百名山日帰りに対する批判について

いろんな登山のホームページを見ていると、
百名山を目指して登山している人を「百名山ハイカー」と蔑み、批判をしている事が多い。

そういう人は一般的に以下のような特徴を持っています。
○百名山には一部しか登っていない
○さまざまな事情があって、百名山を目指す事が出来ない
○自分のホームグラウンドとなる山を持ち、その山に関しては権威を持っている(と思っている)
○他人と同じ事をすることが嫌いである(これは錆鉄人と同じ)


という事で、
小屋泊まり等、山での宿泊が一般的なグレードの百名山の日帰りに関しては、さらに辛辣な批判があります。
いわんや、
1.そんなに急いで登っていると、景色や高山植物を愛でる余裕がない
2.山小屋での食事・山仲間との語らいこそ登山の醍醐味!
3.山小屋で見る荘厳な御来光・夕焼けが見られないなんて!
4.スピード登山はリスクを高めるので危険

等々であります。

それに関する錆鉄人の見解です。

1.景色や高山植物
確かに「のんびり」と見ている時間はありません。
しかし、錆鉄人のHPを見て頂けば、しっかりと高山植物や景色も見ていることがわかると思います。
(カメラ越しで見ている時間のほうが長いかもしれません?)
むしろタバコと怠惰な生活で息も絶え絶え、登山途中に花を見る余裕などない・・・という人も多いのでは?
早朝出発の高速登山なので、ガスの上がってこない早い時間に登頂出来る事が多く、
遠くの山の展望があるというメリットに遭遇することも多い。
また、早く登頂してしまうので、涼しい時間帯に登れてしまうというメリットもあります。
感動とは自分の思い入れがあって増幅するものだと思います。
のんべんだらりと登山して得られる景色も、
錆鉄人のようにヒーヒーハーハー一生懸命のぼって得られる景色も
同じではありますが、同じではないのです。
感動は「自分の頑張った度」に比例するからです。

2.山小屋の食事・語らい
錆鉄人も天女も田舎の人間なので語らいは得意ではありませんが
いろんな人とお友達になれたらいいなと思います。
しかしながらヒーヒーハーハー休憩無しの登山がほとんどなので
ゆっくりお話をしている余裕がない場合がほとんどですが・・・。
山での食事がおいしいのはよく理解していますが、
入れ替え制で時間制限があり、大混雑の食堂で食べる食事はどうなんでしょう?
シーズンの山小屋の殺人的な大混雑!
それも人生経験といえばそれまでですが・・・
錆鉄人的には、
人いきれとイビキの中で悶々と朝を待つことのほうが
畑薙第一ダムから悪沢・赤石の日帰りをする肉体的な苦痛よりも
大きな苦痛のように感じます。

そういう意味で、シーズの殺人的な山小屋に泊まって登山をする人は
錆鉄人なんかよりも、遙かに体力・精神力がある人ではないかと尊敬すら覚えます。

3.御来光・夕焼け
錆鉄人の日帰りは、暗くなる前には登山口の戻る事をモットーにしているので
山頂で夕焼けを見ることは不可能です。
しかしながら、深夜に出発するなどの時間調整を行えば、山頂で御来光を拝む事は出来ます
(例えば、利尻岳は夜中過ぎに登山口を出発して、頂上でただ一人御来光を見ました。)
もっとも、錆鉄人も歳をとったので、長時間ドライブの後、徹夜で登山した事はありません。
ただし、これも単なる習慣で、慣れてしまえば可能かもしれませんが・・・

4.リスク
早く歩くからリスクが高いかというと・・・必ずしもそうではないと思います。
危険な場所では、安全を考えながら歩くのは当たり前。
何の危険もない登山道をスピードを上げて歩いても何の問題もありません。
むしろ、日帰り登山はその日1日の天気予報を直前に確認した上で実行するので天気が安定しているのに対し、
1泊2日以上の登山は、小屋の予約をしている関係から「悪天候でも決行してしまう」傾向にあり、
例え初日は好天でも、日を追うに従って天気予報の精度が落ち、悪天候の登山となるリスクが高い
しかしながら悪天候となっても帰る予定の変更は困難なので、悪天候をついて縦走することになり、
桁違いの遭難リスクを負うことになってしまいます。
つまり、日帰りという登山形態は、一番リスクの低い登山形態であると言えます。



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