飯豊山(2,105m) 飯豊山の魅力はその縦走にあると言われています。 ワンゲル部で縦走した二女のユミちゃんからもそう言われました。 しかし、金無し暇無しサラリーマンである錆鉄人には縦走する時間的な余裕がありません。 という事はピストンしかないのですが、 飯豊本山往復のコースタイムは登り9時間下り6時間10分の合計15時間10分 錆鉄人にとっては日帰り困難なコースではありませんが、 本当は最高峰の大日岳までの往復がしたかったのでした。 この場合はさらに往復時間がプラスされるので20時間程になります。 如何に脳天気な錆鉄人でも 日が短かく天候も不安定になり易いこの時期にそれを行うことは憚れるので 来年の夏場に行こうと考えていました。 しかしながら百名山病に深く侵された錆鉄人は 那須岳や甲斐駒ヶ岳登山というカンフル剤を打ってからたった中3日ではありましたが 「晴れ!」の天気予報ウィルスに追い討ちをかけられたので いつ何処で発病しても対処出来るように 布団や薬(登山用具)一切を車に積み込み会社に出かけたのでした。 さて会社には錆鉄人以外にも数名の感染者がいて 強烈な百名山ウィルスを撒き散らしているので 錆鉄人は彼らと一緒に昼休みのコーヒーを飲んでいるうちに熱が上がり 治療の為に飯豊山に行く事にしたのでありました。 (昼の天気予報では9時以降は曇りと悪化していたのでしたが・・・) あくまでも「治療の為に出かけた」という事をお忘れなく! 飯豊山から家に帰ったときは今までになく疲労困憊してしまい 天女から「登山禁止令」を受けてしまった錆鉄人でした。 (原因は本文を参照下さい) |
どうやって行くの? | |||
会社から一番近いインターチェンジは福井ICですが、混雑する国道を通る必要があり、農道などを回って一つ先の福井北ICから乗り、新潟経由で常磐道を走り、西会津ICで下り磐越西線沿いに山都町に行き、そこからは国道459を走り川入の御沢キャンプ場を目指します。山都町辺りからは標識に「飯豊山」が表示されてきます。 左手に「いいでの湯」を見送ってからは、いよいよ山間の林道状態になりますが、工事中だったので数年のうちには2車線の舗装道路になると思われます。いいでの湯から5km位走ったかと思う頃、川入集落に到着です。ここに来た5時前には右の写真の真っ直ぐ進む道路にはチェーンで通行止めがされていたので左に進み、集落内の狭い道路を「これでいいのかな?」と思いながら進みました。川入の集落からは案外すぐ(数キロ)に御沢キャンプ場駐車場に到着します。 |
早朝来た時には直進にチェーンが張られ 奥に家があるとは思いませんでした。 |
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飯豊本山往復コースタイム | |||
【標準コースタイム】往復15:10 御沢キャンプ場−(5:00)−三国小屋−(2:00)−切合小屋−(2:00)−飯豊本山−(1:30)−切合小屋−(1:30)−三国小屋−(3:10)−御沢キャンプ場 【錆鉄人の場合】往復7:25(休憩30分+を含む) 御沢キャンプ場5:30−(2:00)−三国小屋7:30〜7:38−(0:43)−切合小屋8:21−(1:19)−飯豊本山9:40〜9:45−(0:08)−本山小屋9:53〜10:06−(0:49)−切合小屋10:55−(0:44)−三国小屋11:39〜11:43−(1:12)−御沢キャンプ場12:55 今回は甲斐駒黒戸尾根という超絶コースの日帰り(10月30日)から中3日しか経過していないので、無理すると途中で動けなくなるのではないかと恐れて、天女モード(天女の後を付いて行くスピード(ほぼ標準コースタイムの2/3程度)で登る事にしました。従って錆鉄人のトレードマークである「ヒーヒーハーハー」にはならない登山スピードでした。それなのにコースタイムの半分以下になった理由は、飯豊は「小屋泊まりの重装備前提」なので、コースタイムがそれに合わせて長くなっているからではないかと思います。そういっていても、だんだんとピッチが上がっていたのかもしれません。 帰りの三国小屋で登山者の一行と話をしていた時、雲行きが怪しいと感じたので、それまでは普通に歩いて2時間、13:30頃に下山と思っていましたが、雨に備えて13:00までに下山することに目標を設定して早足で下山を開始し、途中からはかなり頑張って下山(ただし、走った訳ではありません)しました。三国小屋から御沢キャンプ場まで1時間12分は相当早い記録だろうと思います。 駐車場の手前の林道を歩いているときにポツリポツリと雨が落ちてきて、車に戻ってしばらくすると雨具なしでは困難な雨模様になりました。読みが的中して気分が良かったですが、山の残った人はお気の毒様でした。 しかしながら、中3日で甲斐駒黒戸尾根と飯豊山の日帰り、合計のコースタイム30時間20分をやったのは相当な負担だったようで、疲労困憊したのでありました。菓子パンしかなくて、ほとんど食事が出来なかった事が一番の理由だったのかもしれません。 翌年、2日連続で「幌尻岳・戸鳶別岳の日帰り」と「天人峡からトムラウシの日帰り」合計36時間55分をやった時以上の疲労ぶりでしたから。 |
