天女には吸血ヒルも恭順 光岳

05.06.05

光岳(2,591m)

光岳は数年前の年末、冬山初挑戦で出かけたが
ペットボトルの水が凍る寒さと
チェーンなしのFFステップワゴンでの帰宅不安から
易老岳を越えた所で撤退してしまった。
いつかはリベンジと考えていたのであるが、
Webで登山記を見ると吸血ヒルの絨毯爆撃の恐怖が語られていて
そういうものが活動しない秋の終わり頃に行こうと思っていた。

6月4日、5日は天女の月に1回の連休で
東北南部か新潟方面の百名山を計画していたが
3日の天気予報では天気が悪い予報だったので登山は諦めて
(3日の夜中にバーレーン戦を応援しないと負けるという強迫観念もあって)
4日は田圃の土手刈りや畑仕事などをしていたが、
夕方の天気予報を見ると長野南部は日中晴れの予報になっていたので
急遽、光岳に登る事に決めた。
一応先週登った所だったので登山用具は揃っていたので
車に布団を敷けばほぼ出発準備OKだったので
早めに晩御飯を食べて18時過ぎには家を出発した。


どうやって行くの?
今まで2回聖・光登山口のほうへは出かけているが、折角なのでカーナビに国道から聖・光登山口への入口を目的地にしてセットした所、何故か園原ICで下りるコースを指示した。いままで何回かカーナビの指示通りに進んで狭い道路を走らされた経験があるので、このルートは信用出来ないと考え、今までと同じく飯田ICで下りて矢筈トンネル経由で南信濃町へ行く事にした。
4日は高速に乗る前にスーパーマッケットでパンやお菓子とアクエリアスの2Lを買って、阿智PAに21時杉に着いて車中泊した。
目覚ましは2時40分にセットし、トイレに行って2時50分頃に出発。この時間だと途中の狭い道路もほとんど専用道路のようなもので、順調に南信濃村の登山口入口に到着。
ここからは延々と1車線の道路が続き、相当奥まった高地にまで集落があったりするが、早朝なので対向車の心配もなく進めた。途中から前を走る軽自動車に追いついたのでスピードを緩めた。この頃天女に声を掛けて、「もうすぐ着くから起きていたら」と言って起こしたのが後ほど起こった大問題の原因だったのかも知れなかった。天女は登り始めたらしばらくはいつも貧血になるので、その原因は起きてすぐに歩くからではないかと思った錆鉄人の優しさが仇になったのでした。
駐車場
その前を走っていた車も易老渡の駐車場の一番奥に停まりました。でも登山者ではなく釣りをする人のようで、長い長靴を取り出していました。
到着時間は4:40頃でしたが、登山口の吊り橋の横を通った時、登山者が1人橋の奥に消える所で、登山者がいるよと天女に声を掛けた時には消えていました。
という事で我々は登山口に近い駐車場の下手に駐車しました。横にはレガシーが1台停まっていました。
登山の前に朝食を食べましたが、天女は食欲がないと言っておにぎりを1個食べただけでした。

4:58出発準備完了
奥のガードレールの横をさらに進むと
聖光小屋のある聖の登山口に着きます
登山口の吊り橋
登山口の吊り橋は駐車場の下約100mほどのところにあります。
「写真を撮るから先に渡って」と言って天女に先に吊り橋を渡らせましたが、なにかぎこちないと思ったら吊り橋はかなり老朽化しています。
ところで錆鉄人は今回は50Lのザックにしました。25Lザックでも充分だったのですが、光岳を舐めている、あるいはコースも知らない初心者と見られるのが嫌だったからです。従ってザックの中がゴソゴソなので、ポテトチップスや半分しか入っていないアクエリアスの2リットルボトルを入れていました。それでもスカスカだったのでベルトで締め付けていました。

老朽化したつり橋
吊り橋の踏み板が腐ってきていて、何ヶ所も踏み抜いた跡があるばかりではなく、数箇所は板そのものがなくなっています。
まだ大丈夫な板もかなり腐りかけているように見えたので、踏み抜くのが怖いので釘が打ってある部分に足を置いて渡りました。

15:10 下山
ピースサインもおっかなびっくりです
荒れた登山道
吊り橋を渡って数十メートル進むと、すぐに急斜面をジグザグに登り始めます。ほとんど息をつく暇もないような急登が続きます。
十数分登った所で登山道が崩壊している所があり、ズルズル滑る斜面をロープと木を頼りに進みます。
通過が特別困難という訳ではありませんが、釣り橋もここも登山者が少ない南アルプスらしいと言えば言えると思いました。

