特急登山の罠 強烈捻挫

捻挫発生日 2004年7月24日
12月21日 更新(磐梯山の写真を追加)

捻挫

錆鉄人は通常コースタイムの半分程度で登山をしているので
足を滑らせて捻挫をする可能性は高く、毎回のように捻挫をしていますが
足首が丈夫なせいか(度重なる捻挫で強くなったのかも?)
大事には至った事はありませんでした。

しかるに7月24日磐梯山登山中に強烈な捻挫をしてしまいました。
病院へ行ったなら石膏で固めて1ヶ月は松葉杖生活確実と思われる激しい捻挫でした。
その場合、足は使わないから筋肉は落ち
その回復にさらに1ヶ月はかかってしまうに違いありません。

石膏で固めて松葉杖など、カッコ悪くて嫌です。
痛いのは我慢すれば良いだけです。
どうやら、骨折はしていないようです。
人間には自己修復の能力があるのです。
「超回復」ねらいの錆鉄人のやせ我慢生活の始まりです。


ここでは登山者の誰もが経験するであろう捻挫の回復過程をレポートしてみます。
(むさくるしい足の写真ばかりで済みません)

結局、医者にかからずに済ませてしまった。
ギブスをしていたら仙丈岳に登れなかったのだから良しと考えよう。
回復具合もこんなものではないかと思われる。

過去の捻挫
結婚前に暗がりで十段ほどの石段を飛び降りた時に、着地点が見えず自分の考えていた地面よりさらに低かったために強烈な捻挫をしたことがある。この時は足首の上部から指先付近まで紫色に腫れ上がったが、痛みを我慢して山行をした経験がある。
その後、夜叉ヶ池登山マラニックや日本山岳耐久レースに参加して山道を走っていると(特に下りの時に)車石に乗ったりしてかなりの捻挫を体験したが、レース中でもあり我慢してレースを続けたので、案外捻挫をしても恐れなくなっていた。

ご注意
以下の記述は錆鉄人の独断によるのもで、病院へ行く行かないから石膏で固めるかどうかを含めて、全て自己の責任で判断願います。
ただし、骨折している場合は無理だと思いますが、普通は痛くても我慢して足を使ったほうがはるかに回復は早いと思います。
捻挫を起こす要因
基本的には
1、注意力の低下
2、歩行スピードの速さ
3、登山道の状況
  浮石や下り勾配など
が要因になると考えられる。防止するには、浮石や下り気味の登山道では充分注意してスピードを落として歩行すれば良いという事になる。

捻挫に対する対策
足首の強化が重要である。登山前に足首の回転など柔軟運動をしておく事も重要であるが、今回のような強烈な場合は役に立たないと思われる。
補助的にはハイカットの登山靴で靴紐もしっかり締めて、靴と一体化することで足首を保護する事も相当の効果があると思われる。

捻挫をした場合の対応
1に我慢
2に患部の冷却
3に足を使う

(3)は正しいかどうか不明です。
その後、何か(ヤマケイか?)で読んだのですが、
(最優先)捻挫した部分を圧迫すると回復が早くて、その後の痛みも少ないらしいです
自分の場合は後の祭りでした。
八方台
磐梯山のもっとも手軽な登山口は八方台である。錆鉄人はWebで登山記を見て、裏磐梯からの登山が良いと書いてあったので登山口に向かったのであるが、道路からの入口の所に重機が止めてあって入れないようになっていた。その手前に数台登山者のものと思われる車があったが、地図を見てここから歩くのは嫌だなと思い、少し進んで有料道路に入って八方台に上った。この有料道路の登りで結構標高差をかせいだことがわかる。
八方台に着くと駐車場は一杯で、その手前の路肩にも数台駐車していた。さらにその下に車を突っ込める空き地があった事を見つけていたので、500メートル程Uターンして車を停めた。

八方台の駐車場は満杯で、先のほうには観光バスも数台いた。
登山口
八方台の登山口から頂上まで1時間で登れると思っていたし、頂上付近には清水もあるので、コンビニで買ったアクエリアスを500ミリペットボトルに2本詰め、パンとおにぎりを入れて出発。(他は安達太良山のなかみをそのまま)
広い林道がそれなりの傾斜で続くなかをバンバン飛ばした。登山口から200mも進まないうちにハーハーゼーゼーになったが、そのまま大股で登り続けた。

