もう行きたくない 丹沢山(蛭ヶ岳)


05.03.27


蛭ヶ岳(1,673m)

丹沢山は福井県辺りにいるものにとっては
「へぇ〜、こんな所にこんな大きな山地があったのか」
とびっくりするような山で、
百名山でなければ存在さえ知らなかったかもしれません。

今回はナメていたので登山地図は買わずに
昭文社の百名山登山ガイドで代用しました。
蛭ヶ岳が丹沢山系で最も高い山であることは知っていましたが
塔ヶ岳と蛭ヶ岳との間に丹沢山という山頂があり
この丹沢山に登れば百名山に登った事になるのだろうと思っていました。

丹沢山から蛭ヶ岳を眺めるといくつもピークがつながっていて
行くのも戻るのも大変そうな山だったので
やはり行かないでおこうかと天女と話しましたが
念のためガイドブックを開いてみると
日本百名山という見出しは蛭ヶ岳のそばにあって
丹沢山を指していないことは明白でした。

そこで、しかたなく蛭ヶ岳を目指しましたが
最初の下り斜面が凍結していて天女が四苦八苦
途中で軽アイゼンをつけて
いくつものピークを越えやっと蛭ヶ岳頂上に到着。
ここから眺めた塔ノ岳の遠さに
塔ノ岳ではなく
「遠ノ岳」と名づけたほうが良いと思いました。

今年初の本格的な登山だった我々にとって
なかなかくたびれる復路でありました。


どうやって行くの?
福井からは東名の大井松田ICで下りれば、15分位で登山口の大倉に到着です。
東名の海老名サービスエリアで車中泊した我々は、朝食を食べた後、秦野中井ICで下り、途中のコンビニで昼食を買って大倉に向かいました。まだカーナビの設定をマスターしていない錆鉄人であり、大倉の地名は見出せませんでしたが、ちゃんと大倉のどんぐりハウスに到着出来ました。しかし、登山口という雰囲気ではないのでもっと先にも駐車場があるのではないかと車を進めましたが、それらしいものは見当たらなくて戻りました。
駐車場

どんぐりハウスの上には市営の駐車場がありますが、8:30から17:00までしか利用出来ません。市民の都合ではなく、市役所職員の都合で利用時間を決めるというお役所仕事の典型です。

どんぐりハウスのすぐ手前に24時間営業の民間駐車場があります。早朝にも関わらず車を乗り入れると、すぐに年老いたお婆さんが手前の監視所?を開けて受付体制は完了。1日700円なら高くないですね。昨日駐車して登山した人が何人位いたか聞きましたが、数人だけだったとの事でした。
どんぐりハウス
どんぐりハウス(左の建物)は立派な施設で、中はレストランがあってお土産も売っていますが、早朝なので閉まっていました。(帰って来た時は開いていました。)
右側はトイレで入口の所には蛇口とタワシがあって、登山靴のドロを落とす事が出来ます。
錆鉄人も戻ってから天女と一緒に靴を洗いに行きましたが、天女の靴はびっくりするほど泥だらけで、地面を歩かなければ良いのにと思いました。

どんぐりハウスの前を出発(6:40)

右手は駐車所になっていて
戻った時はタクシー数台並んでいました。
登山口
どんぐりハウスから登山口の標識はありませんが、道路をののまま道なりに登って行くと「塔ノ岳」と書いた案内標識が現われます。
しばらくは舗装された林道を歩きますが、やがて登り窯があり、だんだんと山道になって行きます。
途中で山道が分かれているところがあり、どちらなのかと思っていると、小さなナップサックだけの人が来てスイスイと登って行ったので後を付いていきました。
でも、その人はものすごい速さで登り続け、さすがの天女も追いつけなかったのでありました。(天女も体力が落ちてきたのかもしれません。)

ここからはすれ違い出来ない道です
小屋
7:15最初の小屋が現われましたが、どうやら営業していない雰囲気でした。


噂の階段が出現
駒止茶屋
7:39駒止茶屋に到着。
ナップサックの人はスイスイ登って行くので天女も負けずにヨタヨタ登って生きました。

堀山の家
7:54堀山の家の横を通り過ぎようとすると、小屋の人に声を掛けられました。今日はどのくらい登ってくる人がいるかと聞かれましたが、駐車場に止めたのは自分達が最初で、その後に1台来た所で出発したので分かりません。途中で2人追い越した事を話し、先に行った人は速くて追いつけないと言ったら、登山は競争じゃないからと言われた。
百名山登山で福井から来ていることを話し、稜線の雪のことを聞いたら、週の始めは結構あったけれど今はほとんどないとの事でアイゼンもいらないとの事で安心して登ったが、実際には結構雪があり、アイスバーン状の所もあって、天女は簡易アイゼンを付けたのでした。正確な情報を伝えて欲しいものです。
でも帰りに覚えていて声を掛けてくれたので許します。

