恒例の結婚記念紅葉登山 奥穂高岳

07.09.29

奥穂高岳(3,190m)

新穂高からの奥穂高岳は
意図的にコースタイムが長く記入されていると別項に書いた。
06年に百名山全山日帰りを目指して登った時は
白出沢小屋跡まで折りたたみ自転車を押して行ったが
新穂高BTから奥穂の往復が休憩を除き6時間9分。
白出沢小屋跡から新穂高までのダウンヒルが約30分だったので
歩いた場合は+30分の6時間40分という所だろう。
(注意!普通の人はこの2倍は確実にかかると考えて下さい!)
この時は百名山全山日帰りに向けて突き進んでいたので
「サイボーグ錆鉄人」になっていたのかもしれないが、
あの時はまだ全力ではなく、かなり余裕があった。
今はそんなモチベーションがないから
8時間位がせいぜいであろうか。

という事で
天女と一緒にゆっくり登山をして11時間位ではないかと想定した。
天女も500歳を超え、来年はさらに体力の低下も進むと思われる。
(愛妻家の錆鉄人はそれを防ぐ為に登山に連れて行っているのである。)
8月25日の剣岳早月尾根日帰りを皮切りに
塩見岳・空木岳と日帰りをして
体力が付いているに違いないこの時期なら
奥穂の日帰りも案外簡単に違いないと考えたのであった。


注意:
天女のゆっくりは衰えたりとはいえ普通より2割は早く、
スタミナは2倍、
根性は4倍

(錆鉄人への)
愛情は100倍
「スーパー天女」である事に留意して下さい



どうやって行くの?
福井からは通いなれた新穂高への道、何回も紹介しているので省略しますが、白鳥西ICに20:00までに入ってETC通勤半額を利用したい所です。
自宅から白鳥西ICまでは約85km、ほとんど信号がない山間の道路が中心ですが、大野市街では信号が狂ったように次々に止められます。
日本一信号密度が高く、車をやたらとストップさせれば交通事故が少なくなると錯覚している福井県らしい所です。(人口当たりの事故、死者率は日本一!はこのイライラが原因だと考える人は錆鉄人だけではないと思います。)
という事で、いつもは19時頃に出発するのですが、18時半までには出発したい所であります。
通勤半額が利用出来なくても、飛騨清見ICまで45km程度なので、下道を走っても30分以下のロスです。白鳥市街を抜けると、高山までほとんど信号はありませんので、その後も快調に走る事が出来ます。(日中は?ですが・・・)


28日自宅に帰って出発前に最終の天気予報を見ると、高山はウェザーニュースもYahooも夜半まで雨で29日は終日曇り、天気JPは曇り時々晴れの予報でした。
天女も「どうせ登らなければならないのなら、雨が降らないのなら登ってしまう」と言うので、天女晴れを期待し18時30分やや過ぎて自宅を出発。天女は娘夫婦の所に持って行く野菜の取り込みなどで大わらわだったので、車の中でカレーを食べているのでスピードを落とし気味で運転。
いつもほとんど全ての信号で停止させられてイライラする大野の158号線が何故か2回しか赤信号がないというラッキーもあり、その先の山間部は快調に走行して、19時50分余裕で白鳥インターに入りました。高山西ICを降り41号線の交差点まで自宅から2時間05分で到着、全部下道で2時間半程度ですから、そんなものかもしれませんが・・・
最後のコンビニで食糧とビールを調達して平湯を超えて新穂高に到着したのは21時45分頃、バスターミナルのトイレに行ってから、市営の無料駐車場の一番上に駐車しました。この辞典では3割程度の駐車率でした。
500mL缶を2本飲むのに手こずって(無理して飲む事もなかったのですが開けてしまったので・・・)寝るのが遅れてしまいました。この時点で雨が降っていたのでしたが・・・
計画
新穂高到着 22:15
起床 3:15(睡眠時間4時間半見込)
BT出発 4:00
白出沢小屋跡 5:30
奥穂高岳 10:00
穂高岳山荘にて 食事休憩1時間(ビール)
新穂高BT帰着 16:00
深山荘日帰り入浴 1時間
(何所かで食事;アルコール無し)

