百名山夫婦合計100山にリーチ 雨飾山

04.09.26

雨飾山(1,963m)

7月末に仙丈岳に登って夫婦合計98山で、
次は記念の100山だと思っていたが表を作ってみたら合計97しかない。
記念の100山は近くて人気の雨飾山がいいなと思っていたが
そういう事で夫婦合計100山リーチの山となった。
7月末以来、実に2ヶ月ぶりの登山であり、
憑かれたように2日で4つ、5つと百名山に登っていた頃が不思議に感じる。

娘からは夫婦合計97実は59なんて数え方は存在しないと言われるが
唯我独存(尊に非ず)の錆鉄人はこのおかしな数え方を発見した事に満足し、
これで一つの到達点と考えようと思っている。
それは百名山完踏を目指す事はないと思うからである。
とても仕事をやめるまでに百名山完踏のために
何回も北海道に行くという事はありえないと思われる。
何故なら愛妻家の錆鉄人は、
北海道に行くなら夫婦2人でと思うのであるが、
一般の会社員ではない妻にとって
有休を使って1週間北海道に行くという事は出来ないからである。
(錆鉄人一人で行く意気地がないからとも言える)

ということで
次は夫婦合計百名山100山達成である。
yosiさんからは苗場を推薦して頂いているが
10月の妻の土日がらみの休みは
クバのお母さんをつれての山梨旅行と
妻のお母さんを連れての草津温泉・日光旅行で塞がっている。
11月以降に登れる山があっただろうか?
年内の達成が危ぶまれる・・・


どうやって行くの?
雨飾山は糸魚川のほうから登るルートもあるようだが、小谷温泉側から登るほうがはるかに見応えがあるようで、Webを捜しても、大半は小谷温泉から登っている。整備された駐車場もあるようで、前夜発で駐車場で車中泊する錆鉄人夫婦にも好都合である。
従って、糸魚川ICを下りて一路南下し、途中で左折し十数キロ進むと登山口の駐車場に到着する。(糸魚川ICより約45km)姫川温泉の所から来たほうが近いようではあるが、山間の隘路に思われるので、メインルートを通ることにした。運転技術に自信がなく、四輪駆動車でもない錆鉄人の場合、このメインルートを通るという事は重要である。メインルートとはいっても道路幅は狭いと思われるが、夜間なら対向車はほぼ皆無、さらに朝一番に登って戻れば帰りでも対向車にはほとんど遭わないと予想出来る。
金曜日の天気予報では長野・高田ともに日曜日は雨の予報で、土曜日の昼も変わらなかったので諦めていたが、夕方見ると曇りに変わっていた。読売・朝日からYAHOOの小谷村の予報まで調べて全て曇りの予報、長野北部の予報では10時頃一時晴れの予報まであったので、車に布団を敷いている所に天女さまの帰宅。
車中泊も今年10回目位なので、凸凹調整用の座布団など必要なグッズも揃っている。しかし、これまでは敷布団はシングルのものを使っていたので、30cm程幅が足りず毛布2枚を折り畳んで使用していた。
これが結構めんどうなので妻と相談して通販で安売りのダブル用布団セットを買った(実に錆鉄人夫婦は新婚以来の布団を24年間も使っているので、新しいのをベッドに使って古いのは車用にしようと思ったのである)が、到着したダンボールを見て不安に思った通り、薄いペラペラであった。錆鉄人得意の安物買いの・・・になる可能性は高かった。しかし、折角買ったのだからこれを使おうかと天女に相談した所、10月8日夜に仕事が終わった後で横浜の娘夫婦のアパートへ行く時に持って行きたいので、それまで使わないでおこうというご宣託であった。クバのお母さんが来ているので我々夫婦が寝る布団がないので、持って行こうという深いふか〜い考えであった。
出発
自宅を出発したのは午後7時40分であった。いつものように出発前に天女はお宮さんに向かって手を合わせて無事を祈り出発。その甲斐があってか、1km程進んだ所で財布を忘れた事に気が付いた。お金は天女も持っていたが、ETCカードがサイフの中である。戻って財布をポケットに入れて再出発。
妻はまだ眠くないのか助手席に座っている。戸ノ口辺りでどっちへ行くのと聞いてから、何で鯖江ICで高速に乗らないのと聞く。ここからは鯖江ICまで約10分かかって福井北ICまでまた10分以上かかるけど、下道で福井北ICまでいっても20分から25分位でほとんどかわらんからだと答えた。
途中、いつも通る足羽川の橋が工事で通行止めで4〜5km程遠回りさせられたが、25分ほどで福井北ICに到着。遠回りしていなければ、20分程だったので、やはり鯖江ICで乗る意味はないようである。
高速に乗る少し前に天女はベッドに移動してすぐに眠りについた。高速はいつも通り制限スピード+20km以内で走行した。
小谷の道の駅を過ぎてから、小谷温泉への左折地点を過ぎてしまったのかと地図を確認したが、左折地点は数キロ先であった。トンネル出口の信号の所でもう一度地図を取り出して確認してから進入した。小谷温泉を過ぎた辺りからガスが立ちこめて視界が20m程になったので慎重に進んで、駐車場には12時前に到着した。
駐車場
駐車場に到着したときは5〜6台駐車しているだけであった。一番奥の所に駐車スペースがったので、夜中に車が来てもうるさくないだろいと思って駐車した。
駐車可能台数は30〜40台と思われるが、100m程麓のほうに第二駐車場があり、ここも数十台は駐車可能と思われた。ただし、第二駐車場は未舗装であった。