これは下山時の写真です
ミズナラの大木
さて錆鉄人の心遣いも効果なかったのか、天女はハーハーいいながらも生あくびを繰り返していました。30分程歩いた時に、唾を吐きながら歩いているので、「気分が悪いの?」と聞くと、すぐに道端にうずくまって苦しそうに吐こうとしました。ザックを担いだままなので背中をさすってやることも出来ません。何度も苦しそうに胃の中のものを吐こうとしましたが結局吐けず、「苦い胃液しか出なかった。」と言って天女は顔面蒼白でまた登り始めました。
錆鉄人は天女が吐いている時は登山中止も覚悟したのですが、何の恨み言も言わずに歩き出したのでびっくりしました。こんないい嫁さんを大事にしなければなりません。天女は経済観念が発達しているので、ここまで来て戻るのは時間も交通費も勿体ないと思ったからかも知れません。
それからは何度も「大丈夫?」と気を遣いながら後を着いて行く優しい錆鉄人でありました。(帰ろうと言わないのだから、優しくないかも?)


(思いっきりブレています)
延々とジグザグに登り尾根に出ると
地図に出ているミズナラの大木に着きました。
5:53 標高1,328m
面平
ミズナラの大木からは、すぐに面平だと思っていましたが、案外遠く6:10に到着しました。天女が吐くアクシデントがなければ1時間位で着いていたのではないかと思いますが、通常はここまで2時間のコースタイムです。
数年前の年末に来たときはここにテントが1張りあったことを思い出しました。

登山道はほとんどがこのような森の中です
これは何?
登山道の脇に真っ白いというか、半透明というか花のようなものが生えていました。
??
何か分かりませんが写真を撮りました。

倒木
面平から1時間近く登った所で登山道が倒木で遮られている所に出くわしました。どこを歩けば良いか分かりません。でも良く見ると倒れた木の枝の上に踏まれたような跡があるのでそれを辿って何とか通過出来ました。これも北アルプスなら去年のうちに登山道が確保されているのではないかと思いましたが、そういうのも含めて南アルプスの魅力かもしれません。
さて、この辺りで錆鉄人は靴連れになってしまいました。登山道が階段のように水平になった部分がない為に足を斜めに着くので、どうしてもかかとの負担が大きくなるようでした。足を横向きに置いて登り靴連れの成長を防ぎながら登りました。



こういう所は錆鉄人が先に通過出来てから、
天女に声を掛けて来るのを待ちます
易老岳分岐
8:14易老岳の分岐に到着。コースタイムは5時間ですから、途中の休憩も含めコースタイムの2/3です。体調の悪い天女なのに良く頑張りました。ずっとハーハー息をしていました。
一方、錆鉄人はコースタイムの6割位ならほとんどハーハーになる事はなく、このコースタイムはやや甘いのではないかと思いました。通常は宿泊道具を持って登ると思われますので、20kg位の重装備でのコースタイムかも知れません。
ここで休憩して食事にしましたが、天女は食欲がなく、寿司を4切れとパンを半分食べただけでした。錆鉄人は朝からでもステーキを食べられる丈夫な胃なので、天女の数倍食べました。(といっても、昔は3人分位は楽に食べられたのですが、今は2人分がやっとかもしれません。)

8:26 分岐を出発
光岳
分岐からはほぼ下りが続きます。途中で前方に山が見えたので写真を撮りましたが、どれが光岳なのか分かりませんでした。左奥の黒っぽい山でしょうか。登ればわかると
登山道はかなりえぐられていて、時々倒木に行く手を遮られます。

倒木2
登山道は尾根を通るものと思っていましたが、ほぼ山腹を進みます。時々小さな登りもありました。
やがて登山道の上から尾根にかけての一帯が軒並み台風でメチャクチャになっている所がありました。ただし、登山道はこのすこし下を横切っていたので通行に支障はありませんでした。

