伊吹山(1,377m) 伊吹山は30年ほど前 登山サークルをしていた頃春先に登っているので 百名山にはカウント済みであり、再度登ることは考えていなかった。 しかるに、昨年4月11日恵那山に登った時 根尾の薄墨桜見学を計画していたが断念したので 天女が休みの16日(土)に花見はどうかなと思って開花状況を調べると 12日には開花直前で、ちょうど見頃になるのではないかと思われた。 16日は回る寿司でも食べに行こうかと言っていたが 急遽、薄墨桜見学に行く事に決定 天気も良さそうなので、 ついでに通り道にあって天女が未踏の伊吹山にも登ることにした。 (伊吹山の神様、ついでの登山で申し訳ありません) 2人とも混雑が嫌いなので 薄墨桜に9時までに着くように5時には出発と考えていたら この日の午後6時から町内親睦会の花見があるとの連絡があり、 いったんは断ったが、 時間表を作ってみると午後6時には帰ってこれそうなので やはり出席すると電話をしたのであった。 |
どうやって行くの? 「金無し暇無し休み無し登山」の3無病に感染している錆鉄人なので、最短距離(ガソリン代を安くする)で高速を利用しないコースを最初に考えます。 自宅から大野市に行き、温見峠から旧根尾村に入るのが最短ですが、有名な酷道157号線(ずいぶん昔ですが、岐阜県のほうから深夜帰る時、峠で重機が道路を塞いでいてUターンした事もあります。)、通行出来るか国土交通省や大野市、本巣市などのホームページを調べますが、確証が得られず(お役所仕事ですから)はるばる行ったが途中で通行止めでは泣くに泣けないのでこのルートは断念。 国道365号線で木之本に出て、そのまま下道を走って国道(山に入るまでは酷道ではない)157号線を北上することにしました。福井県のHPには4月15日まで通行止めとの表示であり、16日は通れると思いましたが、念の為メールで問い合わせると28日まで通行止めが延長との事でした。 14日朝、通勤途中にラジオの交通情報で4月一杯は冬季の通行止めであるという事が判明し、抜く身峠ルートにしなくて良かったと思いました。 |
という事で、直線的には45km位だと思いますが、敦賀回りで大きく迂回して行く事になります。 パソコンの地図ソフトで調べると、自宅から旧根尾村役場まで約165km(薄墨桜は数キロ以内)約4時間とみて9時までに着けばそれほど混雑していないのではないかと考え、自宅を5時出発の計画を立てました。 今回は車中泊の必要がないので、燃費の良い(四駆ですがマニュアルシフトなので何とリッター18km前後走ります。)天女のムーブで行く事にしましたが、天女ナビが頼りである所が唯一の不安でありました・・・ 総走行距離340km程度、ガソリン20Lとして食費を除けば2,300円ぽっきりで2人が1日遊べるという錆鉄人家にピッタシの計画でした。 【実際】 ところが、寝過ごし!をしてしまったのです。何故か寝付けず夜中にも目が覚めて何度か時計を見た時に、さっきからまだこれだけしか経っていないのかと思っていたのでしたが、目覚まし時計の電池切れで止まりかけていたのでした。 気が付くと明るくなっていて、目覚まし時計を見ると何とまだ2時です!慌てて起きて居間の時計を見ると5時半でした。 5分後には家を出て、遅れを取り戻すために武生から高速に乗りましたが、木之本ICで下りても最初の予定よりは早くなったので下りて、後は下道を走りました。 大垣付近はガソリン価格が安く、110円の看板につられて飛び込みましたが、それは会員価格で112円取られましたが安かったと思っていると、109円という看板もあって後悔する事しきりでした。(30リッター足らずなので100円以下の差ですが・・・) |
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伊吹山の登山に関して | ||
伊吹山はスカイラインがあり、頂上のすぐそばまで車で登る事が出来る(但し3,000円も取られる!)ので、「もっと遥かな山旅を」の伊吹山の登頂記録も半分は頂上駐車場からで、残りもほとんどはゴンドラを利用して(ゴンドラ代往復1,000円以外にも駐車料金が取られる!)の3合目からの登山です。 しかるに注意深くリサーチをすると、スキー場の3合目駐車場まで車で行って登った記録があり、やや時間的に余裕がない自分達もこのコースにする事に決めたのでした。 ムーブで行く事にした理由の一つは、3合目駐車場までの道路はすれ違い困難な狭い道路との情報でありました。 |
ホームページで確認すると、伊吹スカイラインは4月15日から全線通行可能との事ですが、ゴンドラリフトは連休前からの運行との事でした。 登山ルートに関しては他にもいくつかありますが、伊吹山は有名な「花の山」なので、どうせ登るなら5月以降が良いでしょう。 【実際】 1合目を3合目かと思って歩き出しましたが、おかげでたくさんの花に逢えたので間違って正解でした。 |