天国への階段を登る天女
堀山の家から少し登った所から左手に富士山が見え元気を出して上ります。
やがて、行く手には天国まで続くかと思われる階段が現われますが、登ってみれば案外大した事はありません。ただ、丸太の向こう側がえぐれているので歩きにくい所がありました。
花立山荘
8:27花立山荘に到着しました。錆鉄人はひそかに2時間以内に塔ノ岳に到着しようと思っていましたが、今日の天女はあまり調子が良くありません。もう嫌になったとぼやきながら登っていました。

塔ノ岳を望む
花立山荘を少し進んだ所で富士山をバックに写真を撮って天女の機嫌を取りながら進むと、いったん鞍部に下るようになります。

ここからは塔ノ岳が見えますが案外遠くに見えますが、天女にはもう15分だよと言ったら、本当に15分で到着しました。


鞍部には結構雪が残っていました
塔ノ岳に到着
なんだかんだ言いながらも塔ノ岳の尊仏山荘が見えてきました。
8:52塔ノ岳の到着。
一面に晴れ渡っていて、富士山が超きれいで、弱音を吐いていた天女も機嫌を直しました。ここでパンを食べたり中休憩をしました。

塔ノ岳頂上
まだ早いこともあって頂上には数人の人がいただけでした。

ご機嫌な天女
もう少し左から写して富士山をちゃんと写して欲しかったのでしたが・・・

富士山の白が鮮やかでした
右に南アルプスが連なっています

鹿に遭遇した天女は・・・
塔ノ岳で中休憩をしたあと、丹沢山に出発しました。いつも通り天女が先になって歩いていましたが、突然「イノシシがいる」と言いました。
錆鉄人は普段は度の弱いメガネを掛けているので遠くの杉林を指差されてもよく分かりませんが、イノシシにしては足が長いように思いました。「イノシシじゃなくて鹿じゃない?」と言いながら進むとだんだん近くなって、やはり鹿だという事が判明しましたが、こちらを見ていますが逃げようとはしません。
古来、馬と鹿の区別が出来ない人間や、豚と馬の区別が出来ない人間は特別な呼び名が付けられていますが、天女の名誉にかけて言いますが単に遠くてよく分からなかっただけです。
しかし、今後イノシシと鹿を間違えるそそっかしい人は天女になる資格がある事を認めます。


さて何頭いるでしょう?
正解は最後の項に
丹沢山に到着
一応ここが目的の山だと思っていた錆鉄人でしたので雪のない所にザックを下ろして休憩しました。でも不安だったので標識の後ろにいた人に聞くと、「岩崎新百名山は蛭ヶ岳だけど・・・」と言ってはっきりしません。冒頭のように昭文社の百名山登山ガイドを見ると、「日本百名山」というレッテルは蛭ヶ岳の傍にあり、どう見ても丹沢山を示しているとはいえません。
天女も錆鉄人の影響で百名山を意識しているので、それじゃ行きましょうという事になりました。ちょうどその時7〜8人のグループが反対方向から登ってきたので、確かめもせずその人達が来た方向へ進みましたが、なぜか途中にある不動ノ峰からだんだん遠ざかる方向に進んでいます。地図を出してみると違う方向だとわかり元に戻りましたが、蛭ヶ岳を指し示す標識は裏側に付いているのでよけい分からなかったのでした。

みやま山荘

丹沢山頂上のすぐ脇に建替えたばかりという「みやま山荘」があります。ここのホームページは気温や積雪の状況が毎日更新されていて参考になりました。

山荘の右に立っているトイレの中
木の香漂うきれいなトイレで感激しました
不動ノ峰へ
丹沢山から不動ノ峰へはかなり急な斜面を下りますが、北側の斜面という事もあって、まだ雪が凍結していました。
こういう所ではすぐにヘッピリ腰になる天女はお尻を落として恐々足だけ延ばそうとしますが、逆に不安定になって動けません。錆鉄人が足跡を着いておいでと言って、タタタタタと下りましたが、「覚えられない」と文句を言います。
しかたがないので天女のいる急斜面に戻って簡易アイゼンを着けることにしました。前回瑞牆山で使った時にゴムがきつくて足が痛いと言っていたので緩めようとしましたが、足場が不安定な上に手が凍えてなかなか出来ず時間がかかってしまいました。
しかし、やっと足元がしっかりした天女は、錆鉄人の献身的なサポートに「頑張って歩くわ」と言うのでした。

奈良時代に丹沢山を介山した山岳仏教徒が修行の道場として御不動様を祀った所から不動の峰と呼ばれる云々と書いてあります。
蛭ヶ岳は遠く
不動ノ峰から見る蛭ヶ岳はまだ2回の鞍部越えがありますが、もう天女は文句を言わずに進みました。
不動の峰の先にも1ヶ所、急な岩場の下りがあり、突き出した岩の横を下りるときにもへっぴり腰になりましたが、無事通過しました。