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菓子パン | |||
会社から福井北ICへ行く途中にゲンキーがありますが、高速に乗ったらノンストップで最後のSAまで走り、そこで車中泊するつもりの錆鉄人は、ここで食料とアルコールを買うことにしています。 西会津SAで下りた後、コンビニがない場合も考えて、錆鉄人は2日の夜と3日の朝、及び山での昼食用として菓子パンを10個ほど買いました。(パンは日持ちが良く余ったらパン好きの天女に持って帰るつもりでしたが、これが失敗でした。)何故かゲンキーはビールは少しも安くないのでチュウハイとカクテルパートナーを4本買いました。 そして、高速を走りながら夕食として菓子パンを食べましたが、その甘さに2個食べるのがやっとでした。西会津SAには23時頃に着きましたがここはインターチェンジと兼用になっているので、ここで車中泊することにして、ここでパンをもう1個なんとか食べ、チューハイとカクテルパートナーを1本づつ飲み速攻で寝ました。夜中に1回目が覚めただけだったので、4時間位寝ることが出来たと思います。 |
翌朝は4時に腕時計のアラームをセットしておきましたが、3時半には目が覚めてしまい、もう一度寝ようとしましたが寝られず、3時50分に起き出してトイレに行き、歯を磨いて顔を洗って4時過ぎには西会津PAを出発しました。 走りながら又しても菓子パンを食べようとしましたが、もうほとんど胃が菓子パンを受け付けません。しかしながら危惧していた通り、コンビニはなかったので菓子パンしか食べるものはありません。何とか1個目をコーラで流し込み、2個目を吐き気をこらえながら口に押し込み、必死の思いで食べました。 御沢キャンプ場には5時前に到着したので、管理棟に行ってみたりして時間をつぶしながらもう1個パンを食べようとしましたが、吐き気がひどく半分も食べられません。 もう出発前に菓子パン食べることは諦め、残りの菓子パン5個をザックに詰め込みました。それ以外はミニのチーカマ4本とアーモンドチョコを5〜6個(+非常食のチョコなど)入れました。今考えると、ポテトチップスも持って行けば良かったと思いますが・・・ |
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駐車場 | |||
予定通り5時半にヘッドライトを点けて駐車場を出発しました。最初は林道を歩いて行きます。(ここから先の林道はチェーンで通行止めになっているので車は通行出来ません。) 今回は甲斐駒の黒戸尾根日帰りから中3日です。黒戸尾根の最後のほうはかなり急いで下山したので筋肉痛になっていましたが、2日にはほぼ治まっていました。筋肉痛は治っても内臓に関しては痛みを感じない分、疲労から回復していないのではないかと考え、今回はコースタイムの7割位に押さえて歩こうと考えていました。という事で、天女と歩いているつもりで「ヒーヒーハーハーならないように」歩きました。 |
駐車場に到着いた時は3台でしたが 戻った時は3台増えていました。 |
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飯豊山表参道川入口(写真は下山時撮影) | |||
林道は約10分500m程で登山道になります。 登るときはヘッドライトだったので かわいい道祖神は気が着きませんでした。 登山口付近は 遊歩道などが入り乱れている場合があるので 注意深く登山道を確認して進みました。 |
登山口の大杉 これも登る時は気付きませんでした。 |
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御来光 | |||
下十五里;5:55 この辺りでヘッドライトを消しました。 中十五里;6:05 ヘッドライトをザックに仕舞いました。 東の空が赤く染まってきたので、御来光の瞬間を撮ろうとずっと横を見ながら歩いていましたが、雲が邪魔をしていました。 |