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根尾の薄墨桜に関して | ||
継体天皇御手植の桜 1550年余り前、皇位継承をめぐって争いがあり、生後僅かに50日の大迹王は、養育係の草平・兼平夫婦に護られ、難をさけていた尾張一宮からさらに美濃の山奥に隠れ住んだ。この間、言語に絶する生活を強いられたが、長じて29歳の時、都からの勅使に迎えられ王は都に上がられ、後に継体天皇(26代)として即位された。 大迹王村を離れられる際、住民との別れを惜しまれ、尾張一宮から持ち帰られた桜を二男の桧隅高田王の産屋跡に植えられ、一首の歌をそえて記念とされた。 身の代と残す桜は薄住みよ 千代に其の名を栄盛へ止むる |
今立町の住民としては異説を紹介せずにはおれませんが、残念ながら薄墨桜に関しては圧倒的に根尾村のほうが古い事は認めます。 |
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蘇った薄墨桜 | ||
【本巣市HPより】 淡墨桜は、大正初期の大雪で太さ約4mの一の枝が折れ、本幹に亀裂が生じた頃から衰えが目立つようになり、村ではいろいろと保護に努めて来たが、昭和23年頃には遂に枯死するかとも思われる状態になり、文部省から派遣され調査した本田博士より、今後3年以内に枯死は免れないだろうとの認定がされた。 その間、多くの名士がこの名木の枯死を惜しみ、淡墨桜顕彰保存会が設立され、様々な努力によってその命を蘇らせたのでありました。 その経緯は本巣市の旧根尾村HPをご覧下さい。 |
そして多くの人が集う観光名所として蘇った |
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駐車場について | ||
さて、国道21号線から根尾まではほぼ一直線に北上します。(途中から国道157号線になります。) 道路には薄墨桜まで何キロという標識もありました。道路は早朝である事もあって快調に進み、8時過ぎには薄墨桜の手前に到着しました。 薄墨桜駐車場へは左に橋を渡って進みますが、橋を過ぎた辺りから駐車料金の支払で渋滞していて、駐車場に車を止めたのは8時15分頃でした。いくつもある駐車場は、すでの8割がた車で埋まっていました。 駐車場の周囲には縁日のようにテント店が並び、薄墨桜までの坂道にも、当然薄墨桜のある広場にもテント店、お土産屋さんが並んでいて、桜を見るより、そちらを覗いているほうが長くなりました。 |
しかし驚いたことに9時頃に駐車場を出て157号線を戻りましたが、橋の手前に延々と1km以上の車の列があり、続々と車が押し寄せてきていました。 高速にのって速く来て良かったと心から思いました。来年、薄墨桜を未に来ようとする人は、休日なら午前8時までのは到着するように出発されることをお勧めします。10時頃に来たら昼過ぎまで国道上で待たされることはほぼ間違いがありません。 なお、帰りは一方通行で上流の橋から戻りますが、上流の橋を渡ったすぐ下手(下の橋を曲がらずに157号線を数百メートル進んだ所)に無料の駐車場と思われるものがありました。でも、国道は完全に詰まっているので反対車線を走ってそこへ行く事は出来ませんので、普通は利用出来ないと思います。 |
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薄墨桜 | ||
正面は人が多くて撮影困難なので横から撮りました。柵のかなり奥なので幹の太さが実感出来ないのが残念です。 |
正面の柵からの写真 人が群がっているので 記念撮影はかなり困難です。 |
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裏側 | ||
裏側には観光客はいませんが、裏側からは薄墨桜の凄さが分かります。支えとなっている材木は結構な太さですから、支えられている枝の太さが分かると思います。 本巣市のホームページによると、幹の太さは目通り9.91m、枝張りは東西26.90m 南北20.20mといわれ、樹齢は1,500年余りと言われています。 |
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薄墨観音 | ||
大正九年の暴風雨で折れた枝(といっても充分太かったと思いますが)を彫って観音様を作ったらしい。 |
何でもお参りする癖の天女 (錆鉄人も影響を受けてお参り三昧) |
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見物人の群れ | ||