天女が30日も休みになったという事なので、天気が良ければ引き続き高妻山に登ろうかとも考えていましたが、天女は優貴君に逢いたいだろうし・・・
という事で、愛妻家の錆鉄人は、奥穂に登った後、横浜に連れて行ってあげようか?というともう有頂天です。
新穂高から横浜までは300kmもありませんから、安房トンネルを通った後は下道を走って山梨辺りの道の駅で車中泊し、30日朝、横浜に到着という予定にしました。

道の駅甲斐大和:21:30
(車中泊)
5:00 出発
7:00 戸塚着
18:30 出発
0:30 自宅着

コースタイムは17時間、しかし、上述のように本当は14時間位が適当だと思うので、コースタイム的には塩見岳より短く、標高差はやや大きいがコース全長は短いと思われます。従って総合的には塩見岳とほぼ同じ程度の時間(12時間)で帰ってこられるのではないかと思います。天女もいきなり早月尾根で目を白黒しましたが、今は体力十分なので、それでも余裕十分ではないかと思っています。
去年の6時間9分は自分でも信じられないのですが、穂高岳山荘から白出沢小屋跡までの下り以外は、それほど真剣に歩いた訳ではなく、今はそんな力もなさそうなので、あの時、もっと真剣に歩いてみれば大記録が出来たかも?とちょっと後悔しています。しかし、しなかったのは事実なので、出来た筈とか、すれば良かったというのは単なる虚勢に過ぎず、みっともないですね。6時間9分でも、十分満足ではあります。

【登山日に関して】
涸沢の紅葉を考えると、10月6日からの3連休が最適で(涸沢はものすごい混雑でしょうね、錆鉄人はそんな時は行きません!行くなら10日に休みを取って行きたいものです。)天女も1日は休みが当たるのではないかと思っていましたが、越前和紙のイベントをするらしく3連休は休み無しとの事。(3連休でも、白出沢コースはガラ空きのはず)
という事で、9月29日天気が良ければ登る予定となりました。(おそらく天女晴れとなると思っています。)結婚記念日は10月ですが、錆鉄人家では前後1カ月は結婚記念イベント期間として、何をするにつけ「結婚記念」の冠が付く習慣(って、錆鉄人が勝手に付けているだけではありますが・・・)なのでありました。
出発。雨の中を歩く
3時半のアラームで起きると屋根に雨音が・・・。
しかしながらガスの中、車が1台また1台と入ってきます。天気予報を信じて準備を行いましたが、雨音が高まったので出発を延期し車の中でしばらく待ちました。この時点では、ビールを2本飲んですぐに寝た錆鉄人は二日酔いでしょうか?吐き気がしていました。
さて、天気予報を信じる素直な錆鉄人は、雨音が止んだのでガスの中を出発。近道を通ってバスターミナルのトイレに行き、また小雨が降り出したので上だけカッパを着て 4時35分出発。
ロープウェー駐車場の先にいつもはない車止めがあり、しばらく歩くといつもの一般車の車止め、その先を歩いていると林道に通行止めがあって、さらにその先にトラックが止まっていましたが、構わずにトラックの横を進むと、天女が「登山者は河川道路をお回り下さいと書いてあったわよ。」と言います。真っ暗で先が見えないので、ここは素直に戻ることにしました。長い登山歴の中でも、錆鉄人の記憶している限りでは2回目という天女の有効なナビでありました!
しかし、この場所をはっきり記憶していなかったので、帰りにチョンボが発生したのでした。