6:15 |
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上十五里 6:18 | |||
下十五里〜0.5km〜中十五里〜0.5km〜上十五里と書いてあるのですが、中十五里から上十五里間は何故か時間がかかっています。(といっても+3分ですが) やがて左手に連山が見えたので、あれが飯豊かと思いましたが、三国岳でした。 |
次は笹平0.6km |
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横峰 6:43 | |||
ここがどういう所かは分かりませんが、休憩するのに適当な広場です。ここで天女の忠告通り、念入りに日焼け止めを塗りましたが、その後はあまり陽が射しませんでした。 | |||
水場 6:56 | |||
登山道を歩いていると、地蔵岳/水場経由三国岳との標識が出ていました。今回は飯豊本山のみが大目標であり、地蔵岳は割愛させて頂き、水場で水を飲んで飲料水をセーブすることにしました。 |
流水でないだけでもうまいと感じます カップは少し錆ていました。 |
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登山道の分岐 | |||
さて、水場からは通路を木が横切っていて、斜面を無理矢理切り開いたような登山道ですが、少し進むと地蔵岳経由の登山道に合流します。地蔵岳経由のほうが本来の登山道らしく深く掘り下げられています。 | 1m程下って合流します |
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三国岳を望む | |||
この辺りからは左前方に立派な山並みが見え、もしかしてあれが飯豊本山?かと思いましたが、まだ歩き始めて1時間半、飯豊はそんなに甘い所やおまへんでした。 | 中央が三国岳 |
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剣ヶ峰 7:21 | |||
剣ヶ峰の標識があったので撮影しましたが、それでどうなの?という感じです。右の写真のような岩場が連なっていますが、危険な所とか通過にやっかいな所はありませんでした。 |
剣ヶ峰を振り返る |
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三国小屋 7:27 | |||
川入から登ってくると、この標識の前に登って来るのですが、何故か見逃していて、小屋から出た後、反対方向(この写真の左奥方面)にずんずん歩いていってしまいました。 でも、少し行った所で右側に長い山並みが見え、どう考えてもこの方面からそこに繋がりそうになかったのでおかしいと気付き、引き返したので、大きなロスにはなりませんでしたが。 普通、小屋の後ろに回るとは思いませんよね!(実際は地図を見ていないから、「切合」に行くというのが分かっていなかったのでした。) |
中に若い女性が一人だけ泊まっていました。 飯豊はよく来ているとの事で 本当は2人で来る予定だったそうですが 友人に不幸があったので 一緒にこれなくなったとの事でした。 錆鉄人は一人で小屋に泊まるのは怖くて嫌です。 過去、1回だけ経験ありますが 風の音にもびびりまくりました。 |
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三国小屋に戻る | |||
という事で、上の標識を見逃して左へと進んでしまった所から撮影。中央が大日岳です。 転んでもただでは起きない(道を間違えてもただでは戻らない)錆鉄人でした? |
小屋の前から 遠くに白い頂が見えますが あんなに遠くまで行かなくてはいけないのでした |
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種蒔 8:10 | |||
三国小屋からは少し尾根の裏側を歩くのですが、太陽が当たらないためか霜が残っていました。でも滑る心配はありませんでした。 縦走路はアップダウンが続きますが、きついところはなく、やがて種蒔という標識がありました。標識と一緒に飯豊山を写したかったのですが駄目でした。 |
頂がかなり近くなってきた気がします |
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切合小屋 8:22 | |||