この時間はまだ人が少なかったに違いありませんが、それでも結構な人数です。隣の芝生の上でシートを広げて花見をしている一行もありました。 正面は展示館(右は土産物屋さんの建物)になっていましたが、300円は勿体ないという天女の一声で見学は中止しました。二義は土産物屋さんです。 駐車場はこの右手にあり、帰りは公園と展示館の間を通って(写真左方向へ進む)、上流の橋を通って国道に戻ります。 駐車場の一角のテントで桜などの苗木の販売をしていて、その花があまりにもきれいだったので天女は苗木を買おうとかなり迷いましたが、目利きの優れた錆鉄人は、ここは高いからホームセンターで買えば花の時期も過ぎているから半値で買えると言ったので買うのを止めました。 事実、ここで売っていた花モモは1本2,300円でしたが、帰りに「みつわ」で698円で買いました。 |
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伊吹スキー場へ | ||
さて、9時頃に駐車場を出発して、今度は伊吹スキー場へ向かいました。でも、ホームセンターなど苗木を売っているところがあったら買おうと思っていたので、トイレを兼ねて途中の道の駅に寄りましたが、野菜の苗は売っていましたが、花木の苗はありませんでした。 伊吹山3合目駐車場へ向かうつもりでしたが、一般車両の通行を認めていないらしく、標識などありません。 (以下、迷いながら見つけたルートです)スキー場の標識に従って進み、神社の前を右に進んで200m先のゴンドラ乗り場のすぐ左を通れば、後は1本道です。車が止まっていて登山装備の人が歩いていたので、我々も右の写真の所に車を止めて出発しました。 |
道の向こうが下山方向です 11:12 駐車場を出発 |
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1合目 | ||
この時点では3合目のつもりでしたが、右の写真のところまで行くと1合目トイレと表示されているではありませんか。でも戻りのが嫌いな錆鉄人はそのまま進んだのでした。(実はこれが幸いだったのでした) |
3合目へは 標識の林道(右)を進むと思われる この山は夫婦連れが多かった。 3合目までに逢った人は挨拶もしないので 関西人は挨拶をしないのかと思った。 |
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パラライダー | ||
伊吹山は有名なパラグライダーの基地で、1合目で教室が開かれていて、教官がハンドマイクで指導している声が聞こえてきました。 かなりの強風で、下手に風に乗ってしまうと初心者は怖いだろうなと思いました。 錆鉄人も昔ハンググライダーをしたいなと思った時がありましたが、性格的に危ないと判断しました。 自分の足で立てない所(空と海)は止めることにしています。 |
強風で後に流されていた |
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アマナ | ||
登山道は最初はスキーゲレンデをほぼ一直線に登っていきます。四輪駆動車が走った跡のような感じのところを進んでいると、数人のパーティが三脚を立てて写真を撮っていました。 なんという花ですかと尋ねた所、「アマナ」と教えてくれました。自分もそこで写真を撮りましたが、登るにつれアマナの花は数が増え、一面の群落になっている所もありました。 |
アマナ |
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花1 | ||
登山道の傍らにはたくさんの花が咲いていて、楽しませてくれました。 ヤマエンゴサク |
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花2 | ||
カタクリ |
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花3 | ||
ヘビイチゴ? |
ショウジョウバカマ |
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花4 | ||
タチツボスミレ? |
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3合目 | ||
3合目の平地に出る前に雪渓がありました。(左側 |
11:45 3合目の平地より伊吹山を望む 予想より険しく聳えていた |
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5合目 | ||
5合目には11:58到着。ここも少し平坦になっていますが、そのあとは急なジグザグの登りが続きます。 |
5合目には小屋がありましたが、閉まっていました。小屋の前には数人のパーティが休憩していて、休憩せずに通過する我々に、「そんなに急いで行っても、頂上には車で来た人がいっぱいいるよ。」と言っていました。 |
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5合目から下を見下ろす | ||