帰りに見ると
そのまま通れたようでもありましたが・・・
白出沢小屋跡
穂高岳避難小屋を過ぎても雨は止まず。カッパをはいていないズボンもすっかり濡れ、錆鉄人は「天女が登るのをやめようと言ったら戻ろう。」と考えていましたが、天女は黙々と歩いて行きます。そんな事を言ったら短気な錆鉄人が怒り出すと思っていたのかもしれません。はたまた、雨が上がるように天通力をかけていたのかもしれません。
という事で、いつもとは違ってゆっくりしたペースで林道歩きをして、5:54 白出沢小屋跡に到着。奥に穂高岳山荘の車が1台停まっていました。
雨は到着前にはやんで木から滴が落ちている状況でした。ここで最終決断ですが、「戻るという行為が大嫌い」な錆鉄人なので、雨は上がったと信じて登る事にしました。
天女は最初から「登らないと優貴君に逢えない」と悲壮な覚悟を決めています。(横浜に着いてから娘に「山に登らないと優貴君に逢いに来れないのよ」と言っていました・・・。決してそんなことはありません!)
水を飲んでおにぎりを食べ、6時ちょうど頃に出発。

白出沢
白出沢小屋跡からは石畳の登山道が続き、雨に濡れて滑りやすい状況でしたが、天女は難なく歩いて行きます。今回は天女の歩き方に全くケチをつけないで後を歩く優しい錆鉄人でありました。
しかしながら錆鉄人は、靴の中がボロボロになって捨てようと思っていた登山靴を、積み込み時に間違って持ってきてしまった(天女の登山靴と並んで置いてあったものですから・・・)ので、しかたなく履いていました。特に右足のほうがひどく敷き革がない状態で、親指の付け根の足底がマメが出来る兆候を示してきていたので(違和感と共に熱を帯びてくる)、カカトだけを着けて歩く高等テクニックを実施。こういう余裕があるのも、天女を急がせていないからでありましたが・・・


白出沢の渡渉ポイントに到着
この手前のガレ沢を登らないように注意
橋を渡る
   
ハシゴを下りて橋を渡り岩切道に取り付きます。
愛妻家の錆鉄人は橋を先に渡って安全を確認しました。橋を慎重に歩く天女ですが、錆鉄人はゆっくりのほうが不安定な気がします。(右の写真)
この場所から岩切道へは河原を遡上せず、左の写真で橋の先から斜面に堆積している部分(右側に踏み跡があります)を数メートル登った所がルートです。


「もっと遙かな山旅を」の奥穂高岳のリンクでは、この白出沢コースの紹介は少ないのですが、(何故かなくなっていますが古くは至青さんや)菅@美麻さんの04年の記録06年の錆鉄人の記録で注意を喚起しているのに、今年このコースを登って登山後にリンクを掲載しているvemsさん(錆鉄人は登山前に今年のルートの状況を確認しようと思って見ました。錆鉄人ならずとも普通の登山者なら、一般的でなく登山ガイドなどでの紹介も少ないこのコースを登るなら、必ず事前にチェックしている筈です。)が、「間違って溯上した」と書いているのは理解出来ません。それも、相当先まで遡上したと書かれていますが、このような場所でルートを間違えた場合は、10mも進めばマークもなくおかしいと気が付かなければなりません。(ちゃんとした踏み跡があって間違ってしまう場合はしかたがありませんが・・・)
相前後して登った登山者が、vemsさんが最奥部まで行った所で岩切道の上から声をかけたというのも不自然だと思いました。(錆鉄人も帰りの林道歩きでチョンボしてしまいましたが・・・)
岩切道

幅の狭い岩切道は、川底までスパッと切れ落ちていますが、岩に沿って鉄筋が渡してあるので、天女は怖がらずに進みます。(鉄筋を手の中で滑らせて歩きます。)


河原には雪渓が残っていました
白出大滝

白出大滝はそれほど大きな滝ではありませんが、深く切れ込んでいるので登山道は左側の斜面を大きく巻いて行きます。


白出大滝
匠の技!

巻き道を過ぎると守の中に入ります。
木の根や木の枝をうまく利用した匠の技に注目!


