山荘

初めての小屋泊まりにはしゃぐ子供達
夜食はまたしてもラーメンであった。
窓の外には子槍が見えた。
夜中、降るような星空だった
御来光

     4:46 御来光を待つ
自分はずっとビデオで撮影していて、カメラを持っていた子供は御来光を写さなかったので、写真はありません。でも、感動的な御来光は一生忘れないだろうと思います。

雲海を足下に豪快な構図
大喰岳 3,101m
朝食もまたラーメンであった。
山荘出発は7:15頃と思われる。(7:14に山荘前で撮った写真がある。)
飛騨乗越から大喰岳への登りは、まだ調子が出ていないときでもあり結構きつかった記憶がある。右の写真で分かるように、案外距離もあるのであった。


7:45 大喰岳
中岳 3,084m

中岳に向かう途中に雪渓があり、子どもたちは喜んで遊んだ。

中岳8:33
この頃から二女が頭が痛いと言い出した。
南岳 3,033m
中岳を過ぎると、二女の頭痛はひどくなり遂に泣き出した。高山病だった。しかし、自分は20kgを越えるザッグを担いでいて、おんぶもしてやれない。我慢して歩かせるしかなかった。一緒に歩きながら涙がこぼれた。辛い登山道だった。

     南岳 10:05 高山病に泣く

南岳避難小屋でジュースを買った。
少し気分転換が出来たが
高山病は治るはずがなく、
優美ちゃんの頭痛は続いた。
高山病から回復
南岳避難道は「避難道」と名の付くとおり、登山道(登り)には使えないのではないかと思われる急な下りであった。
高山病の優美ちゃんの足取りは重かったが、高度はぐんぐん下がった。そして1時間も歩かないうちに、ついに高山病が回復したのであった。
やはり、高山病は高度を下げるのが一番であった。高山病の原因は分からないが、槍ヶ岳山荘の出発時から短パンだったので、身体が冷えたのが原因だったのかも知れません。

12:32
照れくさそうにVサインの二女と
お母さんの安心した笑顔
槍平小屋
二女の高山病ですっかり予定時間が狂って、槍平小屋に到着したのは13:30頃になってしまった。本当はここでまたしてもラーメンを作る予定であったが、優美ちゃんを高山病で苦しめた後悔もあって、小屋の食事を食べることにした。みんな同じなら早いだろうと牛丼を注文した。確か900円位だったと思うが、味噌汁も付いていて、ラーメンばかり食べ続けた(昼・夜・朝・昼の4食)我々には、飛び切りのご馳走に思えた。

13:48 久しぶりのご馳走だった
キャンプ
槍平小屋を出る時に予定よりかなり遅れていたので、「もう遅くなったので今日はキャンプは出来ないだろうから、車に戻ったらそのまま帰ろう。」と言ったら、子供達はキャンプがしたいと言って駆け出した。
そんな訳で、充分な余裕を持って車に戻り、3年前西穂高岳独標の後に行った露天風呂付きのキャンプ場「中尾温泉 合掌の森」へ車を走らせた。
3年前とはかなり様子が変わっていて、キャンプ場は狭くなっていて、その分オートキャンプ場が出来ていた。オートキャンプ場のはしりだったのかも知れない。我々は車を駐車場へ停め、装備を持ってキャンプ場へ入った。(そのほうがうんと安かったせいでもあるが、我々はテーブルや椅子など持っていない普通のキャンパーであった。)
でも、露天風呂はそのまま残っていて、楽しいキャンプが出来た。夕食の準備の時、ガソリンバーナーの「ピーク1」の点火に失敗し、コンロに火が点いてしまい、爆発を恐れながら必死でコンロを振り回して火を消した。ガスコンロも持っていたので炊事は出来たが、これ以来ガソリンコンロを使うのはやめた。

翌朝、装備の片付けをしている所

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