後方羊蹄山(1898m) 後方羊蹄山と書いて「しりべしやま」と読む。 日本百名山を著わした深田久弥はそう読ませたので 登山をするものは後方羊蹄山と言いますが 地図を捜しても見当たりません。 地図では単に「羊蹄山」となっています。 別名「蝦夷富士」と呼ばれる秀麗な山容を誇ります。 登山口の標高が低く(比羅夫登山口の標高は350m) 標高差は1,500m以上になりますから 別当出合からの白山登山以上です。 従って一般的には1日がかりの登山となります。 蝦夷富士と呼ばれる秀麗な姿は 見ることが出来ませんでしたが 頂上付近のお花畑は見事でした。 |
どうやって行くの? 羅臼岳に登った25日の北海道は、雨の天気予報でしたが、羅臼岳に登った頃は晴れていましたが、すでに道東は雨が降っていました。それで後方羊蹄山に登られるか心配でしたが、翌朝には雨も上がるのではないかと考え、519kmをひた走りに東へと向かいました。 札幌から定山渓経由でも小樽経由でもほぼ同じ距離ですが、札幌で下りると帰宅の渋滞に巻き込まれそうな時間でもあり、小樽経由と決めていました。しかるに、小樽で高速を下りても雨は強く、甘なら積丹半島の観光に切り替えられるようにと考え、余市の道の駅で車中泊する事にしました。 |
道の駅は車の出入りがあるので度々目が覚めますが、2時頃には雨もほとんど止んでいたので、最初の予定通り登山をしようと倶知安に向かいました。 倶知安のコンビニで朝食とパン・おにぎりを買って、朝食を食べて出発しました。コンビニに関しては、その先にあるとは限らないので、出来るだけ早く買ってしまうのが重要です。 登山口を目指しましたが、標識を見逃したのか、5km程も通り過ぎてしまい、またまたUターン。この辺りに違いないとそろそろ走っていたらやっと見つけましたが、まだ暗い事もあって飛ばしていたら見えなかったかも知れません。 |
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駐車場 | ||
登山口の半月湖キャンプ場へは、行動からほぼ真っ直ぐに登って行きます。着いたときはまだ薄暗く、車も4〜5台あるだけで、窓ガラスの曇り具合から1台だけ車中泊しているようでした。 登ると決めて来たのですが、誰も登る人がいないので決心がつかず、時間をつぶしていました。 かなり時間が経ってから1台の車が来ましたが、前後して車中泊の車の人がさっさと仕度をして歩いていきました。錆鉄人はそれまで、右の写真で駐車場の奥の部分(白い標識)に車止めがあってその先に林道が続いていたので、そこから登るのだろうと思っていたので、1人で登りださないで正解でした。 入ってきた車はエンジン掛けっ放しで、70位の男性が準備をしていましたが、話しをしてみると親切な人でした。 |
下山時の写真なので 車が相当増えています |
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キャンプ場 | ||
駐車場の奥(写真手前側)はキャンプ場になっていて、トイレと洗面所もあります。(右手)キャンプ場は全面芝生になっていますが、キャンプしている人はいませんでした。 話しをした男性は一緒に登りたかったようでしたが、自分は今日夕方の飛行機で帰るので、昼までには下山したいのでコースタイムの2倍位のスピードで登りますのでと告げて先に登ることにしました。 |
下山した時に先に下山した人が 洗面所で登山靴を洗っていました。 飛行機に乗る時も登山靴のつもりだったので 真似して洗いました。 ついでに車止めに 着ていたものを掛けて乾かしました。 |
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登山コース案内図 | ||
最初に駐車場に車を停めたときは、一番遠い所だったので分かりませんでしたが、登山口はキャンプ場の左奥でした。ここにもクマ注意が出ていました。登山口を5:15出発。 |
ほぼ200mで1合登ります |
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2合目 | ||
登山はこれが最後で、時間的に余裕があったので、今回は頂上まで3時間に設定して、ラリーのつもりで登ることにしました。従って、途中でスピードアップして帳尻を合わせる事はせずに、一定の負荷を保って登ろうと決めました。 登山口からは、登山道に上の写真のように草が倒れこんでいる上に、木からは雫が落ちてくるので、ズボンもシャツもベタベタに濡れながら進みます。従って雨が降っているのかどうかも分からない状況でした。 2合目は5:44に到着。風穴があるはずなので案内標識を探しましたが、見当たりませんでした。 |
輪切りにした木が腰掛 |
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3合目 | ||
3合目には5:58に到着。依然として木の雫がひっきりなしに落ちてきてガスも濃いので何も見えませんでした。 |
ブレブレ写真で済みません |
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4合目 | ||
4合目には6:07に到着。心なしか明るくなってきた感じがしました。 |
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5合目 | ||