中の湯
中の湯の小屋跡には13分で到着。コースタイムは30分なのでこの調子で行けば1時間以内は達成できるだろうと思っていた。
写真の手前に広場があり、そこまでは車も走れる広い道路である。(入口に車止めがあるので実際には入れない)
登山道はここから右手に登って行くがこの周辺は中の湯の硫黄の臭いがきつい。
捻挫発生の瞬間
中の湯からは普通の登山道になって幅も狭くなり、混雑している登山道を登山者を避けながら走るように登っていた。

この時履いていた登山靴は、通販で買ったノースポイントのミドルカットの軽登山靴。アッパー部はフニャフニャで足首の保護機能はほとんどないと言って良い登山靴であった。
小屋の横は一部木道になっていて、その先の階段を登り詰めた。ハーハーゼーゼー、汗は額から滴り落ち続けてメガネを濡らし足元が見難かったが、1時間以内の目標達成のために一々拭いている余裕はなかった。登りの階段をダダダダと登っていると、直前に追い越した人達から何度も「凄いわねェ!」と言っているのが聞こえ、逆にスピードを落とせなくなった。
登った後、少し下り気味になっている所があった。負荷が落ちる分スピードを上げた瞬間、右足首が「バギッ!」とものすごい音を立てて外側に折れ曲がった。何かに気をとられていたのだろうか、思い出せない。
瞬間「あ!やってしまった。」と感じ、次の一歩を恐る恐る踏み出したが、
・・・・痛かった。
それでも登る
登山口からはまだ30分も登っていない地点で、登るよりも戻るほうが近い場所だった。(登った後はまた自力で戻る必要があるので、この比較は無意味ではあるが)
しかし、貧乏性の錆鉄人は、ここまで来て頂上に登らずに戻るという考えは浮かばない。(やりとげるまで諦めないというよりは、単にもう一度登りに来る金銭的・時間的な負担が勿体ないと考えた。)
経験上「痛みは時間と共に増してくる」だろうが、今は我慢出来る痛さだから、その間に頂上まで行って戻れば良いと考えた。車に戻れば足はアクセルに置いておくだけでいいので、痛さは眠気覚ましになるだろうと楽観視することにした。
登るスピードは3割は落ちたが、登山者を追い越して登った。暑さに痛みが加わって、汗が流れ止まなかった。
弘法清水に着いた時、痛みは我慢し続ける限界に近く、「休んだらもっと痛くなる」と経験が教えてくれていたが、痛みで倍加された疲労は極限に達していた。清水の前には2〜30人が列を作って給水を待っていた。


分岐の所の日陰に戻って、腰を下ろして休憩した。
コンビニで2リットルのアクエリアスを買って、駐車した所で500ミリのペットボトル2本に詰め替えて、1本をザック横の網ポケットに入れてきたが、まだ充分に冷たかった。途中半分程飲んできていたが一気に飲み干した。
頂上まで
弘法清水から頂上まではあとわずかであったが、やはり一旦休憩している間に痛みは増していた。増したというより、歩いている間ある程度麻痺していた痛みが復活したと言ったほうが正確かもしれない。
うめき声を堪えて足を進めた。ほとんど普通の登山者と同じ位のスピードでしか登れなかった。こうなると短パンにメッシュのTシャツ、Wストックといういでたちはピエロのような姿でしかない。
頂上付近の登山道は石が多く、足を平坦な所に置くことができないので、あぶら汗が出る。やっと頂上の広場に出た。数メートル登った所が頂上だったが、たくさんの人がその付近に腰を下ろしていた。

頂上の周辺にに座り込むのは止めよう

   (重心は左足に預けている)
よろめきながら登って記念撮影をしてすぐに広場に戻り、わずかに陰になっている場所を見つけて座り込んだ。へたり込んだというのが正解だろう。

足首は疼いていたが、靴を脱いで見るのはやめた。患部を見ることによって戦意(自力で下りる気持ち)を喪失することを恐れたからであった。クーラーバックに入れてきたもう1本のアクエリアスを取り出し、おにぎりを1個食べた。珍しく食欲はなくアクエで流しこんだ。もうすることはなかったが、しばらくは立ち上がる気持ちにならず座り込んでいた。汗は流れ続けTシャツは水に浸けたようにベタベタだった。

下山
何度かためらった後、立ち上がった。休憩していた時間は10分か15分だと思う。
下りは登りの倍の痛みだった。ストックを2本持って来ていたのが救いだった。ストックにもたれかかりながら下りた。