(帰りの撮影)
コバイケイソウ
登山道はほとんどが森林の中ですが、所によってはこのような開けたところもあります。コバイケイソウがかなり成長していましたが、他の花を含めて咲いていませんでした。
雪渓
何度かアップダウンを繰り返し、下りきって登りになったらほとんどがこのような雪渓歩きでした。雪質は雪上歩行にちょうど良い位で、スリップの恐れはほとんどなく、また踏み抜きそうな危うい所もほとんどありませんでした。
錆鉄人が気を利かせて(当たり前かも?)出発前に防水スプレーを掛けておいた効果がありました。錆鉄人はダナムの超安価な一応皮製登山靴なのでクリームを塗ってきたのですが、すぐに水分が浸透して変色してきました。クリームの研究が必要だと思いました。
ここでも錆鉄人は足を横置きにして登りましたが、天女も足が痛くなってきたと言っていましたが、錆鉄人のような高等技術は持っていないので真っ直ぐに足を置いて登っていました。
雪渓の谷を登りつめると森林限界に近くなった為か開けてきて雪も消え、涸れ沢の登りになります。靴連れした足にはこういう所のほうが助かります。
天女の格好ほど
急傾斜ではなかったと思うのですが・・・
静高平
静高平の標識もやっと顔を出しているだけですが、登山道は雪のない所にあります。
水場1
木で樋が作られていましたが、樋の手前が詰まっているようで水は横を流れていました。
天女のザックに付けた小型マグカップを取って水を汲んで天女に渡しました。(錆鉄人は感謝を込めていつも天女優先です。)「冷たくっておいしい」と言って飲み干した後、もう一杯どう?と聞きましたがいいと言うので自分が飲みましたが、「冷たいことは冷たいけど泥臭いね。」と言うと天女も急に同調しました。天女はこの水にあたった訳ではないかもしれませんが、小屋に着く頃にはお腹の調子が悪くなりました。

聖岳
振り返ると聖岳(だと思うのですが)がガスに覆われようとしていました。慌ててデジカメを取り出して撮影しましたが、再び全体の姿を見せることはありませんでした。
光岳のほうもガスが湧いてきて雲行きが怪しくなってきました。

光岳避難小屋が見える
ついに登りつめ、前方に光岳避難小屋が見えました。30m程の雪渓の向こうに木道が見えました。ここまでほとんど登山道の保護や整備がされていなかったのでちょっと感動しました。
どうやら右上の小山が頂上のようで、もう頂上に着いたようなものでした。

なお、この木道の手前には左側へ登山道があり、帰りに間違って数百メートル行ってしまいました。

小屋が判別出来るでしょうか?
亀甲土
木道のある所は天然記念物の亀甲土のところでした。テント禁止と書いた標識がありましたが、これだけ凸凹したところでは寝るのは難しいと思いますが・・・

この先にもう1ヶ所亀甲土のところがあります。
亀甲土のアップ
不思議な造形です
光岳避難小屋
小屋には10:05に到着。お腹を壊した天女はトイレへと急ぎました。戻ってきた天女と一緒に階段を登って冬季の入口から中を覗いてみました。
床も柱も腰板もピッカピカです。こんな綺麗な所なら泊まってみたいねと言いながら階段を下りて2回目の食事をしました。相変わらず天女は食欲がありません。

10:20頂上へ出かけました。ザックは置いて行こうと思ったのですが、雲行きが怪しくて雨が降るのではないかと危惧したので、ザックを担いで行きました。

天場
小屋から頂上への登山道の口の所に天場がありました。せいぜい数張りが限度です。
ここから頂上までは標高差も少なく急な登りもないのですが、一部雪渓が残っていました。

光岳
10:34 ついに頂上に到着です。周囲は木が立ち並んでいるので眺望はありません。右後の標識に展望台10m、光岩7分と書いてあるので展望台に行きました。
展望台
展望台といっても団体さんがいたら近づけない広さです。さすが展望台で南側の展望は開けていますが、聖岳のほうは見えません。
下に光岩が見えました。「7分」と書いてあったので我々なら往復10分位かなと思いましたが、天女の体調を気遣って行くのをやめました。何と優しい錆鉄人でしょう。

中央の白い部分が光岩
避難小屋全景
という事で光岳から小屋に戻りました。小屋の直前で写真を撮りましたが、またガスが立ち込めてきて、今にも雨が降りそうな雰囲気になってきました。

小屋の両側にある建物がトイレです。
右端の階段を上った所が冬季の入口です。

トイレ

ちょっと離れた所にあるトイレ
中は結構綺麗でしたが、洗面台が壊されていました。悲しい事です。

右側のトイレは鍵が掛かっていました
豪華?な食事
何回も食べてかなり減ってきましたが、再度の食事です。天女のザックのパンやおにぎりはほとんど手付かずで仕舞ったままです。
カツサンドパンと大福餅とおにぎりを食べました。ポテトチップはザックを膨らます為の道具なので、錆鉄人の好物ですが食べません。食欲よりもプライド?優先の錆鉄人でした。
天女は大福餅1個とパンを少し食べましたが、相変わらず食欲がありません。ここで天女の好きなCCレモンを出しましたが、お腹の調子の悪い天女にはアクエリアスのほうが良かったかもしれません。