横木はやや細い感じがします。
ヒビが入っていて踏み抜かないとも限りません
なるべる縦柱の近くにあしを置きましょう
荷継小屋跡

荷継小屋跡に7:22 到着。ここでも小休憩しておにぎりを食べました。雨はやんでいますが石の上はまだ濡れているので座らない天女でありました。


ここからガレ場を横断して右側の谷を登ります
ガレ沢

いよいよガレ場に突入。ここからはルートが分りにくいので錆鉄人が先導することにしました。


雲海に浮かぶ笠ヶ岳
雨がやんだのは雲の上に出たという事でした
ガレ沢2

8:05 やっと鞍部が見えてきました。(谷奥の水平部分)


上の写真の10分後
錆鉄人はこれ位登って天女を待つ
を繰り返していました
ガレ沢3

このコースは零年お盆過ぎまで雪渓が残り
登山禁止とされていますが、
さすがに9月末なのでルートに雪渓はありません

ガレ沢は左に曲がっています
黄葉がきれいだったので写したのですが・・・
アビナイヨ
去年、笑ってしまった「スベル アビナイヨ」の大岩は今年も健在でした。(アビナイヨとは、飛騨地方の方言でしょうか?)
1.30分とは1時間30分という事だと思いますが、山荘までの時間でしょうか?
下山してき大阪(だったと思いますが・・・)の夫婦に話を聞くと、「昨日は1日雨で御来光もダメだったけれど7時頃から晴れてきた、しばらくは眺望も良いのではないか」とうれしいお話。日帰りをして、横浜の孫に逢いに行くと言ったらビックリしていました。

陽が差す

雲の隙間から青空も見え、時々陽が射してきました。


この辺りで天女はバテバテ
辛抱強い錆鉄人
登る時間の3倍は待っていました。
穂高岳山荘に到着


9:33 穂高岳山荘に到着
ちょっと休憩

テラスから槍は見えませんが、周囲の山が遠くまで見渡せ、天女も大感激。最後の登りはかなりくたびれていましたが、一気に回復したようでした。
「結婚20周年記念紅葉の涸沢日帰り」で大感激した涸沢の紅葉を上から見たいという目的もあったのですが、期待しなかった展望にそんな事はどうでも良くなっていました。


さあ、最後の登りに出発!
小屋から後の岩を登る部分が最大の難所
といっても・・・
ハシゴを登る

ほぼ垂直のハシゴ2本、他に鎖がある岩もありますが、見た目ほど怖い所ではありません。(一般ルートですから)前日の天気も悪かったので登山者がほとんどいなくて、ハシゴの順番待ちがなくてスムーズに登れます。


登り切ると、槍が見える!
天女はまたまた大感激
槍ヶ岳

という事で、槍のアップ
手前左は涸沢岳で
小屋からは10分もかからないから
と言うが天女は余計な事はしません。
お父さんだけ登ったらと言いますが
錆鉄人は長女がお腹にいるお盆休みに
槍〜奥穂〜岳沢で歩いているので
涸沢岳も一応登頂済みでした。

などと話しながら
振り返り歩きました。

山荘で写真を撮ってくれた東京の青年が
前を歩いていました。
槍ヶ岳

登るにつれて後の山も高くなります


200mm望遠の威力!
槍の頂上にいる人まで、見えない・・・
登山道

涸沢岳から続いているようにも見えますが・・・


頂上も見えてきました
(一番高く見える所に左の小さな凸)
奥穂高岳

という事で、10時15分頂上に到着
6時間の予定だったので20分早く到着


山荘で写真を撮ってもらった青年に
ここでも写真を撮ってもらいました
今年の年賀状はこれで決まりかも!
頂上より



超豪華!
黒部五郎・薬師・鷲羽・水晶・立山・槍
ジャンダルム

もちろん反対側にはジャンダルム


ジャンダルムの上の人
上高地

焼岳・乗鞍・御嶽


上高地のアップ
前穂高岳
さらに左に目を移せば、前穂高岳
吊尾根はここからは見えませんが、紀美子平へのトラバースルートが見えています。岳沢への下りは急角度で、ルートが険しいのがうなづけます。

再びの槍ヶ岳

という事で常念岳を飛ばしてしまいましたが、1周して再びの槍ヶ岳
槍だけで20枚以上撮ったかも?