弘法清水に戻ると清水に並んでいる人は数人に減っていた。ペットボトル半分のアクエでは不安だったので並んで給水した。空のペットボトルに一杯いれて一気に半分飲んだ、冷たくてうまかった。これはおすすめの清水です。飲んだ分を給水してキャップをしめ、置いてあったコップでさらに一杯飲んだ。
やはりビールが飲みたいと小屋に入った。手を突っ込むと水槽の水は清水よりかなり生暖かく感じたが、現物を前に諦めることは出来なかった。500円だった。奥の窓際のテーブルの所へ行って飲んだ。飲み終わってからも決心がつかず、しばらく休座り続けていた。
弘法清水から少し下ると、親子登山と思われる一行に追いついた。200人位の団体らしいが、構成は幼稚園位から中学生位までで大人も同じくらいいた。時々動かなくなりながらゆっくりと下った。少しずつ追い越したがきりがなかった、途中から追い抜くのを諦めた。もう、ここからはよろよろのアワレな中年だった。勇ましい格好なのが気になるが、渋滞しているからと言い訳を考えていた。
長い時間がかかって中の湯に戻った。ここからは林道のような広い道路となるが、もうすっ飛ばして追い抜くことは出来なかった。経験通り、痛みは時間と共に増してきたのであった。

  (親子登山の一行)
ストックに頼りながらよろめき歩いていると、普通のおばさんが追い抜いて行った。ショックだった。歯を食いしばって追い越して、八方台まで下った。相変わらず駐車場は満杯だった。さらに500m程奥磐梯のほうに下った所に止めた車に戻った。
登山続行か帰宅か?
計画ではこの後、蔵王登って、翌日は朝日岳と月山に登り、さらに翌日鳥海山に登る計画であったが、おばさん並みのスピードで登山するのはプライドに係わると思った。さらにこの後、痛みは増すことはあっても和らぐ事はないと思った。翌日に福井豪雨の後始末の溝さらえ作業が召集されていて、無視する事にしていたが(出不足金16,000円を払って登山をするつもりであった)それも気になった。
ここ(磐越道の乗る前)が続行するか戻るかの分岐点だった。妻に携帯で捻挫をしたことを告げ、明日の作業の事を相談したが、「田舎の事だから出不足金を払っても遊んでいたと知られると・・・」と自分と同じ事を危惧していた。決めては妻の「帰って来るとくれしいわ!」のひと言で、戻る事に決定した。(錆鉄人は愛妻家なのであった)『何という軟弱ぶり』ではあった。
家までは500km余り。途中、2回トイレ休憩をしたが、混んでいることの多いサービスエリアは避け、パーキングエリアに寄って、出来るだけトイレに近い所に駐車した。
2時間程運転を続けてからの歩き出しは、結構きつい。痛みを麻痺させるエンドロフィンが消えてしまっているからだと思われる。短パンではカッコが悪いと思って登山ズボンをはいて、ビッコを引きながらトイレへ行って、売店でアイスを買って運転しながら食べた。
午後8時半過ぎに家に帰ったが、妻はシャワーを浴びていた。ついさっきまで外で農作業をしていたようで、そのままシャワーを浴びていればいいよと言って、ビッコをひきながらバックやザック、布団や寝袋などを運び込んだ所で妻が風呂から出てきた。
「変な人」と言われながら捻挫した部分の写真を撮ってもらった。
帰宅直後の患部

    (捻挫後 約10時間 撮影者;妻)
錆鉄人はアキレス腱もちょっと異常で、常人より太い上に途中で曲がっているが、正常である左足でもこの写真では判別できない。
捻挫した右足の腫れは相当であり、ふくらはぎの半分位まで腫れているのが分かる。
尚、左足は腫れていません。単に太いだけです。(念の為)

捻挫して伸びた右足の外側
踝の下の内出血は分かるが上の部分の鬱血は何故であろうか?
踝の後のアキレス腱の膨らみは
左に書いたアキレス腱の曲がっている部分で
捻挫による膨らみではないと思われる。
帰宅直後その2

撮影角度によると思われるが、まるで象の足のような太さである。(ショック!)