駐車場の奥から写す
この左手にトイレ兼休憩所がある
登山口
いつものように夜中に何度か目が覚めたが、騒がしさに目を覚ましたときはもう薄明るくなっていた。大勢の登山者が歩き回っていた。すっかり準備が出来て体操をしている一段もいた。車の外に出てみると、なんと観光バスが2台も来ていて、駐車場はすでに満杯状態であった。
うわー、あんな団体さんに先に行かれたら、いつ頂上に着くかわからないと思って、急いで朝食(残ったご飯をおにぎりにしたものと、糸魚川のコンビニで買ったザルソバ、妻はパン)を食べ、準備をして出発した。

5:53 登山口を出発
右がトイレである
木道
登山口からは僅かに(標高差で10mほど)下ると木道になっていました。しかし周囲はお花畑のようには見えません。足元を見ると湿地のようで、そのために木道でしょうか。一部にミズバショウがありました。
天気はやはり曇り、山の頂きはガスっていて見えません。
団体さん
木道は数百メートル続き、その先から本格的な登りになります。周囲は林ですが、明るい感じの森で、「聖へ行った時のような暗い鬱蒼とした森ではないね、北と南の違いかな」などと話ながら登りました。
途中何人かを追い越しましたが、特に急がず快適に進んでいました。しかし、ついに団体さんにつかまってしまいました。ちょっとした段差の登り下りが嫌になるほど時間がかかりましが、追い抜くスペースはありません。天女は無理矢理追い越しそうなそぶりでしたが、もうすぐ荒管沢だろうからと後を付いて行くことにしました。

荒管沢はここを下りた所です
良く辛抱しました!
荒管沢
何度もため息をつきながらやっと荒管沢に到着。するともっと大勢の団体さんがおそろいでパックの弁当を拡げて食べていました。
こんなのの後になったら、頂上に着く前にイライラで死んでしまいそうなので、そのまま通過。天女は河原を横切る時も、腰を下ろして弁当を食べる場所を探す団体さんの後についていたので、なかなか通過できませんが、錆鉄人はその上流のほうからサッサと渡りました。天女にそのことを指摘しましたが、だって何処へ行けば良いのかわからないからと言っていましたが、河原の向こう側にが登山道が見え、岩には○印もついていたのですが・・・。前よりはかなりマシになりましたが、まだまだ先を見て歩くという事が下手な天女でした。

