33観音お参り登山 岩木山

05.08.20

岩木山(1,625m)

もっと、遥かな山旅を」の百名山登山記を見ると
岩木山は15組中10組が岩木山スカイライン利用の8合目からの登山で
中にはさらにリフト乗ってのお気軽登山組もいる。
残りの4組は岩木神社からでその他が1組である。
錆鉄人も当初は時間短縮の為にスカイライン利用を考えていたが
岩木山で検索したら赤倉コースには33観音があると知り
東北大遠征を渋る天女の攻略に成功したのであった。

そういう意味で今回の「結婚25周年記念みちのくヒコヒコ旅」の
ハイライトはこの岩木山33観音様お参り登山なのであった。

いつもはコースタイムの半分近いスピードで登る我々であったが
今回は次々に現われる観音様に丁寧にお参りして
さらに写真を撮っていたので予想以上に時間がかかった。

そして、下山中には観音様のお導きで
有難い修行までさせて頂いたのでありました。
合掌!

【ご注意】
33観音と慈母観音様を全て載せていますので
大変な長文になっていますがご容赦願います。

聖なる登山コースの報告でありますから
出来れば正座してお読み下さい。
(くれぐれもスナック菓子などを食べながら読むのはお止め下さい)


どうやって行くの?
前日八幡平を回った後、後生掛温泉を堪能し、途中八幡平ドライブイン(名前はカッコイイけど普通の食堂だった)で夕食を食べ、車中泊予定地の碇ヶ関まで走りましたが、碇ヶ関の手前は狭くて曲がりくねった悪路でした。
碇ヶ関からは今さら高速に乗ることもなく下道を走りました。赤倉登山口は岩木山のほぼ北東になるので、弘前市を外側に迂回して行く感じでなかなか近づきません。
市街地を抜けるとリンゴ園の中を走ります。カーナビで赤倉神社を目標地に設定したので左折地点が分かりましたが、そこには赤倉神社とも岩木山登山口とも書いてありませんので注意が必要です。
結婚25周年記念「みちのくヒコヒコ旅」(抱腹絶倒)はこちら
大石大神の大鳥居
左折してしばらく上ると大石大神の大鳥居がありました。この鳥居の上の左側に広い駐車場があったので車を停めることにしました。

駐車場
駐車場は舗装してありませんが、100台位は駐車出来そうな広い駐車場です。一番奥にトイレがありました。紙はありませんが、水は出ます。(帰って来て、ここでTシャツを脱いで汗を洗い流しました。)
登山準備をしていると、登山者と思われる車が登っていったので我々も車でもう少し登ってみる事にしました。



登山口
という事で車を走らせましたが、先ほど車を停めた場所のすぐ先は道路がものすごく荒れていて下回りを打たないように慎重に車を進めました。どうなることかと思いましたが、荒れた区間は僅かで、その先は狭いけれど悪路ではありませんでした。
約1km程進むと右の写真の所に出て、鳥居の手前に車が停めてあったので我々もその横に車を停めました。
鳥居はあるけれど、その下は誰も歩いた様子がなく、我々も右側の狭いアスファルト道を歩きました。

6:13 
天女はワクワクしながらの出発です
聖地「赤倉霊場」
さて、Webで知ったのですが、この赤倉という場所はゴミソ、またはカミサマと呼ばれる人達(以下カミサマと呼ばせていただく) の多くが崇める聖地で、それぞれのカミサマ達が造営した霊堂が28軒も点在しています。(右の案内図)
カミサマとは主に御宣諾を生業としている民間巫者の事で、有名な恐山のイタコが死者の口寄せ(ホトケオロシ)が主なのに対して、カミサマは神からのメッセージを宣託する事(カミオロシ)がメインで、カミサマは自身の天啓により自発的に信仰の道を極めようという人達が多いらしい。
そんなカミサマ達の聖地が赤倉であり、ここは国有林で一般の建物は建てられない場所であるが、昭和30年代から40年代にかけてカミサマの霊堂だけが例外的に貸し付けられ現在に至っているらしい。その後造営がされないのは、新たな貸し付けがなされないためか、それともかみさまの勢力が衰えてきたからかは分かりません。
とはいえ、ここは未だにカミサマとその信者の真剣な修行の場なのであり、不思議な雰囲気をかもし出しているのでした。