足の甲全体の腫れと足指部にも内出血が見える
(中指・薬指)
撮影後、氷で患部を冷やし寝る時は湿布をした。
7月25日夜
25日(日)は朝8時から農業関連の復旧作業であった。歩くのが大変なので自転車で集合場所に行き、作業も出来るだけ歩く必用のない作業をさせてもらった。
最初はイノシシ進入防止の電気柵の再整備であった。自分は流された部分の掘り出しをした。同じ班の人は電気柵の終点まで点検・整備に行ったが、自分は歩けないので付近の用水路で流木や土石流によって詰まった部分の復旧作業を一人でしていた。
天気は晴れで暑かったが、用水路に入って作業していたので、幾分涼しかった。特に捻挫した部分は若干でも冷却効果があったかもしれない。

(右の写真)
腫れは前日とほとんど変わらないように思われる。甲の部分を押すとむくんだ足のように5〜10mm程へこむが、案外早く元に戻る所がむくんだ場合との違いだと思われる。

7月26日夜
  
26日(月)は鳥海山登山をして帰ってくる予定だったので、社員には休むと告げていたが、家にいてもしかたがないので会社に行った。湿布を貼って靴下をはき、靴に足を無理矢理押し込んで出かけた。会社ではいつも階段を走っていたが、エレベーターを利用。
帰宅後、写真撮影。
      
(左写真)
24日の写真ではやや分かりにくいので、アキレス腱部分が中心に写るようにひざまずいて撮影。ふくらはぎの太い部分も腫れているようで、手で触っても違いが分かった。尚、写真では内出血がほとんど見えないが、映っている部分のほとんどが内出血で青くなっていた。
(上の写真)
腫れは前日とほとんど変わらない。くるぶしから水平にアキレス腱にかけての部分が内側・外側共に一番腫れているのが分かるが、その部分を触ると痛い。会社では出来るだけビッコをひかないように歩いたが、ある程度歩くとほとんどビッコをひかずに歩けるようになった。
そろそろ錆鉄人の特技「超回復」を発揮しつつあるのかもしれない。
写真撮影後、2日ぶりに氷で冷やしながら足を30cmほど上げてテレビを見ていたが、思った以上に腫れが治まった。
7月28日 超回復始まる

朝7時15分頃、腫れはかなり引いてきている。
甲の部分がかなり黄色くなっているのは内出血の影響だろうか?足指の内出血は結局全部の指で発生していたが、特に中の3本はかなりきつい。

   夜20:00頃撮影(家に戻り湿布を取った直後)
フラッシュの関係か、くるぶし下の内出血が写っていないが、実際はほとんど変わらず残っている。朝から足は常に一番下のあった為か、朝よりはやや腫れているように感じる。甲の腫れている部分を押すと、5mmほどへこみ戻らない。25日の時はすぐに元に戻ったが、あの時はバンバン出血している最中だったのかもしれない。
痛みに関しては、やはり歩き始めた時は痛いが、すぐに慣れる。平坦な所を歩く限りビッコをひかずに歩けるが、会社ではまだエレベーターを利用。2回程階段の2階分の昇降も実施。(平地よりはかなり痛い)
手で触るとくるぶしからちょうど写真に写っている程度丈夫まで痛い。勿論、足首は痛い。足の甲も指の付け根付近が結構痛いが何故だろうか。
千丈岳登山 7月31日 
台風が本州沖合いにいるが、天気予報ではさほど影響はないようで、天気もまあまあだと確認し、29日(木)夜、仕事を終わってから出発。
朝一番のバスで北沢峠に行ったが、長衛小屋キャンプ場に着く頃から雨が降りだし、テントを立てて雨が止むのを待った。しばらくすると娘達の一行が到着し、今回の最大の目的は一応達成。ビールなどを差し入れしった。雨は結局止まずに1日停滞。朝から翌日まで24時間ほとんど寝続けた妻は、背中が痛くなったというので31日で帰ることにして、1つだけでも登ることにして千丈岳に登ることにした。
下痢をしたという妻も調子が悪くてピッチは上がらなかったが、かなり強い雨風の中で登頂。捻挫した足では踏ん張れず、下山はやはり堪えるので妻に遅れがちになり、1回再度足をくねってしまったが我慢。
テント戻って靴下を脱いでみると足の甲に内出血が再出現していたが、予想の範囲。娘達ワンゲル部の一行と別れを告げ、ビッコをひかないように北沢峠に戻った。


30日 テントで
くるぶしが異様に膨れているのがわかる
8月1日登山の後遺症
1日(日)足の腫れが少し悪化、ふくらはぎの下のほうに内出血していた。組織が再生されないうちに登山した為に、出血がぶり返して鬱血したのだろうか。登った昨日より痛いのは予想通りであった。