荒管沢を振り返る 6:55
この右手の河原にも大勢の登山者がいた
登山道
雨飾山は人気の山で、おばさん連中も大挙して登っているという事なので簡単な山かと思っていましたが、所々には岩場のような所もあって、ロープが張ってある所もありました。
またまたさっきの団体さんの後だったら大変だろうなと思いながら通過しました。
布団菱
地図では荒菅沢を過ぎて30分ほどで「布団菱」と言われる景観の良い場所があり、そこが最後の水場なので水を汲もうと思っていたのですが、ガスのせいか気付かずに通過してしまいました。「まあいいか、水もペットボトルに1本だけは持ってきたから」と思って進みました。飲料水はアミノサプリを500mlペットボトル3本に入れてきているので、暑くもないこの日の2人の登山には充分です。

紅葉は始まりかけたばかりでした
笹原
登りきったら笹原の中の道になりました。ガスの向こうに一瞬山が見えました。きっとあれが頂上だよといいながら進みました。笹原の中のアップダウンのほとんどない楽な道です。そして、この辺りから少しガスが晴れてきました。
またまた馬鹿の見本
ここは梶山新道(糸魚川方面からの登山道)との合流地点ですが、背丈を越える立派な巨木の標識が林立していました。
日本の国家予算が払底している事実はこのような馬鹿(これは小さな馬鹿ですが)が野放しになっているからだとしか考えられません。大菩薩嶺の2000m標識は全く意味がないものでしたが、これは分岐の標識だからという言訳は出来るので罪は軽い?などと言っているから馬鹿がまかり通るのです。
世の中、無駄な公共事業、無能な首長(こういう無駄なものに大きな予算を付ける能力があるのだから、一部の人には有能なのかもしれませんが)が多すぎるように思います。無論、これを建てる予算でトイレは作れないでしょうが、これだけ人気の雨飾山に途中に1ヶ所もトイレがないという事は大変な黄害が発生しているに違いありません。

振り返れば「荒管沢」
梶山新道との分岐を過ぎると最後の登りとなりますが、その登り始めの部分に「振り返れば荒すげ沢」という標識がありました。錆鉄人はここへ登って来るまで「あらかんざわ」と読むんだと思っていましたが、初めて正しい読みを知りました。これはwebページなどで雨飾山の登山記をいくつも見ましたが書いてありませんでしたし、勿論地図にも読み仮名は付けてありませんから。
ここで標識に従って振り返ると、荒管沢が一直線に見えました。結構険しいことも分かります。帰るときはガスで見えませんでしたから、振り返らなかった天女はこの景色を見ませんでした。

頂上1
最後の登りは結構急な登りですが、標高差はそれほどないのであっという間に頂上に到着です。頂上の手前に11/11という標識も出ています。



手前側のピークにて
お地蔵さんが並んでいます
雨飾山は双耳峰なので、
奥にもう一つのピークがあります
頂上2
という訳で、手前のピークで写真を撮った後、意を決して向こう側のピークての登頂を開始。(実はもう一つのピークは10m程しか離れていません。)
一旦下って再び登ると、そこには憧れた雨飾山の標柱が・・・。あの馬鹿の見本と比べて、なんと古ぼけていることでしょう。文字は目を凝らして心眼をプラスしないと読めません。ここが雨飾山だと知らないと読めないかもしれません。確かに頂上である事は分かるので、標柱など無くても良いという意見も有り?でしょうか。
天女の写真を撮っていると、途中で追い越した人が登って来て、写真を撮ってくれというので撮ってあげて、それから自分達も2人一緒の写真を撮ってもらいました。
頂上は我々三人だけなので話をしました。岐阜の美濃加茂の人で19号線から来たと言っていました。