やがて小屋が見えてきました。 8:22切合小屋に到着。ここで小休憩をしましたが、菓子パンを食べる気にはならなかったので、アーモンドチョコを数個食べました。 |
入り口の戸がブロックで押さえられていて 吹き飛ばされないか心配です。 |
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登山者に遭遇 8:23 | |||
縦走路で本日始めての登山者に遭いました。 話を聞くと本山小屋に泊まったとの事でした。彼らは御池キャンプ場ではなく、もっとも近い登山口から登ってきたとの事でした。途中、1箇所スィッチバックしないと通行出来ない場所があったと言っていましたが、普通の車でも通行できると言っていました。錆鉄人も本当はそこに行きたかったのですが、道路の分岐にチェーンが張ってあった(一番上の写真)ので通行出来ないばかりではなく、そこを進むという事も真っ暗で分からなかったのでしかたがありません。 三国小屋の女性のことも知っていました。どこかですれ違ったみたいでした。 |
大日岳をバックに |
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草鞋塚 8:43 | |||
おそらく飯豊本山までの長い道中なので、この辺りで草鞋を履き替えた所から付いた名前と思いました。(甲斐駒には装束場というのがありました) 本山を拝みながら休憩するには良い場所です。この辺りから大日岳はガスに包まれるようになりました。 |
この先にキレットが待ち構えていました。 結構高度を損ないますので 肉体的なダメージに精神的なダメージが加わります |
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姥権現 | |||
草鞋塚から鞍部を見ると、赤いものが見えたので誰かが休憩しているのかと思いましたが、実態はこれでした。 ここからの登りはルートが入り乱れていてちょっとミスコースをしました。滑りやすくて大きく高度を損した後でもあり、ちょっとイヤな登りでした。 |
姥はちょっと不気味な雰囲気でした |
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御秘所 8:56 | |||
語秘所は片側が断崖絶壁の岩場ですが、絶壁の端を通過する訳でもないので怖さは感じません。勿論、端に立つ事は出来ますが、錆鉄人は怖がりなのでそういう事はしません。むしろ戻りの時のほうがすごい所だったのだと感じます。(下の戻りの時の写真を参照) | 鎖がありますがなくても通過可能です |
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本山小屋 9:24 | |||
向こうの鳥居を潜って 飯豊神社にお参りしました。 |
本山小屋の先からの飯豊本山 みるみるガスが押し寄せてきました |
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頂上 9:38 | |||
本山小屋からは頂上は見えませんが、少し進むと頂上が見えました。(右上の写真)見る間にガスが巻いてきたので急ぎましたが、頂上では何も見えませんでした。 さすがに頂上付近は登山道に雪が数十cm積もっている所もありましたが、アイゼン・スパッツなどする程ではありません。というか、錆鉄人はよほどのことがない限り途中でそういうものを装着しません。時間を節約するためですが、面倒くさがり屋とも言います。 視界がないのに長居は無用、でも記念に標柱の横のケルンに石を積む事にしました。先ほど逢った人がシビアに積んだ為かかなり苦労しましたが何とか積む事が出来ました。 |
一番上の石は錆鉄人が積みましたが 風が吹けばすぐに崩れそうです |
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本山小屋の中 | |||
頂上から戻る時、2階の一番奥の窓が開いたままになっているのが見えたので、上がって窓を閉めました。すごく良い事をした気分になりました。 下に戻って昼食を食べる事にしましたが、食べるものは菓子パンしかありません。ひと口で吐きそうになりましたが、水で流し込みながら何とか1個を食べました。後は小さなチーカマを2本、アーモンドチョコを何個か食べました。チーカマとアーモンドの残りはこの後胃が菓子パンを全く受け付けないかもしれないので非常用に残しました。心細い状況でした。 |
飯豊はどこも立派なトイレです。 一番手前だけ開きました |
