泰澄大師が698年に開山した 踏み跡なき残雪の越知山(613m) |
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(撮影:2001年3月18日) |
文武天皇2年(698年)泰澄大師によって開山されたと伝えられる越知山の山頂は、かって三所大権現といわれ、いまも越知神社をはじめ、千体地蔵とよばれる石仏群や殿池、神供水など信仰にまつわる遺跡が残っている・・・ 山と渓谷社「福井県の山」より |
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●登り口 何カ所かあるようだが、 朝日町の小川集落の集会所横からが上記の「福井県の山」では紹介されている。 自分も初めての山であり、このコースから登ることとした。 なお、雪がなければ車でも頂上付近まで登れるらしい。 集会所付近には10台以上の車があり、たくさんの人が登っていると心強く思った。 ところがこれは勘違いだった事が後で分かった。 同本によれば集落添いの道路をさらに2kmほど登った所に 「越知山登山口」の標識ありとの事で、さらに車で進んだ所標識を見つけた。 集落のポンプ小屋前の1台分のスペースに車を止め、身支度をして登りだしたが、 雪道には踏み跡もなく、すぐに倒木に行く手をさえぎられた為引き返した。 集会所から2km程進んだ所の登り口 (この左手に1台分の駐車スペースがあったが・・・) ●駐車場 集会場前の道路に10台以上の駐車スペースがありますが 集落の集会所の駐車場なので迷惑がかからないように注意願います。 最初に通った時は駐車場に車が満杯で、登山者がたくさんいるので安心だと思ったが、 上の登山口から戻ってみると、車は跡形もなく消えていた。 この駐車場の少し上手の道路脇に車を停めて、登山支度をしていた男性がいたので話しかけた。 福井市の人らしい。一度登ったことがあるとの事だった。 先ほどの車は集会場で何かあったらしく、集落の人の車だった事がわかった。 一緒に登らせてもらおうかと思ったが、午後1時近くになっていたので、 他人と一緒のペースでは時間がないかもしれないと思い先に出発した。 (なお、このHP上の時刻はデジカメで撮影した時のデジカメの時刻なので少し誤差があります) |
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越知山の見どころ topへ | ||
越知山案内図 |
泰澄大師に関するホームページ (この部分は文殊山と同文です。) いろいろあると思いますが、 泰澄大師を町興しに活用している朝日町のホームページを御紹介します。 泰澄大師に興味を持った方は是非、文殊山にも登って見て下さい。 泰澄大師は白山をはじめいろいろな所に伝説を残しています。 →→→→栢野の大杉 →→→→文殊山 |
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登山道を独鈷水まで topへ | ||
集会所横の登り口には「行者道」の標識が立っている。 12時48分出発。 行者道は杉林のなかを曲がりながら標高を稼いでいく。 少し歩くと意外なくらい下に集会所前の田んぼが見えた。 16時16分集会所前に戻る。 往復3時間半、休憩なしで考えてください。 |
行者道 |
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林道に合流 13時04分、林道に出る。 ここまでは雪はほとんどなかったが、先が思いやられる。 足跡が1人分あることだけが頼りである。 16時05分戻る。 |
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尾根道分岐 13時08分、林道から尾根道への分岐点に到着。 ここには途中にあったような大きな案内標識もなく、うっかりすると見逃しかねない場所である。 初めての自分にはここを登って良いのか分からず躊躇したが、50m程先の林道の雪には靴跡はないように見えるので、少し登ってみると雪の上に足跡を見つけ安心して進んだ。 16時01分戻る。 |
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木ノ実谷分岐 13時36分、木ノ実谷と書いてある標識の所に到着する。 歩いていると、日当たりや風の当たり具合によって雪の解け方が極端に違う事がわかる。 このような立派な標識何カ所もあるのだが、何れも通常の山の標識のようにあと何キロとか書いてないのはちょっと不親切だと思った。 15時43分戻る。 |
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登山者に出会う (13時24分) この標識をメモ代わりにデジカメで撮ろうとしていたら、ラジオの音が聞こえ、やがて登山者が現れた。しばらく話しをする。 その人は独鈷水のやや先まで行ったが、雪が多く倒木などで登山道も分からないし、帰りに温泉にも入りたいので無理をせずに戻ってきたと言われる。 タバコに火を着けてうまそうに吸いながら、灰はポケット灰皿に入れている。感心。 そろそろシーズンだから足慣らしをしていて、この後は取立山、荒島岳を計画していて、4月末には白山に登るとの事であった。 去年の白山は雪が多く、一ノ瀬から歩いて7時間かかったとの事。甚ノ助ヒユッテは雪の下で場所さえ判らなかったとの事であった。自分も6月に登った話しをするが、6月では足下にも及ばない。とりあえず独鈷水には行ってみたいので別れて進む事にした。 ちなみに今回、自分はあなどってスパッツさえ持ってこなかったが、ここまでは踏み跡もあり余り問題がなかった。しかしこれが大きな過ちだったことはすぐに判った。 |
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独鈷水 topへ | ||
独鈷水へはこの左手を50m程下りる必要がある。 15時39分戻る。 |
独鈷水 13時43分、独鈷水の標識に到着。 |
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標識が倒れていたので起こして写真を撮った。 |