不動ノ峰から5分位の所から蛭ヶ岳
正面の山の上に小さく小屋が見える
蛭ヶ岳に到着
なんだかんだしましたが、11:50蛭ヶ岳に到着。
頂上には10人近い登山者がいて昼食の最中でした。そこに小屋で飼われている犬がいましたが、さかんに吠えまくります。小屋の人が子供の頃に棒で叩かれたので、棒状のものを持っていると吠えるのだと説明してくれました。
我々もここで昼食としましたが、どこから来たのと聞かれたので、福井からと言いましたが、どこから登ってきたのかと聞かれ直したので、「大倉から登ってきて、また戻って福井まで帰る。」と言ったらびっくりしていた。
いくつかのパーティだったみたいで、そのうちにそれぞれの方向へと去っていった。

富士山もだんだん靄に霞んできました
蛭ヶ岳山荘
この小屋もホームページがあって、1週間に1回程度登山情報を更新しているので参考になると思います。

山荘の前にて
蛭ヶ岳より塔ノ岳を望む
山荘の前から帰路を眺めます。
塔ノ岳は右奥に遠く霞んでしか見えません。
錆鉄人は余りの遠さに、天女にどれが塔ノ岳だと説明出来ませんでしたが、天女の勘であそこまで戻らなければならないという事は分かったようでした。

12:07山荘の前を出発しました。日差しに雪が溶けて登山道は水がたまり、ぬかるんでいて歩きにくかったです。

遥かなりし塔ノ岳
岩場
行く時にへっぴり腰になった岩場でしたが、登るときは下が見えないからでしょうか、天女は怖がらずにスイスイ登って行きました。
    

やがて不動ノ峰を過ぎ、丹沢山が正面に見えてきます。結構遠くて、結構下ってから登る感じですが、歩くしかありません。でも、歩いてみると案外大した事はありませんでした。
丹沢山には13:25分に戻りトイレ休憩をしました。トイレの利用者数を確認するためのチェックシートがあったので記入しました。
塔ノ岳1.7km地点
本当に1.7kmなの?と疑いたくなる程遠くに塔ノ岳が立っています。さらに小さな鞍部が2つあり、その向こうに大きな鞍部が残っています。でも考えようによっては、蛭ヶ岳から比べればずいぶん近づいたとも言えるので、気は持ちようです。

天女は少しでも早く到着しようと、錆鉄人が撮影している間も歩いて行きます。最後の鞍部を前に見上げた塔ノ岳は大変そうに見えましたが、登ってみると案外近かったです。

この先が鹿に遭遇した場所だったかも
尊仏山荘
14:20 塔ノ岳に到着。ここで天女はトイレに行きました。そのスキに、じゃなくその間に山荘の売店に入ってビールを買いました。キリンとアサヒとどちらがいいと聞かれたのでアサヒと答えました。
ビールを飲みながら天女を待ちましたが、朝はあんなに鮮やかに見えていた富士山が影も形もありません。
戻ってきた天女も言われて初めて見えなくなっていることに気が付いて「朝早く登って良かったね」と言いました。

14:35下山開始。驚いたことに、この時間になっても登って来る登山者が結構いました。

大倉尾根X
登山路にはどういう基準で設置されているのか判りませんが、電柱に取り付けられているような「大倉尾根X(Xは1から50幾つまであったと思う)」と表示されていて、緊急時は上の番号を通報して下さいと書いてあって、連絡先の電話番号が下に書いてあります。それだけ観光客が歩いてトラブルが続発しているのかも知れません。
それよりも下山中に驚いたのは、何ヶ所かあったコースタイムの表示でした。距離から考えてこんな時間で下りられるのと思っていましたが、天女が普通に歩いて2時間だったので、塔ノ岳から3時間で正しかったのかもしれません。

大倉到着、好燃費で帰る
4:20登山口に到着。至る所に野菜の無人販売所があり、天女は一つ一つ覗いて、ドングリハウスのすぐ手前の所でブロッコリーを買いました。
ドングリハウスでトイレに入って、それから登山靴を洗いました。錆鉄人は歩き方が上手いのでほとんど汚れていませんでしたが、天女の靴は泥だらけでした。
ここからカーナビの設定をミスしてかなり遠回りしましたが、大井松田IC直前のセルフスタンドで給油して東名に乗り、最初のSAで夕食を食べた後、少し寝ました。目が覚めたら19:00を少し過ぎていたので、120km前後で走っても武生IC到着は23:00頃だったので、深夜3割引になるようにゆっくり走って燃費記録に挑戦する事にしました。
何とトリップは450kmの敦賀IC辺りで、やっと燃料計が半分を示す好燃費。翌日会社へ行って帰りに給油したらリッター14.7kmという驚くべき好燃費を記録していたのでした。
「ステップワゴンの部屋」の「燃費の鉄人コーナー」を参照して、フトコロと地球に優しい運転をして下さい。)

計画通り24:20頃武生ICを下り、自宅には24:40分到着。布団や荷物を片付けた所で眠気はなく、ビールを飲んで寝たのは3:00.結局3日で9時間しか寝なかったので、2日程は夜9時頃には頭がクラクラしてきたので早く寝ました。

100円の野菜を買うときも
真剣そのものの天女
今度は計りを持って登るかもしれません

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