錆鉄人のプロフィール

錆鉄人は長時間超過重労働型日帰り山行をした後、さらに5時間も6時間も車を運転して帰って来ます。
なぜ、そんな事が出来るのかと不思議に思うかもしれません。
以下を見ても答えはないと思いますが、プロフィールを公開します。

【Webネーム;錆鉄人の意味】
錆鉄人とは、
鉄人のような強い体力と意志を持ちたいと願いながら実行力が伴わず、

鋭く光る鋼(はがね)となる前に鈍鉄が錆びてしまい、そんな現実の我が身を自覚せずに、
マラソン、登山でもがき苦しむ自分自身を揶揄したものである。
しかしながら、錆鉄人は
「鉄人への夢諦めきれず、錆を落として鉄人になる夢を追い続ける」
のであった。
                              (独り言・・・我ながらカッコイイ文句)
錆鉄人は異常な人間です
ヘトヘトになるのが好きで、ゴルフのようなかったるいことは出来ません。
人間には壊れるのを防ぐためのストッパー((例えば痛みや疲労感・発熱など)があるのですが
錆鉄人のストッパーは壊れているのかもしれません。

どんなに苦しくとも、どんなに痛くとも、
走る」「「山に登る」という行為は自分の意志で行っているのですから、
自分が決めた目標を達成する為には、それしきの事で諦める訳にはいかないのです。
何故なら、
錆鉄人は自分の心臓を自分の意志で動かしたり止めたりは出来ませんが
自分の足は自分の意志で動かしているのですから、
心臓が動いている限り(命がある限り)
「動けなくなった」のではなく、「動かそうとしなくなった」だけだからです。
自分が諦めない限り、それは実行出来るはずなのです。
大切な事は、「決して諦めないこと」だと思います。

ストッパーが効かなくなるのは遊ぶ時だけみたいですが・・・

個人データ
       昭和28年生まれ、身長170cm体重70kg(最近はかなりオーバー)
       K大学工学部出身(ボート部所属)
       昭和55年10月結婚 妻1人(昭和31年生まれ)娘2人(昭和56年と58年生まれ)
       平成14年8月息子が出来ました。(8月娘と婚約、12月に結婚)
       福井県越前市在住
       趣味は子供と嫁さん。世界一の愛妻家を自認する。(多分に目標)
       他人と同じ事をするのは嫌い(好きなほめ言葉「変わってる!」)
       無謀なチャレンジが好き(本人は綿密な計画のもとで実行しているので、無謀ではないと思っている)
       好きな言葉「心技体」
       子供が大好きで、小さな子とはすぐに仲良くなれる特技を持っている(自分が子供そのものだから)
       計画するのは大好きだが、後始末は妻まかせ
       せっかちで待つことが嫌い(混む山には行きたくない)
       (その他非公開)
       2006年9月30日木曽駒ヶ岳にて百名山完登達成
       2006年10月9日安達太良山にて日本初の百名山全山日帰り達成

【登山のきっかけ】
錆鉄人が登山を始めたのは、K大学を終わって福井県に帰ってきてからだった。
(ただし高校2年生の夏休みに原付バイクで中部地方を1周し、その時富士山に登ったのが最初の自発的な登山である。)
女の子と仲良くなれるのではないかという「不純な動機」で、友達と登山サークルを作った。
動機は不純だったが、自然に対する純粋な気持ちから、自然保護を訴える看板を立てたりもしていた。
目論み通り、サークルには何人もの女の子が入ってくれて、楽しい山登りが出来た。
みんな素敵な女性だったが、男共はみんな「イモケ」だったのか、仲間で結婚するものはいなかった。
   (「イモケ」とはこの地方の方言で引っ込み思案な性格のこと)
そして、みんなはそれぞれに結婚をして、いつしかサークルは終わった。
サークルの言い出しっぺであった自分も、見合いをして結婚をした。
世界に一人しかいない自分の嫁さんを世界一大事にしようと思った。

【家族登山】
そして、自分にも子供が出来た。
この素晴らしい自然を見せてやりたい
山登りの苦しさに耐えて頑張れる子にしたい
と思って、子供が幼稚園の頃から、年に1回、お盆休みには家族登山を続けた。
    →家族登山(立山、西穂独標、富士山、白馬岳、白山、槍ヶ岳、尾瀬、上高地へ行きました。)
子供が中学生になって一緒に登ってくれなくなって、しばらくは登山をやめていたが、
百名山ブームにもあおられて、数年前にまた登山を始め、夫婦で登る事も多くなった。
嫁さんと登る時も、やはり長時間超過重労働型日帰り山行であり
「こんな山登りに付き合ってくれる奥さんは私しかいないわよ」と嫁さんから言われるが
「感謝してます。」と言うしかない自分である。
休み無しのヒーヒーハーハー登山は誰が考えても楽しくなんかないと思われるが、
夫婦が一緒にいるだけで楽しく幸せな気分になります。
自分の過激な山登りに付き合える体力を持っていることもすごいけれど、
(イヤと言いながらも)付き合ってくれる嫁さんには本当に言葉以上に感謝している。
そんなこともあって、自分は「日本一嫁さんを大事にしているつもり」である。

【登山五輪の書】
さて、そういうわけで1976年から登山を始めたので、足かけ30年近くも山登りをしている訳であるが、
山岳会に入って本格的に訓練を受けた事はない。
しかし自分は普通の人とは変わっているのでセオリーを鵜呑みにはしないし
自滅的なまでの探究心と実践によって修得したものは大きいと思っている。
大半の人は自分と同じように山岳会などに入らずに山に登っているに違いない。
だとすると、私が実際に経験し、本を読んだり考えたりして得た知識・ノウハウ
少しはお役に立つかもしれないと思い、登山五輪の書(大作)を作りました。

【昨今の登山を憂う】
中高年の百名山ブームのお陰で山登りが単なるレジャーになってしまった。
本来山登りは崇高な探究心と自己研鑽のもと、己の全能力を賭して困難に挑戦するものであった。
結果として、命を落とすことも稀ではなかった。
しかるに、昨今の登山は堕落の極みでしかないと考える。
酒とタバコ、怠惰な生活に崩れた体型と体力で登山ツアーに参加して
あらゆることを他人に依存して自己責任のかけらもなく
日常生活と同様なサービスを要求し
己はエチケットやマナーさえ無視しながら他人に不平不満を述べる。
自分を含めほとんどの人は命を賭してまでの山登りをすることは出来ないが
せめて自分の限界に挑戦する気概で登山をして欲しいものである。

【一生の趣味として】
2000年の秋、多忙な中で結婚20周年の記念に涸沢に日帰りで行ったとき、
90歳のおじいさんに会った。

孫(といっても30代位)に付き添われ、上高地から2日がかりで歩いて来たと聞いた。
涸沢は抜けるような秋晴れで、10年に1回といわれる程の紅葉だった。
                (丹南ウォークの巻頭を飾っています。)
この時
山登りは一生付き合える素晴らしい趣味かも知れない
と思った。
90歳になった時、涸沢に来てみたい。
でもその時も、2日がかりではなく1日で来たい。

「だから、今は楽をしないで長時間超過重労働型日帰り山行を続けて体力の維持に努めよう」と言い訳を考えた。
本当は、お金も時間もないのが理由なのですが・・・

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