独鈷水の水口 本当に岩に穴があいて湧きだしているような水の出口である。 水はやや暖かく手にすくって4〜5杯飲んだ。 |
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頂上かと思った最初のピークの鉄塔 (14時01分) |
頂上への長く悲惨な登り 先ほどの登山者が言った通りに、踏み跡は独鈷水の標識からわずかに登った所で消えていた。上のほうを見ると、もうそこに頂上があるように見えた。道は良く判らないが藪はそんなにひどくはなく、あと少しのがんばりだからと思って登ることにする。 急な斜面を膝までがぶりながら、今までと同じピッチで登りヘトヘトになるが、我慢して登り続ける。 スパッツをしていないので、たちまち登山靴に雪が入り込むが、気にしてもしょうがないのでそのままで進む。 頂上と思ってたどり着いた所は、鉄塔があるだけで神社など見えない。標識なども有るのかも知れないが雪の下になっていると思われる。 向こうに頂上とおぼしきピークがあったので、そちらに向かってさらに進む事にした。 苦闘の末たどり着いたそこにも神社はなかった。 もう登山靴のなかは雪の解けた水で一杯となっていたが、ここまで来て戻るのももったいないと思い、さらに進むことにした。 (遭難とはこのようにしてするのかもしれないと思い、天候を確認。出発前にもインターネットで最新の予報を確認したし、雲は多く風が強いが雨などの恐れはない。自分の足跡をたどれば必ず戻れるのだし、あと3時間や4時間歩き続ける体力には自信があったので大丈夫だと考えた。ただ、昼食を食べずに登ってきたので既に猛烈な空腹感であった。) |
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・遂に越知山頂上へ topへ | ||
越知神社と頂上への案内標識 (戻ってきて写したが、来たときはこの写真の左手が頂上と書いてあるのをみのがした。) |
山頂への道 右手の山に神社のような建物が見えた。あれが頂上だとするとコースを間違えたのだろうか、そうとう迂回していると思いつつ行くしかないと進む。 やがて前方に先ほどとは違う立派なお堂が見えた。どうやら頂上に近づいたようだ。 やがて標識が見えたが確認をせずに、最も高いと思われた通信の鉄塔がある前方(左の写真の左手)へ進んだ。(14時34分) |
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別山 ここも頂上の標識はなかった。さらに奥のピークを目指して、鉄塔の囲いの左手を回り込んで進んだが、そこも鉄塔があるだけで頂上らしくない。 ここで地図を出してみると、先ほどの標識の所を右に回る必要があったようだ。 戻る。斜面を下ると先ほどの標識が正面から見え、ちゃんと頂上は左手に進むと書いてあるではないか。 |
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御神木と殿池 |
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大師堂 (14時48分) 奥に見えるのが千体地蔵尊 |
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千体地蔵尊 たくさんのお地蔵さんが安置されていた。 |
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雪面と同じ高さのこの標識を撮ろうとして首を曲げすぎた為、首が痛くなった。今度デジカメを買う時はレンズ部と本体が回転するタイプを買おうと思った。 |
神宝庫 神宝庫は1m程の雪のクレーターの中だった。 雪面にステップを蹴りこんで降り、家内安全その他たくさんのお願いをした。 しばらくお参りをしている者もいないので、きっと聞き届けてくださるに違いない。 勿論、無事に戻れるようにともお願いした。 頂上は結局わからずじまいだったが、ここで戻る事にした。 (14時52分) |
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またまたお参りをして、先ほどと同じように(お金を持ってきていないのでお賽銭もなしではあるが)たくさんのお願いをした。 15時02分、ここから自分の足跡をたどりながら戻り始めた。 戻りの目途がたったので、途中の鞍部で風を避けながら初めてで最後の食料を口にした。といっても、梅缶酎ハイ1本とザックの底に見つけたつまみの小袋1袋では、刺激を受けた胃袋はいっそう強く空腹の極みを訴え続けた。 自分の後に登ってきた人は、最初に頂上かと思った鉄塔のある所まで来たらしく、足跡があった。 |
越知神社 拡大写真 |
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反省の弁 昼食を食べず登り始めた事、食料になるものをほとんど持たなかった事、地図は案内を兼ねた「福井県の山」をコピーした1cmが1kmの地図しか持たなかった事(2万5千分の1地図など買ったこともない)、スパッツを持たなかった事。これらは休出で仕事をしていて(前日登った文殊山の装備が車に入っていた為)思い立って登り始めた事が原因ではあるが。(ザックの中には他には雨具・タオル・ちり紙と、半分飲んだ500mlのペットボトル位しかなかった。)自分は一般に登山者は無駄な物を持ちすぎていると思っているが、今回も昼食さえ食べていたらそんなに問題はなかったように思う。 車に戻ったら、横の畑におばちゃんがいて声をかけてくれたので、しばらくおしゃべりをした。きさくなおばちゃんだった。神主さんはいたかと聞かれたが、足跡など痕跡もなかったのでいなかったと答えたが、春から秋はいるのだろうか。車で頂上近くまで来られるのだから、昨今のご時世では盗難も心配かもしれないなどと考える。 車で会社に戻り、5時過ぎやっと妻が作ってくれていた弁当を食べた。 今回の疲労感はフルマラソンを走ったよりも大きく感じたが、この空腹が原因だったように思う。 何はともあれエネルギーの源「食料」の大切さを痛感した山行であった。 HOME |