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縦走路を見渡す | |||
本山小屋から少し戻った所から縦走路を撮影 どこが三国岳か分からないほど遠くまで稜線が続きます |
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御秘所 | |||
ピストンなので帰りも御秘所を通過します。こちらからの御秘所は迫力満点です。 | 少し右側を通過出来るので怖くありません |
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登山者に出会う | |||
さすがにこの時期ともなると登山者が少ないものです。単独行の人と会いました。この人も本山小屋に泊まると言っていました。ちゃんと窓や戸は閉めてくださいね。 | 話をして別れた後に撮影 |
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三国ヶ岳を望む | |||
ようやく、まだはるか彼方ではありますが、三国岳が望まれました。結構アップダウンが続きます。途中の山の上でまた単独行の登山者に会いましたが、ここで戻ると言っていました。 | |||
三国小屋に戻る 11:35 | |||
三国小屋まで来ると、小屋の前に若い登山者が7〜8人下を眺めながら談笑していました。彼らはここまで来ただけで戻るとの事で、自分は朝出発して戻ってきた所だと話しました。 彼らと別れて剣ヶ峰まで来て写真を撮り、何となく空を見るとやや怪しげな雰囲気で、間もなく雨が降り出しそうだと思いました。それで、ここからは大急ぎで下りる事にしました。水場に寄って給水し、所々で写真撮影した以外は止まらずに、大股でガバッガバッと下りました。 |
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横峯 | |||
さすがに腹ペコになってきましたが、菓子パンを食べる気にはなりません。ここまできたら這ってでも帰れるだろうとアーモンドチョコを食べました。 | |||
登山口に近づく | |||
紅葉 紅葉はかなり低い所が盛りでした |
巨木 |
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駐車場に戻る 12:55 | |||
表参道の石碑でかわいい道祖神を発見、心がなごみました。余裕で案内板などを読んで、林道を戻っているとポツリポツリと雨が落ちてきましたが、強くならないうちに駐車場に到着。トイレに行って車に戻ると雨脚が強くなってきて、まさに危機一髪でした。 車に戻ってもやはり菓子パンを食べる気にはなりません。ポテトチップスを一袋、車を運転しながら食べました。 |
出発時は3台でしたが トイレは右奥にあります |
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川入集落 | |||
御池キャンプ場へはこのように川入集落内(1車線)を通過して行きます。 |
来た時直進にはチェーンがありました この先を進むと 最短登山口の駐車場があると思われます |
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飯豊の湯 | |||
時間的に余裕もあり、食堂で食事もしようと飯豊の湯に入りました。川入りからは5km程下った道路の右側にあります。川入りから飯豊の湯の間は何にもありませんから、本当に川入集落はすごい所にあるものです。 雨が降っていましたが、まだ体温が上がっていたためか露天風呂は気持ちが良かったです。 上がってから、食堂に行きましたが「そば」しかありません。そばは越前おろしそばが一番という信念の錆鉄人は、そばを食べる気がしません。とっくに空腹を通り越していましたが、やはりカツ丼が食べたいと思って出ました。 途中でカツ丼の看板もありましたが、苗場山や朝日岳で懲りている(管番があってもそばだけしかやっていなかった)ので止まらず高速のSAまで行ってやっと「丼」に遭遇できました。しかし残ながら、カツ丼はありません。でも、もう我慢できず名前は忘れましたが丼を注文して食べました。確か午後3時半頃だったと思います。 しかし、あまりにもエネルギー源の供給が遅かったためか、その後の高速道路の運転は疲労困憊で、家に帰って食事を食べても回復しませんでした。見かねた天女から「もう登山は禁止よ」と言い渡されてしまいました。 |
土砂降りの雨の中を 入口まで走りました |