下の赤字が現在地で
駐車した所です。
「5」が下の赤倉山神社です。
赤倉山神社
この赤倉霊場の中核がこの赤倉山神社であり、右側の紫色の衣を着た像がこの赤倉山神社を建てた「工藤むら」という人の像で、死後は本当の神様として祭られているらしい。
建立のいわれは、工藤むらが赤倉に修行に来ていると夢の中に赤倉様が現れ、赤倉に社を定めるようにと天啓を受け、営林署から現在の土地を借り受け現在の赤倉山神社の前身の霊堂ができあがったとの事である。

かみさまと「我が家のかみさま」
柱には龍が巻きついていますが、理由は分かりませんが、龍を祭った霊堂も多いらしい。雨乞いなどと関係があるのではないかと考えますが、福井などと気候も違うので、案外冷害を鎮める為に祭られたのかもしれません。
農業技術が発達して、さらに農業に頼らなくても生きていける「いい」時代になった今、自然に対する畏怖・祈りはなくなってしまい、かみさまも衰退するしかないのかもしれません。

さて、岩木山へはここから左折して大石川を渡って進みますが、かみさまの霊堂は次々と現れてきます。観音様の像もあちこちに建っているのでお参りしながら進みます。

愛嬌のある顔つきの龍です
記念碑
6:17
「三十三観世音開眼記念碑」と彫られた石碑が現われました。これにも手を合わせて、いよいよ1番観音様の出現かと身構えますが、残念ながら1番様はなかなか現われないのでありました。
聖観音像
6:19
聖観音様が建っていました。
33観音の始めと終わりに聖観音様が建っています。

登山道
大石川を渡る(橋の板は薄そうなので踏み抜かないように歩きましょう)と、林の中のゆるやかな登りとなります。
この赤倉登山道は信者の皆様によって岩木山でもっとも良く整備されていると書いてありましたが、登山道にはブロックが埋め込まれ、登山道は誰かが枯れ葉を掃いたようになっています。雨で葉が流れて土がむき出しになったのかもしれませんが、そう思ってしまうほどの雰囲気があるのです。
林の中にも、点々とかみさま霊堂が現れてきて、それぞれに手を合わせてお参りしながら進みますが、我々の本当の目的は33観音様のお参りなので、こちらのほうは軽いお参りだけです。というか、薄暗い中から気が狂ったようなお婆さんが飛び出してこないかとちょっとビクビクしながら進んでいたのでした。

「神域」を歩く天女
慈母観世音
6:31
いったん林が開けて、最後のかみさまの霊堂が立ち並んでいる場所に出ました。上の赤倉霊場案内略図の上の方でYの字に分岐している場所です。

          【山の大神】
山の大神様がいらっしゃったので、登山の「無事と家族の安全などを祈りました。このように数限りなくお参りしているので、コースタイムを正確に記録している事にはなりませんのでご了承願います。

慈母観世音
優しい顔立ちです
1番観音
何と、1番観音様が建っている所までは、聖観音像から20分近くも歩いて、6:36遂に到着しました。
長い間待たされたので感動もひとしおでした。
右ひざを立てて頬杖をついているようなお姿ですが浅学なので何故だか分かりません。
長女の生まれてくる子供の事、長女夫婦の事、次女の事、我々夫婦の事、仕事の事などあらゆる事をお願いするのですから簡単には済みません。少なくとも1分以上はかかっています。


2番観音
6:40ですから、1番様とはそれほど離れてはいません。
ハスの花を左胸のほうに持っているお姿です。ここでも、1番様と同じようにあらゆる事をお祈りします。
台座には寄進した人と思われる名前が彫ってありますが、案外女性が多いと思いました。いずれにしても貧しい生活のなかでやっと蓄えたお金を寄付したに違いありません。
それにひきかえ、自分を含め現代人は・・・と思いますが、時代が違い人生観なり死生観が違ってきているのでしかたがないことかもしれません。
でも、貧しい生活の中で寄付をされたこの人達はきっと救われたに違いありません。何故なら、全て自分の心の持ち様だと思うからです。

3番観音
3番様6:44
以下、コメントは省略させて頂きます。
コメントは省きますが、以下を見る人は観音様にお祈りを欠かさないで下さい。さらにお賽銭をあげたいという方もいらっしゃるかと思いますが・・・
自分で現地に行ってください。

4番観音
4番様6:45

5番観音
5番様6:47
ちゃんと手を合わせて見ていますか!観音様は仏様なので罰が当たる事はないと思いますが・・・

6番観音
6番様6:51

7番観音
7番様6:56
登山道の右側に建てられているのですが、斜面が崩れて土台が傾いたので、観音様の部分だけを修正して建てていますが、その後も傾きは進行しているようです。
錆鉄人は密かに「ピサの斜塔」とニックネームを付けました。