同じような写真で済みません
白山と笠ヶ岳

何度も360度の眺望を楽しんでください
郷土の誇り 白山


雲海に浮かぶ笠
方位盤

何度でも槍ます


方位盤でも記念撮影
頂上より

雲海に浮かぶのは妙高!
頂上のトンガリ帽子で分ります。
という事はその左は火打です


常念を飛ばしていましたね
剣からの鹿島槍のような凛々しい姿
残念ながら富士山は見えませんでしたが
不満などあるはずがありません!
下山開始

一旦下りかけたのですが、天女のEXILIM携帯でも撮影し直して、10時45分頃下山開始。


あまりの感激に
頂上でビールを飲むのを忘れていた錆鉄人
クーラーバックから出すと霜が吹いていたので
飲むのは山荘に戻ってからにしました

笠のアップ
21世紀の17番目の登山者は天女でした。(正確には17番の登山証明書をもらったという事ですが)


ルンルン気分で歩く天女
山荘が見えてきました
ハシゴ場
   
先に下りてルートを教える優しい錆鉄人でありました。(そうしないと、すごく時間がかかってしまうからですが・・・)


ハシゴばかりではなく
小屋までほとんど垂直ですが
つかまるものがあれば余裕の天女
(相変わらず軍手でピース)
垂直下降
   
山荘と涸沢岳
登る途中ですれ違った10人程の団体さんが登り始めました


気を緩めずに下山
そういえば天女は
今回は一度も怖いと言わなかった!
カレー

「穂高岳山荘の食堂でお昼は何か注文して食べようよ」と、天女をその気にする為にあらゆる努力を傾けた錆鉄人は、約束通り食堂へ。牛丼など丼物を食べたいと思ったのですが、ご飯があるのはカレーだけ、後はそばやうどんしかメニューがありません。
という事で、カレー800円を注文。トイレに行く天女にお釣りの中から100円を渡しました。


天女が戻ってこない間に出来上がり
待っていても来ないので
錆鉄人が先に少し食べました
ストーブ

部屋の中ではストーブが焚かれていましたが、近寄る必要はありません。
売店

穂高岳山荘は80周年だとか、記念のTシャツなどが販売されていますが、記念DVDが1000円!「穂高を飛ぶ」とかいうようなDVDは3,400円もするのですが、これは1000円。安いものには目がない錆鉄人は、きれいな風景写真も入っているに違いないと思って、天女の許しを得て購入したのでありました。そのかわり、持ってきたビールを飲んで生ビールは自粛する錆鉄人でありました。


ちょっとメニューが少ないです。
ラーメン・うどん・そば・カレー
「どれも800円ならカレーがいいね」
涸沢

再び、外に出て景色を堪能しました。

紅葉はこんな程度でした
いつか、また絶景をみに来ようね!
テラスより

涸沢岳に登っていた団体さんが下りてきます。
天女は登山に対する「欲」がないので登りませんが、錆鉄人が未踏だったら3分で駆け上っている所です。(3分は無理かも?)


奥穂の登り口をバックに記念撮影
下山開始

山荘の本館右奥が白出沢への下山口です


ここを下ります
下山

最初はきれいに石が並べられていて、天女でも間違いなく歩いていますが・・・


やがてこんな感じに
でも、上からだとマークも見やすいのです
再びガスが湧く

ガスはだんだんと上がってきて笠も姿を隠してしまいました。
何組かの登山者が登ってきましたが、皆さん明け方の雨がやむのを待っていたようでした。でも、今から登っても眺望はありません。明日の天気はさらに悪いようです。
天女と一緒に登らないからですよ!