水場
11:05に小屋を出発しました。前述のように天女が途中でルートを間違え、錆鉄人もノコノコ着いて行ってしまいましたが、100mほどでおかしいなと思いながら進み、さらに数百メートル程すすんだ所で間違っていると確信して戻りました。
正しいルートに戻って亀甲土の所を過ぎて登る時に飲んだ水場の少し上のほうに別の水場がありました。ここは左中央付近の水溜りのような所から水が湧き出ていました。
が、天女はズンズン進んでいくので写真を撮っただけで後を追いました。

下山
雪渓の下山が続きますが、谷川岳のトラバースと比べると傾斜は緩やかで、もし滑ってもすぐどこかに引っ掛かりそうな為か、天女はスイスイと下って行きます。スリップしてもちゃんと態勢を保って転びません。下手に緊張して恐る恐る下るほうがスリップし易いもので、錆鉄人がいつも「滑る前に足を前に出てしまえばいいんだ」と高等技術を伝えていた効果が現われたのかもしれません。(一般人は決して真似をしないで下さい。)
唯一の難所
易老岳の分岐から20分余り下った所がこのコースで唯一の難所です。といっても数メートル下るだけですが。
下った先は馬の背のような尾根で、3年前の年末に来た時は、この狭い尾根の急下降があり、雪で滑りやすく、さらに20kg以上のザックを担いでいたのでちょっと緊張した事を覚えていましたが、今は写真にも見えるように横に巻き道があるのでどうって事はありません。
巨大な倒木
度々紹介していますが、台風の被害は至る所にあります。こんな巨大な木が根こそぎ倒れています。また、倒れた木を見ると腐っていたから倒れたのだと見えるものもありました。さらに倒れかけているけれど、木にもたれかかっているので倒れていない木もありました。
この倒木の前か後か忘れましたが、この登山中で唯一の登山者に会いました。天女が「初めて人に逢いました。」とうれしそうに話しかけ、雪の状況や小屋の様子など色々と話をしました。小屋には誰もいないと言ったら、他に人がいたら嫌なのでテントを立てようと思っていたけれど小屋に泊まると言っていました。今日から3日位は天気が良さそうだから2泊3日で聖岳を回ってくるそうです。自分達は時間がないのでいつも車中泊の日帰りですと行ったら、その青年は失業中だから時間はいっぱいあると笑っていました。10分から15分程話していたでしょうか。
分かれた後で、いい人だからきっと仕事がみつかるだろうねと話しながら下りました。

駐車場に戻る
面平を過ぎてさらに30分程下った所で天女が疲れたといって屈み込みましたが、すぐに気を取り直して下山したので安心しました。
さところで光岳は吸血ヒルの絨毯爆撃にあったという報告がたくさんありますが、我々は1度もありませんでした。吸血ヒルも天女に敬意を表したのでしょうか。錆鉄人は「天女効果」と名づけました。
そういう事で15:12 無事に駐車場に戻りました。下山途中にブヨが顔の付近を付きまとっていたので、車に戻った時心配だと思っていましたが、駐車場に近づいたら風が出てきてブヨはいなくなりました。これも天女効果という事にしました。
来たときに停まっていた車は3台ともなくなって、奥のほうに改造したジムニーが停まっていました。途中で唯一逢った青年の車です。

素早く片付けて出発しました。狭い道が続くので国道に出るまで天女に対向車を見張ってもらいましたが、すれ違ったのは1台だけでした。

右にあるのはトイレですが
見るまでもなく汚いと思い
高速まで我慢しました。
山奥の集落
国道まではすれ違い困難な曲がりくねった道を1時間近くも走らなければならないこんな山奥の高地に集落があります。横を通ったらお年寄りが急斜面で畑仕事をしていました。「こういう所では泥棒なんかはいないだろうな」「でも病気になったら大変だな」「学校はどうしているんだろうか」等と話しました。
国道に出る所でカーナビで自宅に帰る設定をしたら、何故か今度は飯田ICに戻る設定になりました。でも途中で狭い県道に進んでしまい、何キロもの間ハラハラ走っていましたが対向車がなく助かりました。
高速は小牧JCで渋滞3kmという情報だったので手前のPAに入って味噌カツ定食を食べました。700円でしたが、天女はまだ食欲が回復していなかったので勿体ないと言いながらも少し残しました。
それからJCに進むと渋滞は終わっていました。順調に走って20:30頃に家に戻りました。天女は高速ではほとんど寝ていましたが、帰ってからは洗濯や後片付けを頑張っていました。

このような集落がいくつかあった。
日本のチロル?

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