8番観音
8番様7:00
これまでは全部光背というのか、そういうお姿でしたが、8番様は観音様のお体だけです。何故かは分かりません。だんだん遠く高くなるので運ぶ労苦を軽減するために、光背の分だけ軽くしようと考えたのかと思いましたが、次の観音様で分かるように違っていました。
だいたい、こういう奇特な人達は「楽」をしようというケチな考えとは逆に、更なる労苦を求めていたに違いありません。ヒーヒーハーハーが大好きな錆鉄人は親近感を感じます。

9番観音
9番様7:05
下はお賽銭を入れる袋のようです。

10番観音

10番様7:14
将棋の駒のような形の大岩の前に10番様が建っていて、この大石の前で登山道は左右に分かれています。どちらか迷いましたが、右の方へ進むのが正解でした。

11番観音
ここまでは尾根を登っていましたが、10番様からは尾根を巻いて行きます。大きな岩が連続してそれまでとは歩きにくい道となり、これでいいのかなと思っているとすぐに11番様が見えたのでホッと安心しました。
11番様7:15


12番観音
しばらく大岩を登ったり跨いだり、木の下を潜ったりして進みます。帰りはこれで良かったっけとじゃ間不安になる所でした。

12番様7:19

13番観音
13番様7:24

14番観音
14番様7:28
基本的には5分おき位で観音様がいらっしゃる感じです。14番様は台座から落っこちて台座に立てかけられています。

15番観音
15番様7:33
15番様も台座から落っこちています。

16番観音
7:43
16番様がいらっしゃる場所は「鬼の土俵」といって、お堂の中には怖い顔の鬼がいたり、マサカリが飾られた石仏があったりします。鬼の土俵の標識には標高は1,078mと書いてあります。
その一角に16番様が建っていますが、一帯は鬼に占領されたいて隅っこに追いやられている感じです。
   
         鬼と草鞋


16番様
17番観音

中央から順に17番様、18番様、19番様と並んでいます。向こうの屋根のある所が鬼の土俵です。鬼から人間を守る為にたくさん観音様が置かれているのかもしれません。

7:47
18番観音
7:48
19番観音
7:49

20番観音
7:54
20番様は割れて上半身は右側の地面の上です。高度の高い稜線なので風雪による劣化が進んでいると思われます。

21番観音
8:03
22番観音
8:09
「大開き」とは向こうに岩木山の切り立った斜面が見える所です。

23番観音
8:10


24番観音
8:10

25番観音
この辺りまで来ると何番目まで来たかも混乱してくる上に、観音様にある番号も見づらいものがあって、何と言うことでありましょうか!この25番様を見逃したまま登っていたのでした。
しかしながら、やはり観音様のお導きでしょうか。帰りの時に運良く遭遇して「こんな観音様拝んでいたっけ?」と、ちゃんとと拝んだのでありました。不思議なご縁でありました。(すっかりお坊さんみたいな口調の錆鉄人であります)

10:21


26番観音
8:17
27番観音
8:26
3つに割れた観音様を接いだように見えます。設置した人の子孫の方でしょうか?

28番観音
だんだんとガスってきたというよりは、下から見た時に岩木山の上は雲の中だったので、その雲の中に入ってきたという事だと思います。
  
28番様はこんな所に建っています。さらに向こうに29番様、30番様も見えます。

8:29
29番観音
8:30
無残なお姿の29番様
どうみても風の通り道です。

30番観音
8:31
31番観音
8:32
方々が欠けてかなり形が変わっているように感じます。

32番観音

32番様と33番様はこのように並んで建っています。ここは大きな岩があって一つのピークになっている所です。

8:34
33番観音
8:35
最後の観音様です。

子安観音
一角にはには赤ちゃんを抱いた子安観音様がいらっしゃいました。五体満足で元気でかわいい孫の誕生を願ってお祈りしました。
聖観音

この一帯を治めるように、ひときわ大きな聖観音様が建っています。
左手に持っているのは何でしょうか。酒徳利でない事は間違いないと思うのですが・・・

登山道
聖観音像を過ぎて、いよいよ頂上を目指します。手前の標識は「聖観音像 1,445m」と書いてあります。
結構急な登山道
聖観音像をすぎてしばらく行くと、かなり急な登りが続きます。右の写真は下山時ですが、かなり急なことが分かると思います。とはいっても、危険とかいうレベルではありませんが、スリップなどに注意しましょう。
(下山時の写真です)
避難小屋
やがて大きな岩がゴツゴツとしてきて、右手に避難小屋が見えました。どうやら頂上に到着したようでした。