昼食
今回は雨飾しか登らないので時間も余るので、頂上でラーメンでもして食べようとコンロやコッヘルを持って来たのですが、水を入れたペットボトルが見当たりません。
またしてもザックに入れるのを忘れたようです。「お父さんはいつも何か忘れているわよ」と天女からきついひと言。この前、何を忘れたかさえ忘れた錆鉄人でした。

コンロはなくてラーメンは食べられませんでしたが、パンやオニギリなど食料は豊富にあったのでした。これくらいの山なら何も食べなくてもどうってこともないのですが、一応食べて団体さんが来る前に下りることにしました。

右のペットボトルはアミノサプリ入り
下山
団体さんは適当に分散して登ってきていたので、すれ違いはそれほど大変ではありませんでした。リーダーがしっかりしていたのか、力の差によって自然にグループが分かれたのかは解りません。登山では登りが優先ですが、こちらが止まっていると、向こうのほうから声を掛けて道を譲ってくれる場合が多いです。中年の登山者はかなりばてているので、休憩のきっかけを探しているみたいに思います。
登る時はたくさんの登山者が休憩していた荒菅沢も、下りの時は一人もいませんでした。
しかし、この時間になってまだ登山口近くで登ってくる登山者に会いました。足どりは重く、スタミナもなさそうで、こんな時間から登り始めて大丈夫なのかなと心配になります。頂上付近で何かアクシデントがあった場合、残された時間が少な過ぎると思います。

そういう我々も天女にアクシデントが発生。この所の休みの日は連日、田圃のヒエ取りをしていたのですが、柔らかい田圃で何故か足のスジを傷めていたらしく、下りでは膝が痛いとこぼすので下山にかなり時間がかかりました。

感じの良いブナ林
(登山口〜荒菅沢間)
登山口に戻る
そんな訳で予定以上に時間がかかって下山口に到着。
頂上では車に戻ったら水もあるのでラーメンをしようかと思っていましたが、面倒なのでやめました。

小谷温泉露天風呂へ
ここには無料の露天風呂がある事はリサーチ済みでしたが、登ってくるときはガスの中だったので何処にあるのか解りませんでした。ゆっくり捜しながら車を走らせました。
一番上のほうにあったのは温泉宿でした。その50m程先に右手に5〜6台の駐車スペースがあり、1台のキャンピングカーが駐車してテント等を整理していました。
道路はその先で左にゆるくカーブしていて右下には村営の雨飾山荘が見えます。このカーブする手前の左手に露天風呂の標柱を発見、車をバックさせて駐車場に戻りました。

道路の横にある露天風呂の入口
中央右手が男用
上が女性用露天風呂
露天風呂
   
男用露天風呂は5〜6人入れる程度
上に簾で囲われた部分が女性用で(簾を通して男風呂は見えるのではないかと思われる)、夫婦で声をかけて一緒に風呂を出る事が出来ます。
無料ですが寸志を入れるようになっていますので、2〜300円程度は入れましょう。

湯口からはやや熱めの源泉が流れ込んでいる。2人の先客がいたが、一人は糸魚川の人で向こうの梶山温泉のほうもいいよと言っていた。もう一人の人は温泉の流れ出す部分に気持ち良さそうに寝そべっていた。
お湯はちょっとゴミがありましたが、上の写真の階段の所にあるトイレは水がかけて掃除してありましたので、お湯と一緒に出てきたものかもしれません。
ハサ
国道に出るまでの谷は稲刈りの最中でした。どこも未だにハサを建てて天日で籾を乾燥させていました。
今立町では20年位前に消えたハサですが、我が家をはじめ周囲の農家は皆ハサが10段以上もあって、稲束を投げる人と受けてハサに架ける人の2人セットの作業でしたが、ここは一人で架けられる4段しかありません。その分、たくさんハサが立っていますが、ハサを作るときも簡単ですし、風にも強いしとても合理的だと感心したので写真を撮りました。

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