この日はもやっていて展望がきかないのが残念でした。 3合目の平地に僅かに残っていた雪が見えますが、その左を通って登ってきました。 3合目の平地からは案外急な斜面を登ってきたことがわかると思います。 |
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8合目 | ||
8合目には小さなお堂があり、数人のパーティが休憩していた。こんな所で休憩しているので登るのかと思っていたが下っていった。 | ||
9合目 | ||
山の上登った所に9合目の標識がありました。ここからは左右に遊歩道があり、左に向かう数人の人がいたので、天女はつられて左の方に進みかけましたが、右方向が頂上へのルートです。 頂上の手前にはかなり大きな雪渓が残っていて、さかんに融雪しているので登山道は小川になっていました。 雪渓の前で写真を撮ることにしたら、天女は、軍手を脱いで(日焼け防止にはめている)、帽子を取って髪の毛を束ねて・・・準備が大変でしたが、おかげでいい写真が撮れました? その後、また帽子をかぶって軍手をはめて・・・ ここでかなりの時間がかかりました。 写真のモデルは大変ですね。 |
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頂上 | ||
辺りには土産物屋などが乱雑に立ち並び、この社が場違いのような感じがしました。 |
モデル撮影に時間を取られましたが、きっかり1時間半で頂上に到着。山頂のヤマトタケル像の前で2人揃った写真を撮ってもらいました。 |
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伊吹山とヤマトタケル | ||
(いろいろなページを参考にまとめたものです) 日本武尊は景行天皇の第二皇子小碓命(おうすのみこ)です。小碓命は謀反をたくらむ双子の兄大碓命を殺してしまい、父帝の怒りを買い、いまだ大和に従わない各地の豪族討伐に出される事になりました。 最初の熊襲の征伐で、小碓命は踊り女に変装し、熊襲の首領タケル兄弟を殺害。熊襲タケルはその勇気を称えヤマトタケルの名を与えました。 見事、熊襲征服を果たし大和に帰ったヤマトタケルでしたが、父帝の許しは得られず、出雲からさらに蝦夷征伐を命ぜられました。蝦夷征伐は苦難の連続で、相模から上総国に船で渡った時は時化に巻き込まれ、愛する弟橘姫が犠牲になって海中に飛び込んで暴風雨を鎮めたのでした。 蝦夷を平定し、凱旋の途中尾張国に立ち寄ったヤマトタケルは尾張氏の娘宮簀媛(みやずひめ)に出会い娶ることになりました。ここで伊吹山に良くない神がいることを知ったヤマトタケルはを退治する為に出かけました。伊吹山の神を甘く見たヤマトタケルは、宮簀媛の元に宝剣草薙剣を置いたまま伊吹山に向かい、苦戦しながらも伊吹山の神を倒したタケルでしたが、自身も深手を負って死んでしまい、その魂は真っ白な大きな鳥となって河内国に至ったと言われています。 ヤマトタケルが宮簀媛に託した草薙剣は、そのまま尾張氏がお守りすることとなり、そのために建てられたのが熱田神宮です。 |
女装出来るという事は小柄だったと推察されていますが、上の写真で分かるようにもう少し大きくしてあげて欲しいと思いました。 |
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頂上の周辺 | ||
中央のヤマトタケルの像のすぐ横は土産物屋さんで、何とも興醒めですが、その向こうにも何軒かの土産物屋さんがあり、風を避けてお昼を食べる所を探して行きましたが、どこも風が強く、とりあえずビールを買いに入った店が何十もの花の写真を飾ってあったので、眺めながらビールを飲みました。登る時教えてもらったアマナの黄色い花もある事を知ったので、帰りに捜そうと思いました。 結局、無料休憩所と書いてはありましたが、中でお昼を食べるのは悪いだろうと言って出て、比較的風の弱い場所を見つけパンとおにぎりを食べました。 |
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発見!キバナアマナ | ||
1:15下山開始。風は強くなる一方で、天女は大切な帽子を飛ばされないようにザックに仕舞いました。 3合目平地の上の辺りからアマナの花が咲いていたので、黄花を捜しながら歩きました。 そして、遂に1株だけ咲いている黄花のアマナを見つけたのです。その後も花を探し写真を撮りながらゆっくり下りたので、1合目のトイレに2:20に着き、トイレを利用して駐車場に戻りました。 その後、8号線経由で敦賀に戻りましたが、木之本から琵琶湖の北303号線との分岐の間は大渋滞していました。 今回は6時からの花見に変える必要があったからですが、一般の人が移動する時間に動くものではないと思いました。 |