  (上の写真はブレの為不鮮明)

アキレス腱下部やくるぶしに腫れが残る
8月3日
ふくらはぎ下部の内出血部(上の写真)を虫に刺されたためか痒い。回復期の痒さかもしれない。内出血の大きさは縦12cm横8cm程度の長円形で、内出血というよりは炎症を起こしている状況かもしれない。全体が赤くなっている。
会社でも、パソコンバッグを持っている時以外は、階段を歩くようにした。まだ2台飛ばしで上ったり、2歩で下りるという荒業は出来ない。1歩1歩を小走りに昇降している状況である。ゆっくり昇降すれば普通に歩けるが、小走りだと若干ビッコ気味になる。走れない事はないが100mを20秒以上かかりそうである。

じっとしている時はほとんど痛みを感じないが、時折にぶい疼きを感じる。
足の甲の腫れは解消した。
くるぶし周辺の腫れと痛みは残る
8月8日
捻挫後2週間が経過。
外見上は、くるぶし周辺の異様な膨らみのみで、両足を比べなくても異常であることは分かる。左足のくるぶしの1.5倍位の感じである。あえて腫れと書かなかったのは、この部分は骨であり、筋肉や脂肪などの組織なら腫れと言うのであろうが、骨の場合は何と言うのであろうか。
手で押さえても、それ程痛くはない。ただ、くるぶしから上につながる筋肉が損傷を受けているようで、踝のすぐ上の腱に当たる部分からふくらはぎの中央位までが押さえると痛い。
下の娘に、ワンゲル部行事(石徹白である)の帰りに来ればみんなに流しソーメンをごちそうすると伝えておいたので、7日朝、裏山に行って竹を切り出した。登山道と違って不整地の急斜面の上り下りなので足首の負担が大きく、さらに踏ん張って竹を引っ張ったりしたので若干悪化したかもしれない。
8日は妻が出社した後、田圃へ稗う抜きに行った。道路からはわずかに見えただけであるが、稲の中に入ってみるとものすごく生えていた。1時間判程作業をしたが、直射日光を背中に浴びて暑いのでやめた。予想していたが、田圃は靴がめり込む時、斜めになる事と、靴を引き抜く時に相当な負荷(引っ張り)が足首にかかる為、症状は間違いなく悪化。昼寝をしたが、間断なく疼きがあった。重み(
結局、娘達は来ない事になったが、夕方に妻の実家の人を招待してソーメン流しをした。妻の弟は今夜フェリーで北海道へ登山に行く。北海道と屋久島以外の百名山はほとんど登り尽くしたという猛者である。

8月25日
1ヶ月が経過。
くるぶしの周囲の腫れは続いていて、左足とは明らかに違っている。周囲を押さえると痛い所があるが、治療の意味を込めて時々押さえている。くるぶしの腫れのせいか、足首は外側にはかなり曲げられるが、内側にはほとんど曲げられず(左足もたいして曲がらないが)痛みが走る。つま先立ちではほとんど痛みはないが、階段を駆け足で登ろうとすると、時々力が抜けたようになる。1段飛ばしでの上り下りは出来るようになったが、右足をかばったり痛いときがあるので、左右のタイミングが違っていて、バタバタと音が大きい。
じっとしていると疼くことがあるが、どういうタイミングかは分からない。疼きに関しては、今の所あまり良くなっているようには思えない。
続報
これだけひどい捻挫なのに骨折や脱臼をしなかったのが不思議ではある。
妻は数日でこれだけ回復したことに驚嘆し、「お父さんは(考え方も)変わっているけど、体も変わってるのね。」と言った。
「それをホームページに出すのはもっと変わっている!」




以下、随時追加予定です。
9月になっても時々足が疼く。
右足のくるぶしはかなり飛び出している。
足首を回す運動はほとんど出来ない。
右足で蹴る、飛び跳ねるという動作が力が入らず出来ない。
(治すためには過激な運動をして痛めつける事が必要ではないかと考えている。)
12月
捻挫から4ヶ月経過。
くるぶしの突出はかなり半分以下になったが、もう戻らないと思われる。足首の内側を押すと猛烈な痛みがある場所がある。神経がはみ出しているのかもしれないと思い、時々痛みを堪えて押し込もうとしている。足首の回転運動は出来るし、それ程痛くはない、しかし、何かの弾みですごく痛い場合がある。
じっとしている時に疼くことがある。

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