小屋の中はあまりきれいではありません。
一般観光客も来るからでしょうか
頂上

9:06
頂上で最後のお参りです。お賽銭もあげました。
登山口からで50回以上はお参りし、お願いをしたので我々家族の将来に不安はありません。


岩木山神(社は見えない)と書いてあるようです。右の黒御影石は大町桂月の石碑で「四方八方の千万の山を見下ろして・・・」と書かれています。
頂上の一帯
頂上一帯はこのような岩が積み重なっていて、ガスっている影響もあってどこを通って頂上に行けばよいのか分かりにくかったのですが、下の鐘の所に行ったら道らしいものを発見しました。
蓼科山の山頂と感じが似ています。

こういう所も怖がらなくなった天女
頂上の一角には、このように石をピラミッド状に組んで鐘が吊り下げられています。

頂上に付いた時は、我々が33観音様をお参りしている時に抜いていった人しかいませんでした。東京の大学生で、朝日・鳥海を登って昨日は竜飛崎に行って、明日は我々と同じように八甲田山に登る予定との事でした。学生さんなのにもう百名山を70いくつも登っているとの事でした。そうして話をしているうちに、途中で追い越した青森市の人が登ってきました。
山や温泉の話をしながらパンやおにぎりを食べていると、違う方向から新しい登山者が現われました。9時から運行されたリフトに乗って一番に来たと言うことで、「もうすぐおばさんの団体が来ますよ。」と言ったので、我々は下山する事にしました。それでも我々にとっては珍しく、頂上に30分もいたのでした。

鐘を鳴らしたあと
仲良く手をつないで写真を撮りました。
(勝手に愛の鐘と名付けました)
鬼の土俵
鬼の土俵までは順調に戻ってきました。
ここで道を間違えたのでした。しかしながら、そこにはちゃんと赤ペンキで→があったのです。少し下った所で登った道とは違うという事に2人共気が付いたのですが、相変わらず赤マークやテープが至る所にあり、登山道もしっかり付いています。(ただし、今日誰かが通った跡はありませんでした)
それで、いずれ登山道に合流するのではないかと気楽に考え、そのまま下りることにしました。
やがて川音がしてきて谷川に出ると、谷に注連縄が張ってあるのが見えました。かみさまの行場があるのだと思いました。
この付近は草が伸びていて登山道は隠れ気味でしたが、分からない事はありません。

かみさまの行場
遂に河原に出ました。100m程下に注連縄が渡っていて、さらに100mほど下にコンクリートの堰堤がありました。
やはり、かみさまの行場に間違いありません、河原の岩の上にはロウソクが散らばっていたりします。ここまで30分ほど下ってきたので、かみさまが鬼の土俵までわざわざ登って、さらにここまで下ってきて修行をして戻っているとは思えません。きっと堰堤の辺りに普通の登山道に戻る道があるのではないかと、堰堤まで行きましたが、堰堤の取り付け部にはそのような道らしきものはありません。
それで、しかたなく元に戻る事にしました。水が足りなくなるかもしれないと思って、川の水をペットボトルに汲み、それからは大急ぎで戻りました。

谷に注連縄が渡してあります
10:07
鬼の土俵へ戻る
10:37
天女語で「ヒコヒコ」になって鬼の土俵まで戻りました。ここまでくればもう安心です。
さらに下って、途中の13番様の辺りの悪路の部分では天女は「これでいいの?」と不安そうに進みましたが、もう間違いませんでした。



左に行くべき所を
手前のほうに降りてしまったのでした
無事戻る
1番様に12:11に到着。でも、そこからも結構長いのですが、この辺りは小走りに下りました。

12:22
下山。車に乗って、下の駐車場まで行き、トイレの水で汗を流しました。天女は観音様に悪いからと結局ここに戻るまでトイレを我慢していたのでした。

無事に車に戻ってからは、道を間違えた事もかえって貴重な体験をさせてもらったと思いました。いわばかみさまの行場で我々も「修行させて頂いて、身が清められた」のだと思いました。

計画とは2時間以上遅れていましたが、計画通り竜飛崎に向かいました。(遅れた分は三内丸山遺跡をカットする事にしました)

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