去年は雪渓があった関係から右側の山沿いを歩いた記憶があったので、マークを無視して右側に行くと、そこにも途切れ途切れにマークがあり、踏み跡がありました。錆鉄人はここのほうがジグザグが少なくて早く下りられると考えて下りましたが、その分ザレ場が多く、天女には下りにくかったようで、登りは石の上で登りやすかったけれど・・・と下山してから言われました。という事で、錆鉄人はスリップなどしなくて高速下山が出来たのですが、普通には岩のガラガラの所を下りたほうが良いみたいです。
荷継小屋跡

ナナカマドの実が真赤でした。
この横で中年夫婦が休憩してましたが、暗くなるまでに登れたのでしょうか。


荷継小屋跡 
林の中

すっかりガスの中に突入です


下りは得意な天女です
沢を横断

このガレ場は天女の後からこちらに横断します。


大滝の上部
慎重に

町内の多田さんが9月の8日に登った時、目の前で崩壊があって板が外れたという場所はここだと思います。ちゃんと修繕されているかな?と少し心配していたのでしたが、多田さんが山荘の人に報告したち言っていたので、すぐに修繕されたに違いありません。
話は変わりますが、この多田さんは一般登山者として福井県では一番有名な人だろうと思います。福井県人の大部分が購読している福井新聞の「こだま」という投稿欄に100回近く登山記を掲載されていますから。去年まで100名山を90登り、今年達成間違いなしと思っていたのですが、利尻岳だけ残ったとか。ガイド役をされている長谷川山岳会が7月に大々的に祝賀登山ツアーを企画してくれていて、すでに同行が15人もいるとか(30名程度まで募集するらしいですが、錆鉄人のケチケチ登山と違って温泉宿に泊って宴会をしたりするらしいので10万円位かかるのではないかと思われます。)


上はガスの中に消える絶壁
下は垂直に谷底まで数十メートル
携帯でも「こんな所を通ったのよ!」
という記念撮影をしました
感謝
   
不安定な所はコンクリートで石が固められていて、安全に通行出来ます。


8日にはひっくり返っていて渡れなかったという橋も、すぐに修繕されたに違いありません。
下の岩切道のプレートの所で、穂高岳山荘の創始者の今田重太郎さんが苦労して岩切道を切り開き、さらに岳沢への道も切り開いたので重太郎新道と呼ばれていて、小屋の人が毎年整備をされている云々と話すと、天女は感動して「私も人の役に立つことをしたいわ」と言いました。いつも前向きな天女でありました。
岩切道の標識


プレートの右横にシートを掛けられて材木が置いてありました。きっと、シーズン中に何度も洪水で橋が流されるので、修繕用に置いてあるのだろうと思いました。
石畳
ここから白出沢小屋跡までは近いと思っていましたが、案外遠く、石畳の道が続きますが、石を敷き詰める労力の末、この登山道を切り開いてくれた先人に感謝する天女でありました。
白出沢小屋跡

という事で、14:07 小屋跡に到着。通行許可書と「槍平小屋関係車」と書かれたプレートを表示した車が2台増えていました。


小休憩の後、14:10 出発
早く優貴君に逢いたいな!
工事中
天女にとって林道歩き(下り)は得意技。
「出発したのが4時35分で計画では12時間で戻る予定だったけど、急いで15時05分に戻れば10時間半だから結構すごいね」というとすっかりその気になって、錆鉄人より長い脚をフル回転してグングン下ります。
でも、工事の車で道路がグチョグチョ、バンバン飛ばすと、跳ね上げが背中じゅうんい着きそうなので、足首を回転させないように歩きます。

迂回路を間違える

トラックがいる所、真っすぐが林道なのですが、寝ぼけながら河原の迂回路を通った記憶の錆鉄人はここを曲がって下りてしまいました。


朝は真っ暗だったので周囲は見えなかったのでしたが、下りながらもこんな所だったっけ?と思いながら、写真の道路の先端まで行って引き返したのでありました。という事で、ここで5分は時間をロスしてしまいましたが、天女はその後も根性でスタスタ歩きました。
穂高平避難小屋

そんなに10時間半に拘る位なら、休憩をもっと短くすれば良かったね・・・などと言いながら、穂高平避難小屋に到着。この少し上で4人の家族連れが山菜採りをしていました。