途中、小さな雪渓というか残雪を登って、5合目には6:24に到着。3合目、4合目が近かった割には、5合目までは遠かったです。 ここで雲の上に出たのでしょうか。陽が差し込んで来ました。正面にはニセコアンヌプリと思われる山が見えましたが、頂上部分はガスに覆われていました。 普通なら2合目で休憩して、5合目で休憩という所でしょうか、広場になっていました。 |
広場に残った雪 |
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6合目 | ||
木はあっという間に乾いたのか、雫は落ちなくなっていました。6合目には6:44到着。 |
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7合目 | ||
7合目には7:04に到着。1合目辺り20分とラリーのペースは順調です。 続く |
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8合目 | ||
8合目には7:24に到着。ここも1合目辺り20分とラリーペースを維持しています。 |
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9合目 | ||
9合目には7:34に到着。8合目からは10分しかかかっていません。頂上が近くなってので、9合目を押し込んだから近かったのではないかと考えましたが、ここから頂上までは遠いので油断出来ません。 9合目は避難小屋への分岐にもなっていますが、ここでツルツル頭の凶悪犯みたいな人相の男性が、手ぶらで現われたのでギョッとしましたが、続いてきれいな女性が現われました。何故一緒にいるの?と考えながら登りました。人は見てくれではないという事でしょうか、ひょっとして金の力でしょうか? |
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北山 | ||
9合目を左に回りこむと、左前方になだらかな山が見えてきますが、登山道はその間へと続いています。 うろ覚えですが、地図では母釜があって、その先に父釜と呼ばれる噴火口があって、それをある程度回りこんだ所が頂上だったはずですが、母釜もまだですから、かなり残っている事を自覚しました。 |
雪は数日で消えそうな量でした |
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小屋跡の標識 | ||
10分程歩くと、小屋跡の標識がありました。「モウ一息ガンバレ!」と岩に書いてありますが、火口壁に出てからも頂上は結構先なので、ここで頑張り過ぎないようにして下さい。 この辺りでは北山を歩いている人が見えました。 |
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小屋跡の標識 | ||
10分程歩くと、小屋跡の標識がありました。「モウ一息ガンバレ!」と岩に書いてありますが、火口壁に出てからも頂上は結構先なので、ここで頑張り過ぎないようにして下さい。 この辺りでは北山を歩いている人が見えました。 |
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母釜に到着 | ||
7:52やっと母釜に到着。どうやら向こうが父釜で、標識の上が頂上のようです。従ってここからもまだ距離があることが分かります。 この付近から昨晩小屋に泊まった登山者のグループに出会います。 |
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母釜 | ||
母釜の底には小さな池が出来ていて綺麗な水を湛えていました。雪渓の左側には、光岳にあったものと同じ亀甲土がありました。 |
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三角点 | ||
母釜からはなだらかな稜線歩きです。というか、途中から父釜の火口壁を歩くようになります。3時間にはこだわらず出合ったパーティと話しをしたので時間が余分にかかりました。途中、ナキウサギを見つけたので写真を撮ろうと思いましたが、近寄ったら逃げ出して、どんどん火口へと下りていったので撮影出来ませんでした。 | ||
お花畑 | ||
1三角点の付近は羊蹄山でもっともお花が咲いていました。これほどびっしりと花が咲いているのは初めての経験でした。 でも、もう少し跡ならもっと凄いことになっていたのではないかと思われました。 (残念、ブレてしまった) |
花密度にビックリしました |
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頂上 | ||
三角点から頂上まではあまりありません。頂上には4〜5人の男性と1人の女性がいましたが、自分が写真を撮ろうとしたら、頂上を明けてくれました。 北海道最後の山だったので、バンザイして写真を撮ってもらいました。札幌の人達で酒盛りが始まっていました。昨日は凄い雨だったけれど、お清めが効いたから晴れたのだと言っていました。きっと凄い量の酒だったに違いありません。 |
北海道5山登頂達成 |
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森山さん百名山完登達成 | ||
たった一人の女性は森山さんという東京の人で、30年かかって、この日、この後方羊蹄山で百名山完踏を果たしたとの事でした。女性1人ではさぞかし大変だったに違いありません。 錆鉄人も一応百名山登山をしていて、これで74山目であることや、時間も金もないので、2日で5つの百名山に登った事などを話しました。 |
森山さんはゆっくりと 小屋のほうへ歩いて行きました |