ここが本当の迂回路
迂回路ならこのように
ちゃんと標識があるのでした!
バスターミナル

15:09 バスターミナルに到着。迂回路を間違えなかったら!間違いなく10時間半を切っていたのですが・・・(頂上と山荘で休憩を1時間以上していたのであまり意味はないと思いますが)


トイレに寄って車に戻ります
この右には共同浴場があります
有料ロッカーもあるので安心ですよ!
駐車場
一番上の駐車場はほぼ満杯。天気が悪いのであきらめて帰った車?の跡が数台分空いていました。
錆鉄人のボロ登山靴ですが、錆鉄人の抜群の対応力でマメは出来ずに済みました。
深山荘日帰り入浴の予定でしたが、金無し錆鉄人一家なので寸志で済む「荒神の湯」に入ることにしました。(入口に寸志は一人200円程度と表示されています)
ここでキャンピングカーでリューマチの湯治に温泉巡りをしている福井県人と遭遇。70歳位だと思いましたが、今日はこの後草津に行く予定だとの事でした。
隣の天女に「もう上がるよ!」と言ったのですが、天女はすっかりいい気持ちで温泉に浸っていたようで、15分位してから「ああ気持ち良かった!」と言って出てきました。

夕食

新穂高からノンストップで走り、ちょっと眠くなったので、17:50頃道の駅小坂田公園に寄って夕食としました。広くきれいな道の駅でした。
錆鉄人はカツ丼とそばのセット1000円。靴を脱いで上がった「レストラン茜里」は高級感があって、ウエイトレスさんもとても上品な感じだったので、気分が良かったです。


天女はこちら
いつも通り半分づつ「食べっこ」をしました
(実際は錆鉄人が6割食べますが・・・)
おまけ!天使の優貴君
小坂田公園で寝ると残りが200km以上もあるので、食事をして眠気も覚めたので、もう少し走ることにして信州蔦木宿まで走りました。
ここは温泉のある道の駅ですが、温泉はすでに入っているので寝るだけです。今回の為に準備した簡易カーテンを取り付けビールを飲みました。天女はおみやげを物色しに出かけましたが、結局なにも買わなかったようでした。

翌朝は3時に起きてトイレに行って出発。国道20号線を走り続けて東京都に入り、南下して横浜へ。6時50分頃に娘夫婦の所に到着。
優貴君は「ジージ、ジージ」と言いながら待っていてくれたそうです。という事で、お昼に回転寿司を食べに行って買い物をした以外は、ジージがほとんど独占的に優貴君と遊び(遊んでもらい)、優貴君がチューしてくれたので大満足の天女は、持って行ったサツマイモの芋の軸で料理作りをしていました。(娘夫婦は優貴君がいて普段出来ない事をしていました。)
夕方、帰る準備をしだすと、気配を察した優貴君はしきりにジージを引きとめました。そしてバイバと言うと大声で泣き出したので、クバがお風呂に入れてその隙に帰るアイデアを出してくれましたが、それも可哀そうだから、ちゃんと帰る所を見せて「帰ったんだ」と納得させる事にしました。つらい別れでしたが、優貴君も「また来るからね」に納得したのか、泣き声が治まりました。
帰りの車の中で「お父さんは本当に子供と遊ぶのが上手ね、優貴君の笑い声が絶えなかったわ。」というので、「すごい才能だろう!」と威張る錆鉄人でありました。(未だに子供そのものであるという事なのですが・・・)
「(山に登る時の集中力とか体力などの)能力を違った所に発揮すれば「大物」になっていたかも?」と言って笑う錆鉄人でありましたが、そんないやらしい存在になる気持ちはさらさらなくて、天女との生活が一番なのでありました。


動き回る優貴君

ショッピングセンターでは
4歳の見知らぬ女の子と手をつないで
錆鉄人と鬼ごっこをするのでありました。
誰とでもすぐに仲良くなれる優貴君は
みんなの人気者になるに違いありません。

見知らぬおじさんに誘拐されないかと
心配な錆鉄人でありました。

                      HOME

inserted by FC2 system